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103 山から元気をもらったらいいんじゃないのかな


最近、YAMAPという登山アプリを開発した春山 慶彦さんに注目しています。

この動画で、次のような発言がありました。

僕は感覚感性が先にあるべきだと思っていて、安宅和人さんが Harvard Business review でも『知性の核心は知覚にあり』っていう論文書かれていてては知識とか行動の前にどういう風に世界を認識するかっていう感覚感性がないと知識とか行動って紐付いて来ないんですよね。だから、僕はさっきの3.11の経験も踏まえて、やっぱり日本社会の課題最大の課題っていうのは身体を使ってない。自分たちの感覚感性が鈍くなってる命っていうのを、自分単体で捉えるようになってしまってる。本来、生物生命っていうのは関係性とか環境とか大きい世界の中に自分の命があるって、これ大前提だと思うんですけど、そこの感覚感性身体知をなくしてしまってるんで、社会がどうなろうが風景が荒れようが全く関係ないですって、これ社会問題っていう言い方もできますけど、僕らの身体感覚が鈍ってるって事だと思っていて、身体っていうのはひとつ世界を受容する媒体とかメディアでもあると思ってるので、その知識や技術でどうこうっていうよりも前に、僕らがその感覚感性を持つ、あるいは磨く、あるいは外に開くっていう行為をやった方が、結果的に早く社会は良くなるんじゃないかなと思って今登山アウトドアに授業の土俵置いてるって言うところですね 。

また、養老孟子さんとも対談をしていました。

この対談で養老孟子さんは「現代社会ってのはその感覚から入るのも非常にこう軽視する、軽く見るんですね。だから子どもたちは自然体験というのが典型的にそうなんですけど、僕らは知らず知らずに受け取ってたものが入ってないっていう心配があるのですね。そういうことって何でもないようだけど、とにかく今の社会だと何でも勉強すれば頭に入ると思ってる。」とおっしゃっていました。
総合的な学習の時間でさえ、身体性を伴わない学びをどんどんさせていることに、僕は残念な気持ちでいます。

多賀一郎先生がFACEBOOKで、次のような記事を書いていた。

蓑手君のヒロックで感じたことを改めてまとめよう。 「よけいなものをとっぱらう」 ということが最も印象的だ。 「座って聞きなさい。」 「並びましょう。」 「今から、国語の授業を始めます。」 「〇〇ページを開けなさい。」 「掃除の時間だから、み...

Posted by Ichiro Taga on Sunday, January 15, 2023

多賀先生の「公立学校の仕事として、そこは外せないところだなあと思う。」という言葉を、僕は重く受け止めている。北海道では地理的に地域の公立高校に必ず通わざるを得ない状況にある。福祉的な視点が、ふつうの学校以上に必要だと思う。
森林学習と称して、月1回里山に遊びに行って定期的に元気をもらえば、もっと不登校は少なくなるかもしれない。悩みが減るかもしれない。学びが増えるかもしれない。真面目一辺倒ではなく、表向きと裏向きにうまいことやれる余地が、学校にはあると思う。
不登校対策を講じても、登校までつなげるのは簡単なことではない。でも、里山に遊びに行けばその可能性は、素人が対策を講じるよりもその可能性はあるのではないだろうか。そうやって、里山から元気をもらえば、自然に環境問題に興味をもつだろうし、大人になったときに山登りやキャンプなど身体を動かすことにつながっていく。そういう方が、今と将来どちらにとっても意味のある時間になるんじゃないのかな、と春山さんや多賀先生の話を聞いて考えていた。