さあ帽子を取っていますぐSEXを巡る冒険に出かけよう!

私は過去に少し変わった出来事の被害者だった。
変わったという言い方をするのは変かもしれないが、あるといえばある事だし、しかしその辺りに沢山いるかといえば、そんなに居ないと思うのだが…

簡単に言えば…私は実は幼稚園入学前に誘拐された。

誘拐された先で性的な虐待があった。
相手は少し知能遅れの中学生と高校生くらいの二人組で兄弟のようだった。

あと一歩という所で彼らの姉とおぼしき人が家のすぐちかくまで送り届けてくれたのだが、その事件のせいで祖母が買ってくれた自転車をなくしてしまった。

その頃母親は軽いノイローゼのような状態で、4つ下の弟もおり、私は結構ネグレクトに近い状態で育てられていたと思う。母親にお願いして洗髪して欲しいと言うのだが、週に1回と決められていた。服も髪型も自分の思い通りの事をさせてもらえず、母のイメージの中の「ボーイッシュ」な私を押し付けられていた。

まあ誘拐の話しは永くなるのでいつかここに書くことが出来たらと思っているのだが、そんな事もあり、私は良くメンタルの本を読んでいた。ようはその頃には良くわからず、母親もまた認識外だった「トラウマ」が後遺症として成人後に出てきてしまった。

実は私はこの事件をずーと永い事忘れていたのだが、ある日出勤の途中で外の風景をぼんやりと眺めていたところ、急に「フラッシュバック」という事が起きて、一瞬にしてその時の事を追体験したのだ。

追体験したその事を思い出し、その前から家庭の問題(母親のネグレクトや支配等)で過食症等を発症していた事もあり、メンタルヘルスクリニックに通院していたのだが、そこにその事を伝えた。

まあこの問題は結構未だに顔を出してくるので、完治というのは無いのだろうとは思うのだが、そうした恐怖体験を経験している事もあり、良く自分の気持の行き先をどうしてよいのか分からなくなってしまい、そうした時解決策を本に求めた。

普段は長文等を読むのが不得意なのだが、その時ばかりは海外のメンタルヘルスに関する書物の日本語版を漁るように読んだ。まるで砂に水が吸い込むようにどんどんと読む事が出来て1日に1冊位を読んでしまう程の勢いだった。

その頃「インナーチャイルド」というブラッド・ショーという人が書いた本を読んだ。内容はまあ置いておくとして、その

本の最後に
「SEXは大人の”あそび”である」
というような感じの事が書かれていた。
「だからあなたはSEXを楽しむ権利があるのだ」
とも(多分)

その言葉を聞いて「目から鱗が落ちた」とはこの事だと思った。

それまで私は「女」に生まれた事をある種の重荷のように感じていた。
日本には古来より女性を「不浄」とみなす風習がある。

相撲の土俵には女性は入ってはいけないと言われている。
また、日本には聖域という場所があり、そこには不浄の者である女性は入っては行けないのだ。

誰からかそう言われた訳では無いのだが、私は子供の頃から、自分が女性である事が嫌で仕方なかった。
なんで男に生まれなかったのだろうといつも感じていた。
だからと言って女性を愛するようなタイプでは無いらしい事も自分で試してみた結果わかった事だった。
(この話もいつか書きたいと思っています。)

なので自分の「性別」の延長上にある「性」についても良くわからなくなってしまっていた。
成人して会社に勤める年になっても女性である事は不自由なような気持に良くなった。

自分とは?
女性とは?

その狭間でいつも揺れていたように思う。

そんな私が、自分の精神的成長を促したいと熱望し、必死に読んでいた本の中に「SEXは大人の遊びである。だからあなたはそれを楽しんで良いのだ」と書かれて居た訳である。

もちろん経験はあったのだが、SEXを楽しいと私は思った事がなかった。
なので、驚き、楽しむ事なのか!と思い、そして自分がそのような「大人の遊び」を知らない事に非常に残念な気持になった。

そして、私は一大決心をするのだ。
私は女性としてセックスについて本気で考えてみようと…。

そして、まずは気になって仕方がなかった「Hバー」へ行ってみようと決心した。
当時はまだいまのような強い規制もなかったのでは無いだろうか?

とにかく他人がどんな風にSEXを楽しんでいるのか見てみたい!
これが私の最初のこの「非情に個人的な性にまつわる冒険」を始めるキッカケとなった事柄だった。


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