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「ピルの普及=女性躍進」という物語に押し込められる怖さ

TOKYO MXで放送されているニュース番組「モーニングCROSS」3月21日(祝・木)の回で、日本初となるアフターピルのジェネリック薬の販売開始が取り上げられていた。この記事では、それを視聴したときの違和感と、ピルに対する所感を書きたいと思う。

女性取締役が少ないのは「ピル後進国だから」

「モーニングCROSS」には、毎日ゲストが3人登場する。ゲストは、大学教授や経営者などが多く、だいたいが男性2人、女性が1人の割合だ。

しかし、視聴者から男女比率の指摘を受け、3月21日(祝・木)の放送ではゲスト全員が女性となっていた。

ゲストは以下の通りである。

河合 薫さん(健康社会学者・博士/気象予報士)
森井じゅんさん(公認会計士)
丸山裕理さん(フリーアナウンサー)

番組では、7:40ごろから「オピニオンCROSS neo」というコーナーが放送される。これは、専門分野に長けたゲストが、気になるニュースについて持論をぶつけ合い、討論するというものだ。

(画像:動画配信サービス「エムキャス」のスクリーンショット)

この日の1つ目のテーマが、冒頭で述べたアフターピルのジェネリック薬についてだった。これは、現代ビジネスの記事(「もう性交渉しない」と書かせる医師も…日本のアフターピル問題)を取り上げたもので、提起したのは河合さんだ。

日本でアフターピルを処方してもらうには、医師の処方箋が必要だ。さらに高額なため、入手しづらく、必要な人が利用できないなどの状況が続いていたという。

このニュース概要が読み上げられたあと、河合さんは「自分で自由に決められる権利」というフリップを掲げた。続けて「日本はピル後進国。海外に行くとドラッグストアで買えたり、政府が配ったりしている」と話した。

また、ピルの普及は、1970年代にアメリカで起きた経済改革と因果関係があるという。女性がピルでバースコントロールできるようになったことから、不本意に学業を中断することが少なくなった。結果、女性の大学院進学率が伸びる「高学歴化現象」につながり、1980年代には、女性の1/3が院進学するまでになったそうだ。

河合さんはほかにも、各国の「取締役に占める女性の割合」のグラフを提示。そして「ピルをドラッグストアで買える国に比べて、日本の女性取締役の割合は低い」と主張した。

この流れと主張に、私は違和感を抱いた。

"アフターピル≠ピル"という前提

その違和感は、まず前提がきちんと提示されていないことにある。それを指摘していたのが森井さんだ。

河合さんの主張を受け、MCの堀さんにコメントを求められた森井さんは「バースコントロールのピルと、緊急避妊のアフターピルはまた違う」と述べた。私も、まさにその通りだと思った。

その2つは、目的はもちろんのこと、必要性においても差がある。アフターピルの必要性については、前述の現代ビジネスの記事にしっかりと書かれているのだが、例としてはこのようなケースが挙げられる。

・一刻を争うにもかかわらず、土日や夜間など、医療機関が休診の場合

・地方などで、病院の数が少ない場合

・受診できたとしても、処方を断られる、あるいは長時間待たされる場合

また、性被害を受けた場合、警察に相談しに行ったとしても、そこにアフターピルは常備されていない。そのため、傷ついた体で、今度は医療機関に向かう必要があるのだ。そういう緊急性を考慮し、ドラッグストアなどでピルを買える国が多くなっているそうだ。

つまり、アフターピルの必要性は、女性の不幸をいかに最小限に抑えるかという部分に終始する。しかし河合さんは、ピルが女性の幸せをいかに最大限にできるかという論旨で、主張を展開していく。

視聴者からすると、アフターピルの話なのか、ピルの話なのか、前提がわからないまま話が進む。そして、まるで万能薬であるかのように、ピルの嬉しい効果を畳みかけられる。ピルを知っている者としては「いや、それとこれとは別だよ」という違和感があり、また、ピルをよく知らない視聴者には、ピルとアフターピルを混同し、誤解を植え付けかねない流れに見えた。

ピルには"死ぬリスク"がある

河合さんの主張を通じて受け取った、「諸外国のようにドラッグストアでピルが買えるようにするべき」というメッセージについても、私は異議を唱えたい。

ピルは、婦人科を受診し、血液検査や問診を経て、問題なければ処方してもらうことができる薬だ。アフターピルのように緊急性があるものはこの手間が問題になってくると思うが、そうでないものであれば、この手間はむしろ"必要"なものになってくると言える。

なぜならピルの服用には、血栓症による死亡のリスクがつきまとうからだ。

血栓症とは、血管内にできた血のかたまり(=血栓)が血管に突然つまる病気だ。血栓が脳の動脈につまると脳梗塞、心臓の動脈につまると心筋梗塞などを引き起こす。日本産科婦人科学会によれば、海外の疫学調査では、低用量ピル服用者の発症のリスクは、年間1万人当たり3〜9人(服用していない人は1〜5人)だそうだ。そして、比較的新しく、超低用量ピルのため副作用が少ないと言われていた「ヤーズ配合錠」でも、2013年、初めて死亡例が確認された。

確率的には決して高くない。処方前には必ず血液検査・問診が行われ、その結果を踏まえて医師はGOを出す。そのため、毎日おびえながら服用する必要はないのだが、自分がその1万人のうちの3人に当たらないかどうかは、誰にもわからないことだ。

そんな重大なリスクがあるからこそ、ピルには処方箋が必要だ。そして、定期的に受診し、不安や、体の異変を相談する医師がいることも重要だ。

河合さんの主張は、大げさに言えば、その"手間"を省くことと引き換えに、自分の命をより確実に守る方法を、放棄するのと同じことのように思える。「手軽だから」という理由で、ましてや「該当国に女性取締役が多い」という理由で、ドラッグストアでピルが買えるようになればいいと唱えるのは、あまりに無責任な発言ではないかと感じた。

他人が作る"物語"に苦しむ

最後に私が指摘したいのは、ピルによって女性も自由になり、社会もよくなるという"物語"についてだ。

確かに、世界的に見ても、ピルは女性の自由の最大化を後押ししてきた。河合さんが例に挙げた、アメリカ女性の高学歴化による社会革命はまさにそれだ。また、フランスでは1967年、避妊合法化を定めた「ヌヴィルス法」が可決された。それは、女性の自由、子どもたちの教育環境の改善につながり、相対的貧困率を低下させるにいたった。そのような歴史を踏まえ、ピル=女性の解放、自由だと主張する人は少なくない。

ただ、そのような主張に対して私が感じるのは、他人が、個人の人生をある種の"物語"に押し込めようとする傲慢さだ。

テーマは違うが、フェミニストの北原みのりさんは、1996年に起きた"援助交際"のムーブメントについて、こんなふうに語っている。

当時の高校生たちは今30代半ばですが、話を聞くと、街に立っていると「いくら?」っておじさんに聞かれたりするのは「やっぱり単純にキモかったです」と。でも当時、そのキモさを表現する言葉はなくて、「遊ぶ金欲しさ」だとか「おじさんと女の子たちの需要と供給が合っている」という物語がどんどん作られていってた。彼女たちは言葉も奪われて(中略)大人の文化によって性の物語が作られていくことの怖さをすごく感じていた。
――「フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか 『性の商品化』と『表現の自由』を再考する」より

河合さんのような意見をもつ人が作り出す社会環境は、これに近いものがあると、私は強く感じる。

私は、河合さんが挙げたようなデータや歴史を引き合いに、「ピルが女性を自由にする」「ピルが社会をよくする」という物語が、他人によってどんどん作られているように思う。しかし、ピルの是非は結局、当事者にしか決められないことだ。答えはそれぞれのなかにあるし、同一人物であっても、ライフステージによってその答えや選択は変わってくるだろう。にもかかわらず、服用している本人はその物語にあてはめられて、どんどん言葉を奪われていく――それは怖いことではないのか。

そしてあるとき、その物語をつくり、そこに当てはめようとする側の誰かから「ピルを飲んでいるのね。女性の自由を謳歌している! 最高!」などと言われようものなら、私はそれを"キモい"と思うだろう。

河合さんはフリップに「自分で自由に決められる権利」と書いた。もちろん、ピルを服用するかどうかの選択がある、その自由は重要だ。ただし、その選択の良し悪しを、他人が自由に決める権利はないはずだ。

"社会をよくするためのピル"じゃない

もし私が男で、今の日本の不十分な性教育を受けて育って、ピルの知識もなくて、「モーニングCROSS」の放送を観たらどう思っただろう。たぶん、「"専門分野に長けたゲスト"が、ピルは素晴らしいものって言っている。ゲスト全員が女性で、みんなニコニコしてるし、ピルはどんどん普及させるべきものなのかも」と感じただろう。最悪の場合、彼女がいたら「ピルはいいものなんだから、飲みなよ」とすすめるかもしれない。

あの放送には、そう誤解させるに十分なものがそろっていた。もちろん、生放送で、決められた時間内で伝えられる量に限りがあるのは理解できる。河合さんも、ピルを論じるのに血栓症を知らないわけがない(と信じたい)し、順序だてて説明できる時間さえあれば、あのような放送にはならなかったかもしれない。

ただ、日本では、避妊目的よりも、婦人科系の悩みをかかえてピルを服用する女性のほうが多い。私もかつてはその1人だった。血栓症ではないにせよ、副作用に苦しみ、日々必死だった。ピルの服用が「自分の自由のため」というのは一理あるが(ただしそれも"マイナスを0に戻す"感覚だ)、社会をよくするためという大義名分も含むというのなら、それは大きな間違いだ。

あの放送は、過去の自分を含め、苦しんだ末にピルを選択した一部の女性たちにとって、正しい内容でも、嬉しい内容でもなかっただろう。そしてそれが全国区ではないと言え、テレビで流れてしまったのだなぁと思いながら、私は番組のエンディングを見つめていた。

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【参考文献】
・現代ビジネス「もう性交渉しない」と書かせる医師も…日本のアフターピル問題」、「フランスと日本の『避妊と中絶』は、こんなにも違っていた
・日本医事新報社「低用量ピルによる血栓症リスク
・Eisai.jp「(静脈)血栓症とは
・厚生労働省:安全性情報310「月経困難症治療剤ヤーズ配合錠による
血栓症について

TOP PHOTO: Thought Catalog on Unsplash