東日本大震災 うろ覚えの感動的な話

今日、東日本大震災が発生してから11年を迎えた。

あの日の出来事は大変な悲劇であったと同時に、いかにも日本人らしい人間愛に溢れる感動的な話を数多く生み出した。

そんな中でも私が最も感動した話をここで紹介したい。

恥ずかしいことに、あんなに感動したというのに、出典が分からない。ネットのどこかで見かけたのは確かなのだが、今回、あれこれ検索ワードを試して探してみたのだが、結局、見つけられなかった。

仕方ないので、うろ覚えの記憶のまま、この話を御紹介することにする。ディテールは間違っているかもしれないが、この話の感動的たる部分は不変だ。


確か、この話をしていたのはヒゲの隊長こと佐藤正久参議院議員だったと思う。ここでは彼であったとして、話を進めよう。

ヒゲの隊長は東日本大震災の後、現地を回っていたのだが、そのとき不眠不休で患者のケアをしている医師に出会った。もう少しで応援の医師が来る。それまでは一人で頑張る、とその医師は語っていた。

だが、どう見ても疲労困憊の様子である。ヒゲの隊長は「どうしてそんなに頑張れるんですか?」と尋ねた。

医師は東日本大震災のときの話を語り始めた。

地震発生時、彼の経営する病院には、ベットから動けない入院患者が数多くいた。しかし津波は容赦なく迫ってくる。

彼は看護師と一緒になって、患者たちを屋上に運び始めた。しかし動くことのできない患者は非常に重く、移動させるのは大変に困難だった。

必死に患者たちを運んでいたが、数名を残したところで遂に津波が到達。病院に襲いかかった。

巨大な波は窓を突き破り、中から老婆の乗ったベッドが流されていった。

屋上からこの光景を見ていた医師と、流されていく老婆の目が合った。

そして老婆はこう大声で言った。

「先生、今までありがとう!」

その言葉を残して、老婆は波に呑まれていったのである。


医師は「私はあのお婆さんを見た。残った患者さんは絶対に助けなければならない」と語った。それが彼が体力の限界を超えて頑張っていられる源泉だったのだ。


という話でした。

もし出典が思い当たる方がいたら、教えていただけると嬉しいです。

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