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私が実現したい「愛のパートナーシップ」とはどのような関係性か①



1ヶ月の毎日Blogランニングを終えて・・・。


中秋の名月を越え、秋が深まってきた。
8月から突然はじめたnote。
ほぼ1ヶ月、毎日連続投稿をして気がついたこと。
書くことで、自分の半生を振り返るいいきっかけになり
日々の行動の振り返りの良きペースメーカーになっている。
自分という輪郭をただ一人でなぞるだけではなく、
いつも一緒に生きている仲間のひとりから
力を借りて文章を書いていくという作業。
とっても楽しかった。そしてめちゃくちゃに怖かった!!
(彼女はプロの編集者でもあるので学びは本当に深かった)

さて、自分の中にまだ蓄積されている膿を
吐き出すだけ吐き出した1ヶ月を経て、
今、私が取り組もうと思っているのは次のフェーズ。

パートナーシップに関する記事を書いた時
上述した仲間の一人である
私の所属する「株式会社在る森のはなし」社長のひとり
ひとみちゃんがこんなことを言ってくれた。

“どんな自分で、どんな人と、どんなふうにパートナーシップを結んだら、結果は違ったでしょうか? 世の中のロールモデルと過去の自分を比較して、そのことについて考えてみましょう。”

そう、私はパートナーシップに失敗ばかりしてきた人生だった。
離婚した直後は
「もうパートナーシップにはこりごりだ。
もう友達だけでいいし、彼氏も夫も必要ない。
私には不向きだったのだ」と、後ろに下がっていたけれど
それでは、自分の人生を楽しく充実したものへ
進めるのにはあまりにも悲劇的だと感じているし、
私のような女性に渡せる勇気は何もなくなってしまう。

満を持してひとみちゃんからのお題への考察をしてみようと思う。

2度の離婚を経験した私は、
●どんな自分で
●どんな人と
●どんなふうにパートナーシップを結んだら
結果が違ったのだろうか。


どんな自分でいればよかったか


私の過去のパートナーシップ
を分析してみる。
〜自律しない関係性〜


【失敗パターン1】
・相手に対して、何をしても何を言っても私を許してくれる存在だと思い込んでいた。
・相手を罵ったり馬鹿にしたりしていた。本人の前でも、陰でも。「いじり」の限度を超えていた。
・相手のセンスを見下していた。
・相手が優しすぎるが故にいつも彼がどこまで私を許してくれるのかを試していた。
・食事の全てを彼に作ってもらっていた。(私の帰宅が遅かったために彼が率先して作っていた。最後は私がキッチンに立つのも嫌がられた)
・彼の家計を顧みないギャンブルを容認していた。
・自分の仕事を優先してほぼ平日は顔を合わせず、週末はどちらかの実家に帰るか友人を交えてアルコールのある場で過ごすという生活をしていた。=素面で2人きりで話し合いができない
・自分も仕事をして対等に生きていかなくてはいけないと思っていた。むしろ私の方が稼いだ方がいいと思っていた。
・女性性を無視した立ち居振る舞いをしていた。
・友人からは「おしどり夫婦」と思われていた。内情、表面では仲のいい夫婦であったが、コミュニケーションは絶望的で、思うようにならないコミュニケーションに対し私はヒステリックに泣き、怒り、喚き、ここに対して彼は一歳の口をつぐんだ。


●どんな自分だったのか●
・相手の人権を無視するほどに支配的だった
・自分の不機嫌を全面的に相手のせいにしていた=自分の機嫌の責任を相手になすりつけていた=相手に甘えきっていた
・金銭面での合意形成が全く取れなかった
・対話を放棄し感情だけで相手にぶつかっていた
・女性性を捨てていた
・対等に生きたいと考えているがお互いがマウントを取り合っていた

●どんな自分だったらよかったのか●
・相手の未来を尊重した関係性を築くべきだった
・自分がなぜそんなに不機嫌なのか自分で分解して冷静に分析し解決策を見出すべきだった
・金銭面では一緒にプランニングをして共有すべきだった。相手にその気がないのであれば相手のニーズをしっかりヒアリングすべきだった。話し合う素地もなければヒステリックにならずに冷静に夫婦解散への方向を探るべきだった
・感情でぶつからずに冷静に話し合いを持ちかけるべきだった
・男性性を尊重し、自分を大事にする女性性を保つべきだった
・対話を実現するためには?を冷静に考えるべきだった=関係機関に相談するのも吝かではなかったはずだ。
・その前に、何をさしおいても、「自分の夢」の実現のために奔走すべきだった。それができない、無力な自分を演じていた。



【失敗パターン2】
・この人の魂を浄化できるのは私だけだろう。と思い込んでいた。=自分のレベルの見誤り
・彼を救うためなら火の中・水の中と思い込んでいた。私だけが苦しければいいと思っていた。
・彼が生きる喜びを実現できたら他に何もいらないと思っていた。
・この人の人生の苦しみを全て背負いたいと思っていた。
・芸術的センスなどに絶対的な信頼を置いていた。
・全ての優先順位は彼のためにあっていいと思っていた。
・彼の良いところしか見ないようにしていた。
・彼を攻撃するものから彼を守ろうと必死だった。
・食事の全てを私が作っていた。
・価値基準の軸のほぼ全てを彼に委ねていた。
・対話をあきらめていた。
・彼から愛されるために姿形を歪めていた。
・彼が怒るのが怖いので彼の健康を害するもの、生活習慣に対し容認していた。
・彼を目の前にすると自分が無力であると信じ込んでいた。
・暮らしの大半の時間を共有すべきと思っていた。
・彼の言動に対して過剰に我慢をしていた。
・彼の心地よさのためだったら自分の心地悪さは後回しにしていた。
・我慢に我慢を重ねるので溜まりに溜まった際爆発してしまう。話し合いが立ち行かなくなるとパニックを起こして相手に対し攻撃的な側面を見せ、相手を辟易させた。

●どんな自分だったのか●
・自分の人生、やりたいこと、夢などすべてのことを彼と共にいることを基準に決めていた。
・無力な自分を愛してもらうために必死で縋るように生きていた。
・自分の姿形を隠していた。=自由で朗らかで気丈でのびのびとした気質を捨てていた。
・パートナーは対等であるという概念をまる無視していた。
・努力をして自分が変化し強い自分になったら彼と一緒にいられなくなると
 思っていた。=今のままでいい、現状維持を保つことに尽力した。

パターン1とパターン2の「自分」を比較してみると、
パターン1で失敗したと思い込んだ自分がパターン2で思い切り対極に振り切ったという実態が明らかになる。

●どんな自分だったらよかったのか●
・相手の人生に思い馳せ、自分の人生とすり合わせをした時に、同じ方向に
 進めないと気がついたのであれば、もっと早く結論を出すべきだった。
・感情でぶつからずに冷静に話し合いを持ちかけるべきだった
・男性性を尊重し、自分を大事にする女性性を保つべきだった
・対話を実現するためには?を冷静に考えるべきだった=関係機関に相談するのも吝かではなかったはずだ。
・その前に、何をさしおいても、「自分の夢」の実現のために奔走すべきだった。それができない、無力な自分を演じていた。



私の命は私だけのもののはずなのに


私は常に、共に生きる男性に合わせていく、という常套手段を持っていきていた。
なぜその場所から自分を建設的に育てられなかったのだろうか。
どんな自分だったら良かったのか、という部分に関して言えば、パターン1でもパターン2でも同様の「在るべき自分像」が浮き彫りになる。

・感情でぶつからない
・女性らしさを育む
その前に、「自分の夢」の実現のために何をさしおいても、
 奔走すべき。


自分の生活で守りたいもの、大事なものを持ってきていないから
全て捨ててきてしまっているから、
守るものが何なのかわかっていないんだよ、きっと。
だから捨てて相手に合わせてしまっていることにすら気づかない。
貴方が快適に暮らしていく上で譲れないものや大事なものを
きちんを掴みましょうね。

金子ひとみの言葉より



なぜこんなにもパートナーシップで失敗を繰り返すのか


さて、2回の離婚を繰り返した私は、いったい何故こんな風にパートナーシップで失敗を繰り返したのだろう。

2回目の離婚は、1回目の失敗の影響を大きく受けていると考えられるが、1回目、私はなぜあんなにも支配的でヒステリックで、相手と向き合えないほどに仕事に逃げていたのだろうか。

2回目の離婚に関しても、なぜ、相手の人生を潰す方向に舵を切り、自分の人生も顧みないまま突進したのだろうか。


パートナーシップとは、相手との間だけにあるものではなく、それまでの自分の人生の通知表のようなものです。そこに、どんな自分で生きて生きているのか、という姿がありありと現れます。そこを見つめ直して直さない限り、相手を変えて、相手との間にある振る舞い方を変えても、結局似たような結果に落ち着いていきます。そのサイクルを超えていくにも、もう少し自分を構成してきたものを視野を広げて分析しましょう。

金子ひとみの言葉より

次回、続きます。


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