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186 ほぼ日Spotifyを聞いて考えたこと

ほぼ日刊糸井新聞2010-09-28-TUE「第2回自由は後づけ。」を読んで、というか朝の支度をしながらSpotifyで聞いていて、気になった部分を書き留める。

池谷
つまり、無意識のうちに知っていることや、無意識のうちに整理されていること、人間の行動においてはそれらがものすごく強烈に作用していて、だから矛盾も多いし、けっきょく、ロジックで説明しなくてもいい。いや、してはいけないんだと。
糸井
うん。
池谷
ただ、いまの社会って、理路整然とした説明を求められるんですね。たとえば企画会議なんかで
「なぜ、あなたの提案がいいのですか?」と訊かれて「ただなんとなく」では済まされない。
糸井
そうですね。
池谷
だから、いまの世の中において、「上手に説明できる人」≒「頭がいい人」っていうことになってる。だから、ロジックというのは重要とされているんだけど、でも、ほんとは、ロジックは表層的で後づけ的な説明だと思っています。
糸井
うん。それについてはぼくもずっと考えてる。けっきょく、説明できる人のことを頭がいい人っていう時代って、不幸だと思うんですよ。
池谷
はい。
糸井
つまり、説明できるってことは、説明されるべき現象なり、事実なりがあるっていうのが前提で、
ほんとうに大事なのはそれ自体のはずなのに、
それを説明できる人が拍手されるっていうのは、
それはなんか、順番が違うだろう。

(引用終了)
「説明できるってことは、説明されるべき現象なり、事実なりがあるっていうのが前提で、ほんとうに大事なのはそれ自体のはずなのに、それを説明できる人が拍手されるっていうのは、それはなんか、順番が違うだろう。」という部分が、なんとなくひっかかりました。もしも職員同士で、クラスで、説明はうまくないけれど考えるべき大切なことをちゃんと大切にできたら、世の中はもっと良くなるのではないか?となんとなく考えていたのでした。