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190 「大変だなあ。」「面倒くさいなあ。」一瞬そんな気持ちを抱かせるような子どもこそが僕たちの力を必要としている

エンタクの自主サークル「今日は深い話をしよう」に初めて参加しました。
上條正太郎さんや豊田哲雄さん、綾子さんがメインとなって進めているサークルです。
上條さんが「日本の公教育にかかわっている者として」という言葉を繰り返し使っていて、そのことが僕はとても印象に残りました。僕は地方で働く教員として、子どもたちや保護者と同じようにその地に住み、娘たちもその地域の学校に通っているから、当然地域の子どもたちやその地域の教育力を向上させることに貢献したい。地域の人たちと飲み屋さんで会ってあれこれ話をしたりしているから、公教育(地域に携わる教員)としての使命感みたいなものは、他の人よりもきっとあるのだろうな、と思う。けれど、新しい職場ではそうじゃなくなるから、僕の公教育にかかわる者としての使命感は、どんな風に変化していってしまうのだろうか。少し不安ではある。

10年前、飯村友和さん(当時、千葉県佐倉市立青菅小学校教諭)の教室を1日参観させてもらったことがありました。そのときの目的は、実際にクラス会議をやっているところを見せてもらうことでした。

そのときに言っていた言葉ではないのですが、僕は飯村先生のこの言葉が大好きで、今でもすごく大切にしています。

器用に何でもできる子を教えることは誰にでもできる。教えればすぐにできるような子だけを相手にしていれば楽である。しかし、「大変だなあ。」「面倒くさいなあ。」一瞬そんな気持ちを抱かせるような子どもこそが僕たちの力を必要としているのだ。面倒くささの中にこそ、僕たちの仕事の本質はある。

僕の中での「公教育にかかわる者として」というのは、「大変だなあ。」「面倒くさいなあ。」一瞬そんな気持ちを抱かせるような子どものことをちゃんと考えてあげること。そういう子どもこそ、学校にいられるようにあれこれ考えてあげること。そう僕は考えています。そういう子どもにだって、その子の成長を願う保護者や家族がちゃんといるのに、教師が何も考えてあげないのは残念ですよね。僕ら教師がスルーしちゃったら、誰がその子とたちのことを考えてくれるのだろうか。そんな風にさえ、思います。ちょっと重いかな。w

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