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121 先生がひたすら目の前の量を合理的にこなすだけの感覚、ノルマを達成する感覚から自由になりたいのに

石川晋さんのnote「個人通信”Simple Dreams”1313号」のこの一文が、今の僕にひっかかる。

「先生がひたすら目の前の量を合理的にこなすだけの感覚、ノルマを達成する感覚になる。」

中学校数学の授業は、ほとんどこれだ。
Cの子が何人いて、それをBに上げるには、どんな手立てが必要だったか。Bの子をAに上げるには、どんな手立てが必要だったか。
いかに限りなく全員を引き連れてゴールに辿り着けるかどうかばかり考える自分に疲れてしまっている。これが学校なのだろうか?教師の仕事なのだろうか?と。僕は数学しかない、からそう思うのかもしれない。算数だけは、諦めて「先生がひたすら目の前の量を合理的にこなすだけの感覚、ノルマを達成する」ことに躍起になっていても、他の教科ではやりたいことをちゃんとやっていれば、僕みたいな感情にはならないで済むのかもしれない。小学校の先生のことを、たまに羨ましく感じることがある。

このツイートを読んで、「真理は、苦労することによって得られるのでなく、問うことによって得られる」(佐伯,1975)を、生徒と共有することができるのだろうか、とずっと悩み続けている自分に気づく。もしも、これが可能になったら、「先生がひたすら目の前の量を合理的にこなすだけの感覚、ノルマを達成する感覚になる」自分から自由になって、学校や授業が楽しくなるのにな、と思う。
僕が去年1年間美術を受け持っていて、デトックスされているなと思った要因は、こういうことから自由になれたからなのかもしれない。