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私にとって英語とは。

もう2年前になるだろうか。
購入してから、まだ一度も開いてもいない本が今私の手元にある。


私にはそういった本が実はとても多く、購入後短い時は数日後に、長い時は数年後に初めてその表紙をそっと開き、やっと読み始めることがある。


友人が長期間私の家に泊まりに来ている際に、この本好きそうだから読んでみる?なんて一丁前に勧め、見事に彼女に大ヒットさせ。

私は一文字も読んでいないのに、何故その彼女が気にいると分かったのかは、また別の話で。一種の才能とでも言っておくことにする。


そしてその友人は、翌日か翌々日に自分用に同じ本を購入していた。


そんな一冊を購入後2年経った今、やっとその重たい表紙に手をかけてみたのだ。


べつの言葉で ジュンパ・ラヒリ



まだ読んでいる途中のため、読み終えて気が向いたら感想は書く……かもしれない。

なぜこの本に手を伸ばしたのか、それは簡単な理由だった。



私は日本で生まれ、日本で育った日本人だ。
だが日本人ではない。

mixのため、見た目は完全にアジア系ではなく欧米系なのだ。


それ故、英語が得意であると誤解されることが多かった。
10代前半の私には天敵のような存在だった。そして英語がわからない私はコンプレックスになっていた。



英語出来そうなのに。英語に触れる機会が多いだろうに。
もったいないね。


当時も今も変わらずに思うのは、大きなお世話だ。そして幼い私は拗ねたのだ。
そんなこと言われなくてもわかっている。

何故父は私に彼の母国語である英語を教えてくれなかったのか、恥ずかしいことに私は八つ当たりをしたのだ。

そしてその時の父の言葉は今でも忘れられない。


お前に無理やり英語を教えたところで中途半端になるのが目に見えている。
日本語も中途半端、英語も中途半端。そんな馬鹿げたことはしない。
それならば、今は日本にいるのだから日本語を完璧にさせたかった。

理由はそれだけだ。


その通りなのだ。
さすがは私の父。痛いほど正論を突きつけられた。

そして私はというと、そのもどかしさから自分一人で勉強するんだと部屋に閉じこもり、その後留学に行く手続きをし、自分1人で異国、とは言っても父の母国だったので馴染みがないわけではない、なんならよく知っているところへと旅立ち生きて帰ってきた。


幼い頃から父が家にいるとリモコンは父のものだったため、テレビから流れてくるのは全て英語のニュース、ドラマ、音楽そして映画だった。


プレゼントでもらったり、ねだって買ってもらったディズニーアニメのビデオも全て英語。
そして絵本も英語の時もあった。

これで英語で会話をしていなかったってどういうことだ?と今とても不思議に思うのだが、父はこうして自分から学ぶ意欲が出た時のためにもずっと用意していてくれたのだろう。


そしてそれらはとても役立った。


机上にノートを広げてただただ単語や文法を覚えるだけの勉強法は私には合わなかったのだ。

3日坊主、それはそれは一瞬だった。


そして自分なりに編み出したのは、日常会話の垂れ流しだった。

とあるイギリス人の女性YouTuberがアップデートする動画を来る日も来る日も見続けたのだ。
そして彼女のお友達の動画も覗きに行ったり、多い時は15人ほどの動画を見漁っては彼らの会話を真似して一人でぶつぶつと話し続けたのだ。

元々耳は慣れていたのだろう(父には感謝しきれない)、そのおかげでこの勉強を始める前から学校のテストでもリスニングだけは常に満点だったのだ。

そういう背景もあり、何を言っているのか理解をするスピードはとても早かった。


もちろんわからない単語にも多く遭遇した。その度にその場で調べ、記憶していったのだ。



かれこれ3年ほどその狂気じみた独り言勉強法をひたすら続け、そろそろ人と話をしたい。実践をしたい。
そう思い、単身での留学を決意し、旅立ったのだ。

私の今の実力、どんなもんか試してみよう。学生の今のうちに、と。




その私の経験と先程の本の著者の経験が、もしかしたら似ているかもしれない。
そして共感出来るのではないだろうか。
境遇は違えど、どこか共通点はあるかもしれない。

そんな思いで手を伸ばした本だったのだ。



では、この記事の題名に関していい加減触れよう。


私にとって英語とは、母国語に限りなく近いが、母国語からは程遠い。
絶妙な距離感で私の想いを言葉にしてくれる、大事な言語なのだ。


先日BTSのリーダーRMがとあるコンテンツで言っていた言葉に強く共感した。


”英語の方が楽な時がある。
韓国語だとより気をつけて喋るようにしている。”


私にとって母国語である日本語は、あまりに美しいと感じるときがある。

多分それはどの言語も同じ。そして自分がよく理解しているからこそ、言葉の選び方に注意してしまうのだ。


だからこそ、母国語ではない他の言葉の方が言葉を選びやすく、そして気持ちをストレートに伝えることが出来る。
要は一番理解をしている母国語だけど、理解が深いがために言葉のチョイスに悩んでしまい、伝え難く感じてしまうのだ。

RMも全く同じ考えとは思わないが、少なからず同じ思いはあるのではないか?と思っている。


そう言ったこともあり、私にとっては切っても切れない。そして今でも日々勉強に励み続けている、それが英語だ。




前回の記事から少しずつ言及していた”とある界隈”だが、もうわかるのではないでしょうか?

私は防弾少年団、BTSとSeventeenというグループのファンだ。

この記事は昨年の11月から少しずつ書き溜めていたのだが、今日一気に書き上げた。どうしても、どうしてもこの記事を書いてから、やりたいことがあったからだ。


昨日リリースされたSeventeenのデジタルシングルの私なりの解釈の歌詞の和訳だ。

もちろん公式のMVで和訳CCは出ている。
だが、その和訳が少し機械的に感じてしまうところがあり、どうしてもひっかかってしまったのだ。

だからこそ、この記事をまず書き上げ、私にとって英語とは何かを言及した後に取り組みたかったのだ。

要は、私の大きなエゴの塊です。



皆様のちょっとした暇つぶしになれれば、私は幸せです。


たくさんの感謝を込めて。









2022.04.16 gaf

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