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182 同僚は家来じゃなくてビジネスパートナーなのにね

これを読み進めています。著者は元小樽市公立中学校の校長先生です。元美術の先生というところも、僕にとってはポイントでした。

「ビジネスパートナーであって家来ではない教頭」という節があって、昔の嫌な記憶がたくさん出てきました。僕が昔受けていたパワハラは、まさに「家来」感でした。トップの家来になろうとすることを是とする雰囲気を、僕は感じていました。再び、こういう方に出会ったとき、どう対処すればいいんだろうって考えていました。本当嫌だなー。

「学校行事を変えた」の節では、コロナ禍における学校祭を「アサリンフェス」として開催したことが書かれています。
(引用開始)
学校行事で「正直、厄介だな……」と感じるのが、「一致団結、一丸となって」というのを先生が好むこと。昭和のスポーツ根性ドラマの「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」という言葉が学校にはまだ、それなりの存在感をもって鎮座しているようです。
だけど、体育大会で、私のように、動きが鈍くて早く走れず、バレーボールをやってもレシーブができず、バスケットボールではボールが来そうもないエリアで突っ立っているだけの人間は「足手まとい」。文化祭の合宿コンクールで音痴、演劇の大道具係にまわっても段取りが悪い……そんな人にとって行事が楽しいとは言えず、何なら席について勉強しているほうがマシと思う子もいて当然です。
(引用終了)
こうした子どもたちの存在について、もう少し時間をかけて学校行事のカタチをどのようにしていけばよいのかを話し合う場が欲しいなーと思った。学校は、まだまだ大多数の意見を大事にしている傾向にあるから、こういうところから「どうしたら全員の楽しさを最大限にできるのか」を議論したい。職員間でも、子どもたちとも。僕が生徒会担当を外れてしまったから、まだまだ実現できていないことは、ここの部分だ。
「教師が思うゴールに到達させようと、指導したり、練習したり、ときには叱ったり、そんな必要がない」体育祭や学校祭を、僕も今後していきたい。次に実現したいことは、これかもしれない。