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觀想生活日記 2024-05-06/26 — 南泉に斬られた貓への同情󠄁

諸󠄀法無我ならどうして殺󠄀生してはいけないのか?

私は南泉に斬られた貓に同情󠄁(mitleiden)してしまう。

寢牀はセックスと死との象徵だ。とはいえ、褥を共にすることはできても、死の牀を共にすることはできない。たとえ心中しようとも、死は取り替え不可能だから。

「寢る」という動詞は性交の隱語でもあり、「眠る」という動詞は死の隱語でもある。裏を返󠄁せば、生きている人は目覺めている人(buddha)に類比的なのだ。

『存在と時閒』の反對:『無または空閒』。

化󠄁學と生物學との關係は、音聲と音素との關係に類比的であると言えるかもしれない。

私は「遠󠄁い」を「とおいい」(低高高低)、「多い」を「おおいい」(低高高低)と發音する傾向があるのだが、方言か何かなのだろうか?

『The Varieties of Religious Experience』をいつかきっと讀もうと思う。

譯あって國立國會圖書館󠄁に行った。千代田線に乘ったら、なぜか周󠄀りが女ばっかで、一瞬、女性専用車輛に乘ったのかと思った。受付の列で女子大生らしき二人組みが雜談をしていて、聞こえた限りだと、「大學の男の先輩が『僕は別に好きで歷史を專攻したわけじゃなくて仕方なくこれを選󠄁んだ』と言っていてやる氣を削󠄁がれた」という話をしていた。でも自分はその先輩の方に親近󠄁感を覺えてしまった。用が濟んだあとは館󠄁內のレストランで「チキンステーキとキムチ風もやし」という定食を食べた。

心の平󠄁安は、大部分、所󠄁有財產の多寡と安定性に依存する。

「チームワーク」というものがどうしても生理的に無理だったので會社󠄁に就職できなかったのだが、しかしチームワークの一切存在しない文系大學院生になって分かったのは、組織の中だと無能でもいないよりマシだが、文系大學院のような個人作業だと(以下略)

2024-09-10
今日の一曲:XG『SHOOTING STAR』


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