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山口県長門に移住する(14):とうとう私の場所が見つかった!

惚れ込んだ土地のオーナーさんに手紙を出してから、
約一ヶ月後に小倉でお目にかかった。

あの土地がアパートになる前は、
F家の住居だったこと、
お父様の代で、宇部に移ったこと、
ご自分は、アパート完成時を含めて、
数回しか湯本を訪れたことがないこと、など、
土地やF家にまつわるお話しを主に伺った。

F氏が未だ小学生の頃、湯本に来たときに、
アパート横にあったお店の方が、
ジュースをご馳走して下さって、
それがとても美味しかった、と
話されたのが、印象に残った。

そのお店は、「思い出」という名のスナックで、
女性ふたりが切り盛りしていた。
お二人とも、大層な美人さんで、
連夜、たくさんのお客さんで賑わったそうだ。
家が傾く位、お金をつぎ込んだお客さんもいたらしい。

そして、カッコイイことに、
そのお二人は、たっぷり稼ぐと、長い間お店を閉めて、
関西の温泉地に出掛けていたそうだ。

そんなに流行ったお店があったとは、縁起がいい。
聞けば、大きな青大将もお住まいらしい。
青大将がいる家には、お金が潤沢に入ってくるというし、
何から何まで、幸先がいい。

小倉で初めてF氏にお目にかかったときは、
そんな世間話を一時間ほどしただけ。
売買契約については、
その後、携帯メールでやり取りした。

土地建物の評価書と売買契約書は、
地元の不動産会社が、
実費で作ってくださった。

再び、F 氏にお目にかかって契約書を交わすとき、
あの土地と建物を相続したのは、
F氏に他に、二人の弟さんであることを知った。
F氏は、その方達からの承諾も事前に取って下さり、
「まちに貢献できるなら」と、
契約書に印鑑を押して下さった。
 
手紙を出してから、
登記が済むまで、約4ヶ月。

契約書を胸に抱いて、小倉からの帰り道、
ドキドキが止まらなかった。

とうとう手に入れた、私の場所。
信じられない気持ちだった。

場所を探し始めてから、約2年、
たくさんの方々が、助けて下さった。
私ひとりでは、到底ここまで来られなかった。
有り難くて、有り難くて、涙が出た。


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