なぜ私は哲学をやめるのか
1 私は哲学をやめる
1.1 « 哲学をやめる » とは « 大学院の哲学科を修士で卒業して博士課程に進まない » という意味である.
2 私は倫理学を続けられない
2.1 2023年6月, 突然すべての倫理学の謎が解消した.
2.2 道徳的善は存在しない.
2.2.1 しばしば倫理学者は « その行為は倫理的に許されない » という言葉を使うが, 倫理的に許されなかったらどうなるのか ?
2.2.2 違法な行為をしたら刑罰を受けるという法律は理解できるし, 罪深い行為をしたら地獄に落ちるという信仰も理解できるが, 道徳に反することをしたとして, 何が起こるのか ?
2.2.3 道徳を社会規範として解釈するなら « 非難される » などの社会的制裁を受けると理解できるが, そのように解釈した時点でその規範は倫理学的道徳としての道徳ではなくなってしまう.
2.2.4 道徳を心理的反応として理解するなら, 私の内に道徳法則があることは私の上に星繁き空があるという天文学的配置と同じくらい凡庸な事実にすぎない.
2.2.5 ゆえに, 美も存在しない.
2.3 相対主義は大した問題ではない.
2.3.1 相対主義の主張が « 規範は社会等によって様々なのだから, どの格率に従うべきかわからないではないか » という批判であるとすれば, 相対主義者はいずれかの格率には従うべきであるということを前提としている.
2.3.2 相対主義の主張が前項と同様であるなら, 普遍的規範が見つかったとき, 相対主義者はそれを喜んで格率として採用するはずである.
2.3.3 普遍的格率が存在すると仮定しても, なぜそれに従わなければならないのか ? 倫理学においてしばしば仮想敵となる相対主義はこのような次元にすら到達していない.
2.4 謎が存在しないとき, 哲学を行うことはできない.
2.5 新規性や独自性がないなら, 論文を書くことはできない.
2.5.1 私の説はほとんど Ludwig Wittgenstein の « Tractatus Logico-Philosophicus » と « 倫理学講話 »; 一部 Friedrich Nietzsche のニヒリズム; および永井均『倫理とは何か——猫のアインジヒトの挑戦』(筑摩書房, 2011, 特に pp. 22-7) の借り物なので, 新規性も独自性もない.
2.6 倫理に反する論文を書くことはできない.
2.6.1 道徳的善の実在を否定することは, それ自体道徳的悪なので, 道徳的善の実在を否定する論文を書くことはできない.
2.6.2 « 論文を書くことができない » とは, « リジェクトされる » または « 論文は投稿できるけれどもそのような著者を雇う大学はない » という意味である.
2.7 倫理学の勉強をしていてもちっとも面白くない.
2.7.1 倫理学には哲学的な興奮を感じることができない. 常識的な話しかしないから.
2.7.2 私の話は大抵倫理学者に通じない. もちろん私の表現が稚拙なこともあるが, そもそも研究の目的というか関心が違うのであろう.
2.8 私は倫理学の本を読むと体調が悪くなる.
3 今さら異分野 (哲学内) 転向も難しい
3.1 倫理学を続けることは不可能そうなので, 哲学を続けるならば倫理学以外の分野に転向する必要がある.
3.1.1 « 哲学を続ける » という言葉は « 大学院の哲学科を修士で卒業したのち博士課程に進む » ということを意味する.
3.1.2 « 哲学をする » という言葉が « 大学院の哲学科で研究する » という意味であるとき, 具体的には, 誰か歴史上の哲学者の文献を研究するという方法論を用いることになるであろう.
3.1.3 文献研究には « 哲学と比べて科学的である » という長所がある. また, すでに出来上がっている専門的知識を継承して発揮することができる. これによって大学教員等になって人に教えるための土台が身に付く.
3.1.4 文献研究は哲学にも役立つ. すでに開発されている方法論や議論の蓄積を学ぶことで哲学的思考を鍛錬できる.
3.1.5 倫理学以外で哲学を続けるためには, 徐々に倫理学から遠ざかり他の理論哲学へ接近する方法が考えられる. たとえば « 倫理学もやっているある哲学者を専攻し, 倫理学以外の著作も研究していく » など.
3.2 英米哲学への転向は難しい.
3.2.1 英語があまり好きではないから. あんな正書法読めたものではないから.
3.2.2 学部時代などに積んでおくべきだった分析系・言語哲学の素養がないから.
3.2.3 メタ倫理学はほぼすべて « 英米系・分析系 » であろうが, もはやメタ倫理もあまり面白くないのではないかという疑惑があるから. « それは倫理的直観に反する » などと言われてはたまらないから.
3.3 ドイツ哲学への転向は難しい.
3.3.1 学部時代培っておくべきだったドイツ語能力に自信がないから.
3.3.2 今さらカント等々なんて時間がなくてできないから. 学部時代勉強しておけばよかったが.
3.4 フランス哲学への転向をする意味がない.
3.4.1 フランス現代思想は思想であるから, 倫理学と類似した不快感を覚える.
3.4.2 啓蒙思想などは一周回って面白いのかもしれないが, フランス語も専門にできるほどの語学力がないし, フランス哲学の素養もない.
3.5 中世哲学は敬して遠ざけることにしている.
3.5.1 スコラ哲学はプロテスタントの人が学んでも面白いのであろうかという点は気になっている.
3.6 唯一, 古代哲学ならやりようがある.
3.6.1 一応学部時代に古代哲学の授業を割と取っていたし, 卒論も Aristotelēs を扱ったから.
3.6.2 Aristotelēs なら最初は徳倫理などにつなげて時間を稼ぎつつ徐々に « 第一哲学 » に入っていく道筋も見える.
3.6.3 古代哲学に進む欠点は Aristotelēs を読むと Kant を読みたくなってきてしまうこと.
3.6.4 学振などで自分の研究の意義を伝えづらいという欠点もある.
3.7 哲学自体にやりがいを見つけられない.
3.7.1 役に立たないことをするのは不道徳である.
3.7.2 哲学が役に立たないならば, 哲学は不道徳である.
3.7.3 哲学の中で最も役立つと考えられているのは倫理学であるが, 前述したように倫理学は続けられない.
4 就職する
4.1 以上より, 哲学を続けることは不可能であると思われる.
4.2 よって, 私は哲学をやめる.
4.3 そして, 就職する.
4.4 就職によって不幸になると思われる.
4.4.1 大学院の哲学科に進んだ理由の1つは « Eleanor Rigby のようなただの一般人として死にたくない » ということであった. 研究者になれば一般人を脱することができると考えた.
4.4.2 私はすでに倫理学についての真理を悟ったので, あとは « 余生 » という感覚がある. なので, 不幸になっても構わない. もう一番解きたい謎は解消したから. (2020年ごろにパニック障害から回復したときにも « 2度目の人生 » という実感を持ったが, このときは幸福を目指した.)
4.4.3 哲学の研究者としての道はある意味では幸福なのかもしれないが, それはあくまでも私にとってだけの幸福で, 周囲の人を不幸にしてしまうであろう. それは倫理に反する.
4.5 ハエ取り壺から出たハエは飛んで糧を得なければならない.
2023-07-17
BGM: Justice “D.A.N.C.E.”
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