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夏休みの景色

母方の祖父母の家は、高知の山間部にあった。

夏休みが始まると、私たち家族四人は父の車で高知へと出発する。当時、うちの車にエアコンはついてなかった。夏は今ほど暑くなかったが、それでもちゃんと夏の暑さだし、まだ高速道路が通る前なので片道軽く4時間半、半分くらいがくねくね山道の旅だった。車酔いしやすい子供には過酷、大人にだってそれなりに過酷だっただろう。そういえば、周りの車にエアコンが付き始めた頃、「エアコンついてるふりをしよう」と見栄を張って窓を閉めたことがあったが、数秒でギブアップして窓を開けた。

小学校低学年の間は夏休みに部活動もないため、夏休みのほとんどを高知で過ごしていた。父の車で県境のドライブインまで行き、そこでじいちゃん達と合流し、母と弟と私はじいちゃんの車で高知まで行くのだった。

じいちゃんは何でも高級なものが好きな人だった。お金持ちだったとかそういうことではないが、高いものが好きな性格だった。だからドライブインでは、「食べたいもの食べや」ではなく「高いもん食べや」と値段の高いステーキやハンバーグをいつも勧めてくれた。ハンバーグはともかくステーキを食べることはほとんどなかったため、特に食いしん坊で肉好きな弟は大喜び。値段の高いものを食べや。じいちゃんはばあちゃんにも同じように「高いもの食べや」と勧めるのだが、ばあちゃんは自分の食べたい親子丼を注文し、じいちゃんは「家でも食べられるのに」と言っていた。

そういえば、じいちゃんはとても偏食家だった。そして家族と一緒にご飯を食べない習慣だった。一階の台所で晩御飯の準備が整う頃、二階から降りてきて、食べたいものだけをお盆に乗せて持って上がり、二階で一人でテレビを見ながら食べる。野菜は大嫌い、魚もあまり好きじゃない、刺身は好き、肉大好き、甘いもの大好き。じいちゃんの部屋のテーブルの下には八番館の赤い缶があり、その中にはキャラメルなど美味しいものがたくさん入っていた。お菓子をくれるのはじいちゃん。じいちゃんはそういう人だった。

1ヵ月くらいの高知滞在の間、ほぼ同い年のいとこ達4~8人と一緒に過ごしていた。

お昼ご飯を食べて少しお腹がこなれた頃、いとこ達と歩いて数分のところにある町民プールに毎日泳ぎに行った景色を憶えている。町民プールは25mのコースがいくつかある学校にあるような普通のプール。そこで数時間泳いで遊んでるうちパラパラと夕立が降り始め、それを合図に私たちはプールから上がる。プールですでに濡れているから夕立なんて気にもせず、水着の上にタオルか何かを羽織ってずぶ濡れで歩いて帰った。

その頃はほとんど毎日のように4時ごろ夕立が降っていた。夕立の後には気温も湿気もぐんと下がり過ごしやすくなる。

家に帰ると、ばあちゃんが切ったスイカや茹でたトウモロコシを出してくれる。それにかぶりつき、プールで消耗したエネルギーを補充する。そうすると自然と眠たくなり少しだけ眠る。その頃の眠りは、それもエネルギーの補充だったのだろう、小さくても重さのあるものだった。貯めたエネルギーを遊びで一気に使い果たし、無くなると補充し、また使い果たす。

少し寝て起きると晩御飯の時間。小さな子供がたくさんいる食卓を毎日遂行するのは大変なことだっただろう。当時の私には、ただただ楽しい時間だった。ワイワイとご飯を食べ、食べ終わった人から自分の食器を流しまで運ぶ。それがばあちゃんちでの食事の決まりだった。

週に数日、夜には近所の集会所での盆踊りの練習に参加していた。高知といえばよさこい。地元の子供連に参加して、幼稚園の頃から毎年踊っていた。よさこいが好きすぎて、私は幼稚園の入園面接の際、「好きな曲を歌ってください」と言われて「よっちょれよ、よっちょれよ」と歌ったそうだ。とにかくよさこいが楽しくて、鳴子を手に踊ることが喜びだった。

私たちが参加していた子供連とは別に、大人のチームがあった。その連は生演奏のバンドがついている町を代表するチームだった。そのチームには高校卒業するまでは入れないというルールがあり、その頃、私は「大きくなったらその連に入るんだ」と決めていた。とにかく子供だった私が全身で楽しいと思っている同じ踊りを、大の大人も全力で踊り、演奏している、そのことが喜びだった。

練習が終わり家に帰っても、練習のあった夜は体の中の音楽は止まらず、自然と体が動く。そんなぴょこぴょこした状態のまま、子供チームは続々とお風呂に入る。

8月15日、お祭り本番の日。いとこたち皆、おそろいの法被を着て、ねじり鉢巻きを締めて、女の子は少し化粧をしてもらう。気持ちもぐっと高まる。

踊りは集会所からスタートした。ゆっくりと先導する地方車の後ろを、心も体も踊りながら進んでいく。町内をぐるりと踊り回った後、小学校のグランドへ到着。そこには屋台も出ている。夏祭り。そのグランドでも何度か輪になって踊る。確か、最後にはどのチームの人も一緒になって、あの生演奏で踊る時間があったように憶えている。よさこいは、今では各チームがいろいろなアレンジと振り付けをしているが、その頃はひとつのアレンジひとつの振り付けだった。

同じ曲を延々と流しながら同じ踊りを延々としていると、少しずつトリップしていく感覚。踊る阿呆に見える景色。

練習の夜でも体の中の音楽は止まらないのに、本番の夜は止まろうはずがない。たぶんテンションが高いままだったのだろう。そして、そのままぷつっと切れるように寝たのだろう。

山間部の夜は涼しく、心地いい風が窓から窓へとするする抜けていく。そういえば窓からオニヤンマが飛び込んできて驚いたこともあった。

そうして眠りにつき、朝起きると、また同じような一日が始まる。

始まるころには永遠に終わらない気がしていた夏休みも、いつかは終わる。迎えに来た父の車に乗り込み、車がゆっくりと進み始めると、緩やかに下る坂道からは、ずっとずっと手を振ってくれるばあちゃんが、手だけになってもいつまでも見えていた。

プール、夕立、スイカ、トウモロコシ、鳴子、ばあちゃんの手。これが私の夏休みの景色。

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