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168 校内研修→ケア+同志の発見

昨日はSVPで運営しているOSIRO交流サイトエンタクで「はじめまして改めましてミーティング」があった。1時間程度、最近考えていることをただおしゃべりするだけなのですが、昨日は余韻が残っていて文章にしてみたくなり、今noteを書いています。

教師自身の傷つき体験をちゃんと話して吐き出して浄化いこうみたいなことを、相談を受ける仕事界隈では、意識的にしているようです。教えてくださった方はこう言っていました。
「しんどい」が言えない職場も、福祉業界でもたくさんあって、その職場は”しんどい”です。 意識的に取り入れているので成立している側面があるかもしれないなーと、あのあと考えていました。 先生は傷つきやすい仕事という自覚と、それを職員室でお互い浄化できる文化を、どうやったら作れるか。

それを聞いて、今後の学校運営において重要になっていくんだろうな、という気持ちに僕はなりました。お互いにしんどい状況が把握しながらケアし合って、なんとか誰も欠けずに3月までたどり着けるのが一番いいですよね。しんどいときは「しんどいわー」って言えるほうが組織としては、強いよね、とゆたかさんが言っていて、本当にそうだと思う。だって、誰かの弱さは、みんなの強さに変わるのだから。

また「教師の学びはちゃんと確保されているのだろいか?」ということも話題になりました。韓国では、研修の時間が年間100時間確保されていることろがあるようで、それと比べると日本の先生方はそんな風に時間が保障されていないですよね?と。
話を聞きながら考えていたことは「自分の同志を、自分の力を見つけるのは、コミュ障じゃなくても味方を見つけるって大変。コミュ障ならとてつもなく大変。」ということでした。

校内研修は何かを学ぶことよりも、ケアし合えて、同志を見つけられるような校内研修をしていけば、それでもう十分なんだと思っている。たしかに対話の文化をつくるのは草の根運動。僕が同僚と話した内容をエンタクによく書いていることを触れてくれた人がいて嬉しかった。ただ、草の根的に広めるには、僕とうまくつながれない人のことは救えないわけなので、できることならやっぱり校内研修というシステムで、ケアもし合えて、同志を見つけられるような場をつくるのがいいんだろうな、というのが僕の中での今のところの答えです。

そんなことを考えて、今年度は2回くらいしかできなかったけれど「みんなで持ち寄るミーティング」を校内研修でやって「困っていることを持ち寄って話し合いましょう」を位置付けていたつもりだった。僕の願いや思いは、そこにあったのです。
次年度は校内研修が中学校なのに8回→11回くらいに増えそうなので、ぼくは全部「みんなで持ち寄るミーティング」をやればいいと思う。子どもの話をしながら、ちゃんとお互いが何を考えているか、ゆっくり聞く時間を大事にする。それが分かったからこそ、ケアの質も、教える質も上がると思う。たくさん困っていることを話しているうちに、本当に話したい本音が5回に1回くらい出てきて、それを同僚に受け止めてもらえた瞬間がつくれたら、職員室での良い関係がそこからはじまっていくのではないだろうか。