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善き羊飼いの教会 #5-1 金曜日

〈楠〉


     * * *

 タクシーを降りて、舗装されていない私道を進みはじめると、目指していた民家の玄関の扉が開き、竹籠(たけかご)を手にもった老婦人が姿を現した。
「誰かと思えば。あんたがきたのかい?」首にかけていた水色のタオルを外しながら、老婦人が問いかける。
 私道の真ん中に置かれたリヤカーを避けて老婦人との距離を縮め、「遅くなって申しわけありません」感情よりもボリュームに重きを置いた返答をして、黄山はこうべをたれた。
「あのお兄ちゃんはどうしたの?」
「スルガは筒鳥署へ聴取で呼ばれたので、代わりにわたしがお伺いした次第です」
「あぁあ。そうかい。そうだよねえ」老婦人は唇を尖がらせて、水色のタオルを再び首にかけた。「テレビで観たよ。見つかったんだってねえ、治水ダムで。学生さんがふたり荷台に押しこめられていたんだって? あのあと遺体を発見したんだろう?」
「よくご存知ですね」
 老婦人の正面に立ち、黄山は再度こうべをたれて自己紹介した。名刺を差しだす。老婦人は名刺を受け取るなり、竹籠に入った野菜の上に載せた。
「あんたが代理をつとめた探偵さんの、推理したとおりだったってわけかい。テレビじゃ同じ大学の学生を重要参考人……っていうんだっけ? そういう名目で捕まえて、話を聞いてるっていってたけど、その学生ってのが、あれだろ。あんたらが車で向かった教会にいた子なんだろ? だったらあんたも警察署に赴かなきゃいけないんじゃないの」
「そのせいで、お伺いするのが、遅くなってしまったんです」黄山は疲れを含んだ口調でいい、頬を緩めがなら肩をすくめた。「申しわけありませんでした。本当は正午までにお伺いするつもりでいたのですが」
「構わないよ。なんだ、もう行ってきたのかい」
「電話でご相談いただいた筆跡鑑定の件は、スルガの代わりに、わたしが品をお預かりして帰っ――」
「あんた、タクシーできたんだよね?」
「 ? えぇ、タクシーです」
「だったら今日はやめておこうかね。たくさんもたせちゃ悪いからねえ」老婦人は玄関のほうへちらと目を向けて顔をしかめる。
 黄山は素早く二度瞬きし、わずかに眉をひそめた。
「筆跡を鑑定するのは手紙ですよね? 一体、何通あるのですか。わたしひとりでは運べないほどの――」
「手紙じゃあないよ。手紙じゃなくて、野菜。野菜のほう」黄山の言葉を遮って、老婦人は手にもった竹籠をもちあげた。「うちでとれた野菜をね、あのお兄ちゃんにわけてあげようと思って、たくさん用意したんだよ。用意したんだけど、タクシーできたのならまた今度にするよ」
「野菜を、スルガに、ですか」
「栄養が不足してそうだもんねえ、あのお兄ちゃん。食べて元気になってもらおうと思ってさ」
「わかります」笑みを浮かべて、黄山は首肯した。「もしや筆跡鑑定は釣餌でしたか」
「嫌ないいかたするねえ、あんた。心配したのは本当だよ。目の下にくまができてただろう? まあ、電話で話したときの声は、元気そうではあったけどね。空元気じゃなく生き生きして気力があるように聞こえたけど、あれからなにかあったのかい?」
「そういえば、筒鳥署で顔をあわせたときには、憑き物が落ちたような、スッキリした表情に変わっていましたね。ふたりの学生を見つけることができたうえに、即日犯人を逮捕できたので楽になったのでしょう」
「楽に?」
「気持ちが楽になって、気力がでてきたのだと思います。真実を明らかにするのがわたしたちの職務ですから」
「なんだか楽しそうじゃない」
「えぇ。喜びを得られる仕事です」
「そうじゃなくて、あんたの話しかたがやけに楽しそうだと思ってね
「わたしの?」両目を見開き、黄山は瞬間的に視線を泳がせた。「楽しそう、ですか? そう……ですね。そうかもしれません。結果はどうあれ、結末をこの目で見ることができましたので」
「結末? 犯人が逮捕されたときのことをいってるのかい?」
「えぇ。類(るい)を見ない佳局でしたよ。無理をいって手紙を書いてもらって、大急ぎで駆けつけた甲斐がありました」
「事件の行き着く先を見届けたくて、慌ててあの場に駆けつけたってことかい」
「もちろん伝聞でも納得することはできますが、実際に目で見て、耳で聞くことには遠く及びませんから」
「なんだか、心ないねえ」
「はい?」
「……いや、本当に楽しそうに喋るなあと思ってね」老婦人は浮かべていた笑みをスッと引っこめ、鼻から静かに息を抜きつつ、竹籠を足元に置いた。
「それはもう。事件に限らず、ありとあらゆる物事の要所は締めにあるといえますからね。結末を知らなければ区切りをつけることもできませんし、思考も切り替え難くなってしまいますので。よければ、ご覧になります? 最初のほうはうまく撮れていませんが、中盤からはブレもせず、音声もクリアに撮れているんです」
「撮れてって……なにを?」
「犯人の告白場面です」
「告白……なに? 罪を告白したところを、録画してるっていうのかい?」
「えぇ」
「科捜研ってのは、そんなことまでするんだ?」
「いいえ。仕事ではなく、個人で撮っているんです。区切りをつけて、思考を切り替えるためにも、必要不可欠なんですよ、わたしにとっては」
あんたにとって……かい」老婦人は視線をそらして大きく息を吐きだすと、顎をあげて国道のほうを指差した。「……まわっておいで」
「まわる?」黄山は振り返り、指差された方向を見遣る。畑から少し離れた藪の奥――傾斜した森の入り口に聳えている楠(くすのき)を目にとめて、黄山は瞬きを繰り返した。「……うわあ。大きいですね」
「まさか、いま存在に気づいたんじゃないだろうね」
「特別な謂(いわ)れのある木ですか?」
「驚いた。本当にいま気がついたんだ?」
「楠ですね。ご利益がありそう」
「楠のまわりをまわっておいで」
「楠のまわりを……わたしがですか」
「そうだよ」
「まわると、どういったご利益があるんです?」
「いいから。とっととまわって、悪しきものを払っておいで
「あら」
「あら、じゃないよ」腰に手をあてて気怠(けだる)げに摩り、老婦人は眉尻をさげつつ、短く息を吐きだした。「あのお兄ちゃんのことを心配してたけど、あんたのほうがよっぽど心配に思えてきたよ」
「わたしにもお野菜いただけます?」
「いいから、早くまわっておいで」

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