97 理科探究の実践に触れて
昨日の夜、理科探究の「科学者の時間」の実践報告を聞いた。
そこで、いくぼんさんがこんな話をしていた。
予想から考察をなぞるだけの理科の授業について、アラン・ケイは『「科学」ではなく「科学鑑賞法」だ』と批判した。
僕も「証明の授業で、生徒が全然証明の面白さに触れていない」ことに疑問を感じ、そのことについて後輩と2人で盛り上がったことを思い出した。また、「振り返って考える」じゃなくて「振り返らされているだけ」だったり、「既習事項を使って」じゃなくて「既習事項を使わされてるだけ」だったりもしている現状がある。僕はそれじゃダメだよな、と思っている。
けれど、「数学者の時間」はできるのだろうか。
伊垣先生の実践はあるが、中学生版はできるのだろうか。
僕は数学者はちょっと無理かもしれないけれど、昔の人の数学の楽しみ方は追体験することはできると思っている。だから、その感情を追体験できるような時間はつくりたい。
ピタゴラスがどんな土地で、どんなタイムスケジュールで、どんな食べ物を食べながら三平方の定理を考えていたのかを、追体験できたらいいけれど、それはできないから、エピソードを紹介したり、ギリシャの風景を見せたりしている。