(未完)「オタクは勝手にオナニーして死ね」という人権宣言

模範解答

出所はよくわからないが、某フェミニストはかつて「オタクは勝手にオナニーして死ね」といったようなことを言ったらしい。インターネットを長くやっていた人なら誰でも一度は聞いたことがあるだろう。

これは、なぜか評判が悪い。言葉遣いが汚いことがその理由なのかもしれない。インターネット論客の皆さんにとって、何を言ったかよりもどのように言ったかが大事だから。グレタ・トゥーンベリしかり、「保育園落ちた日本死ね」しかり。

けれど、よく考えてみれば、いや、よく考えなくてもわかることなのだが、「オタクは勝手にオナニーして死ね」という思想は、まさしくリベラリズムの理念を体現する、教科書を暗記した優等生みたいな模範解答ではないだろうか。

リベラリズムとは、市民どうしが、互いに自由を承認する思想だ。自由を認める。そして勝手に死ね。私も自由に生きて、勝手に死ぬ。このような、対等な個人が相互の自由を認め合い、過度な干渉に反対する理想理念。これをリベラリズムと呼ばずして、いったい誰がリベラルなのだろう。

自由なき時代

かつて、自由な時代が存在した。オタクは勝手にオナニーして死ぬ、そのような、犯罪さえしなければ、各人が各人の幸福を追求してよいという自由な時代が。

しかし、もはや、現代は「自由なき時代」だ。好むと好まざるとにかかわらず、もう自由は死んだ。我々は、「美徳ある時代」を、そして「自由なき時代」を生きている。

なぜか。もう、勝手にオナニーして死ぬ自由を認めてくれる人はいないからだ。もう、リベラリズムは死んだ。

性欲そのものが悪になった。誰でも徳を求められるようになった。右翼も左翼もフェミニズムも反フェミニズムも関係ない。みんながみんな、自由を嫌っている。

社会的に望ましい、正しい性愛のみが認められ、そうでない愛は唾棄される。

未来を生きる

けれど、それを恨んでも仕方がない。そういう時代なのだから。もうこれは、運命なのだから。避けられないし、そもそも避けたいと思ってくれる人は左翼にも右翼にも誰もいない。

だから、徳に従って、倫理に服従して、善く生きよう。もう青春は終わった。性の解放は終わった。自由を謳歌する時代は終わった。社会不適合者は、非認知能力のない、社会的に望ましくない人間だとみなされてしまうのだから。

日々の仕事(Sache)に帰れ。

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