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昭和のスーパー塾 伸学社

今の学習塾はどこも無試験で入れるけれど、昭和の当時に無試験で入れたのは学校の授業についていけない子が通う補習塾であって、水準以上の塾(進学塾・受験塾)には選抜試験があった。
当時は子供の数が多かったし、またマスコミの影響からか学習塾通いが一種のブームになっていたのでそんな殿様商売ができたんだろう。
進学塾とか受験塾とか言われていた所には「ウチは賢い子しか入れません。バカな子は補習塾に行ってください」、そう公言しているような所もあった。

が、例外が一つあった。
入塾は無試験だがレベルは日本一だったと思われる塾だ。おそらく今も昔もあそこまでスゴイ塾はないんじゃないか。
当時50名の灘高入試枠に30から40名の合格者を出していた学習塾で、その異常な合格実績がマスコミにも取り上げられていた。
入江塾(イリエジュク)といえば、その年代の方なら「ああ、あの塾か」と思い当たる人も居るのではなかろうか。
正式名称は伸学社(シンガクシャ)。
入江塾というのは塾長の入江伸氏からマスコミが勝手につけた俗称だ。

伸学社のことは、塾帰りに偶然本屋で入江先生の本を見つけて知った。
『学力3、人間7』といったキワモノ的なフレーズとは対照的に合格実績の凄まじさにビックリした。
今も昔も派手なハッタリを喧伝する塾・予備校は多いが、こと合格実績に関してはナカナカ嘘はつけない。
架空実績や水増し合格などといったことはチョット調べればわかるし、何より同業他社が黙っていない。(同業同士の足の引っ張り合いは今も昔も変わらない)
当時、私の通っていた学習塾は関西ではなかなかの進学塾で、勉強以外何の取柄もなかった自分はそのことを密かに心の拠り所としていたのだが、伸学社には到底及ばないことを知ってショックを受けたのを覚えている。

私は伸学社に通っていたわけではないが、後々高校で一緒になった伸学社出身のクラスメイトから色々なエピソードが聞けた。
中学3年で高校1年の勉強を終わらせているとか、塾生は全員丸坊主だとか、果ては24時間寝ずに勉強し続けるとか、巷間さまざまな虚々実々があったが、当時おそらく日本一であったろうスーパー塾の内部事情をそこの元塾生から直接聞けたのは感慨深かった。

後編につづく

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