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#5 Self-driving Car (5章全文掲載)


 飲みかけのインスタントコーヒーは、すっかり冷めきっていた。どれほどの時間が経過したのかはわからない。ワイヤレスイヤホン越しに聞こえてくる金丸の話は、拓真を惹きつけるには十分すぎるほどの内容だった。

 自分は運命なんて信じない。ユースに昇格できなかったことは、運命でもなんでもなく自分の実力不足だ。口先では誰かのせいにしてしまう。しかし、本当は心の中では理解しているのだ。

 だが、今回のことはどうだろうか。ユースに行けなかったことがきっかけで始めたアルバイト先で、先輩から今回の説明会を聴くきっかけをもらった。あのPINEがなければ、引退した選手のニュースなど、気にも留めていなかっただろう。

 ましてや、あの日は偶然にも将来の夢を何気なく中田に吐露したタイミングだ。休憩時間の会話がなければ、先輩から連絡を受けることもなかったに違いない。中田からの連絡をうけたあと、金丸のことを思い出そうと、Pickipediaを調べたが、拓真が将来的に行きたいと思っているスペインでのプレー経験があることも気になった点だ。

 そして、何よりも金丸が言った、「自分でプランニングをしていく」という言葉だ。その考え方は、拓真が通うIoT学園の理念とも一致している。拓真はそこに惹かれて入学を決めたのだ。聞き逃すはずがない。
 これを運命と呼ばず、何を運命と呼ぶのだろう。まるで何かの糸で引っ張られているかのようだ。拓真は、酸味が増したコーヒーを一気に飲み干し、応募フォームのURLをクリックした。

 応募フォームを進み、住所などを一通り打ち込んだあと、顔認証の画面に切り替わった。拓真は、パソコンに内蔵されたレンズに顔を向け、Optionキーを押しながらカメラマークをクリックした。ダメだ。なぜか上目遣いに映ってしまう。2,3回撮りなおしたあと、しぶしぶ納得した1枚を添付した。予めスマホで撮影した学生証も、同じ画面内に添付し、すべての入力が完了した。送信ボタンを押し、あとは認証後の受付証明を待つだけだ。

 ふーっ、と息を吐きながら、背もたれに身体を預ける。目線の先には、少し色褪せたレアンドレのポスターが貼ってあった。一体彼にどこまで近づいたのだろうか。この決断で自分が思い描く未来を切り開く。拓真は改めて強く誓った。

 ダイニングテーブルには、色とりどりのタルトが並べられた。食後のデザートだ。中岡が会見の前に買ってきてくれたもののようだ。冷蔵庫に入れていたためか、冷たくてフルーツの香りが引き立っている。萩中がフォークに手を伸ばそうとした時に、皿の横にコーヒーカップが置かれた。「今日は特別だぞ。なかなか普段飲めない高級豆だ」金丸はそう言いながら、カップに淹れたてのコーヒーを注いだ。

 「なんという豆ですか?」萩中が訊くと、金丸は嬉しそうに「パナマ産のゲイシャだ」とこたえた。話には聞いたことがあるが、初めて口にする豆だ。萩中はゆっくりと口元にカップを持っていき、香りを楽しみながらゆっくりと啜った。美味しい。繊細な味の違いまでは表現できないが、これまで飲んだどんな一杯よりも酸味と苦みのバランスが良い。

「至れり尽くせりですね。本当にありがとうございます」萩中は2人の方を向き、素直に感謝の気持ちを述べた。金丸と中岡は、何も言わず、口を閉じたまま笑っていた。その直後のことだった。奥のパソコンの通知音が鳴り、3人は一斉に音のなる方向へ身体を向けた。

 「嘘だろ?まだ会見終了後から2時間ちょっとしか経ってないぞ」中岡は驚きの声をあげつつ、パソコンへ近づいていった。画面に映っていたのは、赤字で示された「新規応募者」の文字だった。
 「予想以上の早さだったな。正直、今日の間は1通も来ないと思ってた」金丸がテーブルに肘をつき、顔の前で手を組んだ。
 「そうなんですか?僕はてっきり応募が殺到するものかと・・・」萩中が金丸の方を見て言った。
 「いや、それはないという予想だった。それだけ、行動に移すっていうのはハードルが高いんだ。世の中には、お前のように、思い立ったらすぐに実行できる人間がいる。ただ、その数は限りなく少ない。行動に移そうとしても、不安が膨らみ、できない理由を挙げたり、自分には能力がない、と卑下してしまう。だけど、すぐに実行できる人間は、できない理由ではなく、やりたい理由を並べる。俺はそういう人間が道を切り開くと信じている」金丸の言葉に熱がこもった。

 「金丸の言った通りの人物かもな。すごく面構えが良い。見てみろよ、この志望動機を。素晴らしい感性じゃないか」中岡が2人に手招きする。
 金丸と萩中は、言われるままにパソコンの方へと向かった。なるほど、黒目が大きく、澄んだ印象を与える。素直そうだ。ただ純朴そうに見えるだけではなく、写真全体から意志の強さのようなものが覗える。中岡は、2人が写真を見たことを確認し、志望動機の欄へとスクロールした。そこには、たった1行の文章が記されていた。

 「ピンと来て応募しました。人生を変えたいです」



 階段を降りると、リビングの方から話し声が聞こえた。どうやら話題は自動運転車のことのようだ。運転中の負荷が減るのは良いことだが、購入を検討するには時期尚早と見ているらしい。拓真はリビングのドアをそっと開けると、母親と目が合った。

 「授業だったの?もうすぐ行くって言ったっきりなかなか降りてこないから、ラップしたよ。レンジで温めて食べて」
 「ああ。ちょっとやることあってね。いただきます」拓真はお皿を持って台所へ向かい、レンジの扉を開け、「600ワット2分」と言った。背中では、再び自動運転車の会話が始まっている。拓真は、自分が決断したことを伝えるために、両親の会話に入るタイミングを覗った。

 「あのさぁ、自動運転車だったら、やめといた方がいいと思うよ」拓真が唐突に話し出したため、両親の会話がピタリと止まり、父親が振り向いて訊いた。
 「どうしてそう思うんだ?」
 「この前ロードバイクで走ってる時に、ふと思ったんだ。自分でスピードのコントロールができない乗り物なんておもしろくないって」
 「何がおもしろくないって思ったの?」母親が追いかけるように訊いてきた。
 「いや、ただ、なんとなくね。俺は好きじゃないなって・・・」拓真は、自分自身から発せられる曖昧な言葉に、時々嫌気がさすことがある。伝えたい気持ちが溢れてくるが、どうしても言葉にならない。
 「そうか。自分の気持ちに正直になることは良いことだ。大人になるといつも頭だけで考えてしまうから、お前の意見がすごく参考になるよ」父親はそうやって、言葉にできない息子の態度を認めてくれる。今から話すこともきっとそうだ。自分で決めたことだからって認めてくれるだろう。だが、自分が知りたいのはそんなことじゃない。レンジから、温め完了のアラームが聞こえた。拓真は音の方向は一切振り向かず、真っすぐに父親を見て話した。

 「あのさぁ、実はさっき降りてこなかったのは理由があって・・・」
 拓真は、できる限り両親がわかりやすいように話そうと努めた。サッカーに疎い母親には、金丸健二がどのような人物なのかを丁寧に説明した。ユースに昇格できなかったことから、運命のようなものを感じたことまで、順を追って話した。そして最後に、「応募すると決めてボタンを押した」と言った。少しの間だが、沈黙が生まれた。それは1分間だったかもしれないし、3秒間だったかもしれない。拓真にとっては、いつも以上に長く感じられる時間だった。父親が、おもむろに口を開く。

 「お前が決めたならいいよ」
 拓真は黙って下を向き言った。「父さんは、なんでいつもそうやってすべてを認めてくれるの?」
 「えっ?」息子からの意外な言葉に、父親が眉を顰める。
 「退学の時もそうだった。辞めると伝えた時も、うまく説明できなかったのに、今と同じように認めてくれた。全然反対しないよね?理由も詳しく聞かないよね?だからいつも決めた後で心配になるんだ。本当にこれで良かったのかなって。友達にはいろんなことを言われた。部活に入ってないとプロから声がかからないとか、途中で辞めたら将来就職に不利だとか。父さんは、僕の将来に不安はないの?」拓真は心に引っ掛かった気持ちを吐き出した。

 「拓真は将来が不安なのか?」父親が優しく訊いてきた。
 「えっ?そりゃ不安がないって言ったら嘘になるけど・・・」
 「じゃあ、さっき応募のボタンを押した時も、不安でいっぱいだったのか?」
 「いや、ワクワクした気持ちだった」拓真は素直にこたえた。父親はもう一度柔らかく笑い、拓真の目を見て言った。

 「それが大事なんじゃないかな?誰しも先の見えないことに対して不安を感じている。父さんも母さんも同じだ。ハスだって同じかもしれない。だけど、不安だからといってみんなが言う安全な道を通って、本当に後悔しないだろうか?少なくとも父さんは、目を閉じた時にワクワクする方を選びたいと思うし、昨日よりも今日が楽しいと思える人生を歩みたいと思ってる。もちろん、拓真にそうなってほしいともね。拓真、父さんがいつもお前にあれこれ聞かないのは、最後まで自分で決めたことを信じてほしいからなんだ。自分で決めたことに、責任を持ってほしいからなんだよ。自分で決めたこと以上に楽しいことなんてない。決められるって自由なことなんだ。拓真、今は言葉にならなくてもいい。経験が言葉を創ってくれる。だからまずは決めるんだ。そして動くんだ。それがどんな結果になっても、誰かが笑っても、父さんも母さんもお前の味方だ。安心して挑戦すればいい」

 「父さん・・・」父親がこんなにも熱を込めて話をしたところを、拓真は見たことがなかった。隣にいた母親は、「母さんも同じだよ」と言って間もなく、父親に向けて会員制のヨガの話を始めてしまった。拓真は、最高の両親を持ったな、と思いながら、レンジの方へ歩いていった。



 タイピングの音がTOKIWAのリビングに響く。今回の応募フォームは、自動返信システムでのメッセージの他に、金丸が志望動機を読んだうえで一言を添え、中岡が案内文を追送する形式を取っている。

 「初めまして。金丸健二です。この度は、11Gのプロジェクトへの参加を決断してくれて、誠にありがとうございます。志望動機を読ませていただきました。簡潔な言葉でしたが、様々な意味合いが込められているのだろうと想像しています。選手にとって、ピンときたという感性はグラウンドの中で必要です。明確な理由がなくその場所にいたらボールが来た。そして、ゴールが決まった。そんな例は枚挙にいとまがありません。ぜひその感性を大事にしたまま成長していって下さい。つきましては、2月15日、16日、土日の二日間で1泊2日のスクーリングを兼ねた合宿を行います。参加費用はこちらが全額負担致します。詳細と規約につきましては添付のファイルをご確認下さい。お会いできることを楽しみにしています」

 中岡は萩中に二重チェックをお願いした。萩中は文章に問題がないことを確認しつつも、「参加費用負担」の文字には驚いた様子だった。
 「参加費用負担って、金丸さんが自腹で出すんですか?」
 「そういうわけじゃないよ。実は今回、金丸が事前にスポンサー獲得を進めていてね。IoT学園って知ってる?ネットで通える高等学校の」パソコンの側にいた金丸は、萩中の方を向いて訊いた。
 「知ってます。大学の友達にもIoT学園出身の奴がいるんで。IoT学園がスポンサーについてくれたんですか?」 
「まだ表向きには発表していないけど、驚きだよね。考えていることの方向性が似ているから、お金だけにとどまらず、ノウハウに関しても援助して下さるそうだ」金丸が経緯を説明すると、中岡が2人の方を見た。
「そして、もっと驚くべきなのが、これだよ」そう言って、中岡は拓真のプロフィール欄の画面を表示した。高等学校名のところには「IoT学園」と書かれてある。
 「えっ?すごい偶然ですね。これはIoT学園も拓真くんも驚くだろうな・・・」萩中が感嘆の声をあげた。
 「同じようなコンセプトに共鳴したんだろうな。決断が早かったのも頷ける」金丸は確信した。拓真は間違いなく今回のプロジェクトの中心になるだろう。

 「よし、送信完了だ・・・おや?」
 中岡は、管理システムのトップ画面に表示された「新規応募者」の赤文字に目を奪われた。
 「本当に予想外の展開が起こるな。今日のうちに2通目だなんて」そう言ってカーソルを赤文字に合わせた。

 応募フォームを展開すると、シャープな顔立ちの男が現れた。短く刈りあげられた髪はアシンメトリーになっていて、目つきは鋭い。次に目がいったのは、プロフィールの身長欄に185cmと記されていたことだ。肩の周りが隆起していることから、写真からでも大柄だとわかる。
 「大型だな。GKかCBか、どのポジションを経験してきた選手なんだろうか?」肘を突きながら画面に向かって呟く横に、金丸と萩中も寄ってきた。「拓真のような感性の持ち主かもしれませんね」萩中がそう言う横で、中岡が目を丸くしている。「どうしたんですか?」萩中の問いかけに中岡はこたえず、ゆっくりと金丸の方を見た。金丸は満面の笑みを浮かべて言った。

 「最高じゃねぇか」

 萩中は画面に目を戻し、志望動機を読んだ。「が、このプロジェクトに興味を持ち、参加を希望することにしました。今後についてのことや、詳細について教えていただきたいです」文章が途切れていたため、マウスで上にスクロールしてみる。萩中は、2人の反応の意味がようやく理解できた。

 「初めまして。前島空翔と申します。大阪の高校に通う2年生です。バスケットボール部に所属していたため、サッカー選手の経験はありませんが、このプロジェクトに興味を持ち、参加を希望することにしました」


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【著者プロフィール】

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映画監督を志す小説家。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップをきっかけにサッカー強豪国の仲間入りを果たすためのアイデアを考え続けている。サッカーとテクノロジーが融合した物語、 11G【イレブンジー】は著者の処女作である。

Twiiter: https://twitter.com/eleven_g_11

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