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読書の見せてくれた世界

代本板(だいほんばん)。

今や文字変換すらされない懐かしのアイテム。今もあるのかな? 図書館で本を借りる時、借りた本の場所に差し込んでおく、自分の名前が書いている台形の板のこと。

小学校の昼休み。お腹が満たされたクラスメイトが運動場に駆け出していく一方、私はたいてい図書館か誰もいなくなった教室で本を読んでいた。小学校低学年のころ、図書館は古い木造校舎にあり、階段の飴色に光る厚い床板は児童が踏みしめてきた場所が滑らかにすり減るほど年月が経っていた。隣には理科室があったように覚えている。古い木造校舎にある理科室。そこに置かれたホルマリン漬けの標本は昼間でも不気味だった。中学の時には、一時期、校舎の工事の関係でいくつかの書架が図書館から教室に移設され、本に囲まれている景色はそれだけで幸せだった。私にとって図書館は好奇心の爆発する場所。図書委員を何度も務めたし、図書館の少し埃っぽい匂いも好きだったし、貸出カードに名前を書く瞬間も好きだったし、本に囲まれていることは安心そのものだった。

「読書っていうのは別世界に行けるんだ」。この強烈な感覚を最初に知ったのは、中学の時に「モモ」(ミヒャエル・エンデ)を読んだ時だった。紙に印刷された文字を読んでるだけなのに、脳内で何かが弾けてトリップした瞬間を今でも覚えている。読書、まさに麻薬。自分がいる場所も時間も消えて無くなる。私にとっては映画よりもアミューズメントパークよりもその作用は強いようで、読書による最上のトリップ感に他のものは到底及ばない。その麻薬をこれまで何度も何度も味わっているし、そのために今も読書を続けている。新しいことを知りたい、見たことのない世界を体験したいなどいろいろな理由がいくつもあろうが、あの脳内麻薬が出始めるあの瞬間、ゾクゾクしたものが予感される瞬間をいつも待っている。

そういえば、物心ついた小学生のころから「存在」や「時間」というものがとても気になっていた。40人ほどの児童が同じ机の前に座り授業を聞いている様子を眺めていると、「私は私が自分だと認識しているが、隣のM子はM子を自分だと認識している。私から見る世界とM子から見る世界は違うの? 私の中には『M子の自分』は存在しない。じゃあ自分って何? 意識って何?」と考えはじめて頭がグルグルしてくる。また、長い校長先生の話を聞きながら、「30分後にはこの話は終わっている。今と30分後は分断されているように思えるがこの間をつなぐ時間は?」。そして、「学校に私がいる時に家は存在するのか。学校にいる自分には家の存在を確認することができないのに、存在すると言える根拠はあるのか」など。こう書くと、なんともめんどくさい小学生のように思えるが、当時は漠然と考えていただけで、言語ができるようになったのは、やっと高校生になった頃である。

こういう疑問に小中学校の勉強は答えてくれない。周りの大人に聞くこともなかった。数学でマイナスの数やルートが出てきたとき、その概念には多少ウキウキしたが、それでも直接の答えではない。

そんな時、本の中にその答えらしきものを見出すことができた。本の中では時空を旅することや時間を止めることだってできるし、ありえたかもしれない世界を同時に二つ体験することだってできる。主人公と他の登場人物それぞれの視点から見た文章が展開されると、他人の自我について謎に思っていた答えが少し得られた気がした。読書のおかげで、数々の本のおかげで、最初に持った些細な疑問を忘れることなく持ち続けることができたのだと、今になると分かる。果たして高校生になり、存在や時間などを直接扱う学問「哲学」を知り、大学では哲学科へ進むこととなる。

高校生になると純文学に目覚め、三島や太宰、遠藤周作、大江健三郎などを読み始めた。安部公房やカフカの不条理文学はダントツ好きだった。いろいろ紆余曲折し、今はイタロ・カルヴィーノとドストエフスキーが一番好きな作家。

しかしひとつ問題があり、読書量はそれなりに多いのだが、読んだ本の題名と内容を忘れてしまう。それでも衝撃を受ける本はあるもので、それは読んだという「記憶」というよりも「体験」に近いものだと常々感じている。読みながら本の中の世界を体験する。すごくリアルな夢を見ているのとほぼ同じ感覚だ。強烈な「体験」は忘れない。そういう本との出会いを求めて毎夜ページを繰っている。

このように、読書体験はとても個人的なものだった。本屋さんに行って気になった本を手に取り読む。気に入った作家がいるとその作家の本を片っ端から読む。今ならAmazonのおすすめを参考にする。外面的には読書はただの趣味であり、結果、大量の本が場所を取っていくだけだった。読書会への参加やレビューを書くなど、本に関する活動をしたことはなかった。

そんな時にふと見つけたのがこのサイト。書評を集めたブックレビュー・アーカイブ「All Reviews」。

それまで書評というものをあまり気にしたことがなく、ただの「この本オススメですよ!」という文章だと思っていた。でもこのサイトに出会って考えが一変した。多大な見識を持って本が読まれ書かれた書評はそれ単体で一読の価値があり、書評を書いている人たちはただの読書好きなど到底たどり着けない深さで本を読んでいる。自分の読んだことのある本を探して書評を読み、あぁそうだったのかとショックを受け、新たな本を探すためにいくつもいくつも記事を読んでみる。とにかく本好きの人ならば底なし沼であること間違いなし。並んでいる名前も「無料で読めていいんですか?」という人たちばかり。読みたい本、無限製造機。

今年4月からは、このサイトに校正ボランティアで参加させてもらっており、空き時間に1件ずつ校正をしている。ただの「個人的な閉じた体験=読書」だったものが、All Reviewsのおかげで外向きのものへと少し変わった。こう書いてみると、私にとって読書は人生の大切な要素であり、ほぼ毎日続けているという点では音楽を超えている。

同じような本好きの方。本を読んでみたけどどれを読んでいいの分からない方。ぜひAll Reviewsをのぞいてみてください。何か見つかるかもしれません。

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