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3歳児、マッキ-(槇原敬之)にはまる

最近、娘がアマゾンプライムか何かで偶然見たのか、槇原さんの曲を気に入り、「音楽聴く?」とたずねると「マッキ-がいい」というのでよくかけている。さすが、槇原さん、3歳児の心も一瞬でつかみました。娘がおそらく初めて琴線に触れたJ‐Popかもしれません。特に、休日の朝は、マッキ-のようです。お気に入りは「どんなときも」と「もう恋なんてしない」。ミュージックビデオもお気に入りでとにかくじーと見ています。爽やかで、颯爽として私も好きです。「どんなときも」のPVは、90年代のファッションやまち感が表現されてて、槇原さんがとてもおしゃれでかっこよくて見入ってしまいます。
【公式】槇原敬之「どんなときも。」(MV)【3rdシングル】 (1991年) Noriyuki Makihara/donnatokimo 【1位】 - Bing video

槇原さんの歌は、メロディも声も唯一無二で、美しく爽やか。加藤ミリヤさんと清水翔太さんの「Sakura Melody」を、娘がおなかにいたときに私はよく聞いていたので、もしかしたら胎内記憶なんかあるのか分かりませんが、耳なじみがいいのかもしれません。サクラメロディという曲名、言葉もとても美しい。

槇原さんは薬物問題でいろいろありましたが、私が言うのもおこがましいが、ぜひ、がんばってほしいと応援している。
違法薬物は、反社会的組織の資金源になる、関連して重大事故を起こすなどの恐れがあるので、断固いけない。ただし、薬物絡みで重罪を犯さない限り、あくまで個人の問題の方を心配した方がいいと私は考えている。音楽には全く罪はない。これは表現の自由で担保されているし、何人も表現の権利がある。

有名人が違法薬物で逮捕されたときは大々的に報道されるが、依存症や更正プログラムについても私たちはつぶさに目をむけるべきだと思う。よく、芸能界は薬物問題に甘いとも言われるが、保釈後や刑期を終えると、社会復帰することは通常なことで、別にそれ以上、それ以下でもない。例えば、責任を取り芸能界をやめるべきだという紛糾は、当人の社会復帰を法律の観点を超え阻害する意見で、そういう世論は、薬物に関しては非常に危険だ。世界の潮流では、薬物依存者には刑罰より治療をが推奨され、孤立を防ぎ、さまざまなサポートで適切な社会生活に戻すことが、重要視されている。まだまだ日本では、依存症への理解と認識が甘いと言わざるを得ない。継続して取材したいと考えている。

以前、覚醒剤での刑期を終え、生活を立て直そうとしていた方を取材したとき、覚醒剤依存から脱却しようと向精神薬とアルコールに依存していた。「覚醒剤をやりたいと毎日思う」ゆえに、「やりたいと思ったら精神薬を飲む」とのこと。まさに、1日中、薬漬けなのだ。私は素人だから、何とかならないものかと思った。それだけ断ち切るのは大変なことなのかもしれない。覚醒剤に戻るよりは良いのかもしれないが、睡眠障害や肝機能障害も併発し、とてつもなく辛そうで、長い道のりに見えた。依存症は、意思や心がけなんかの問題ではない。薬を断つために、薬に頼る。腕いっぱいのリストカットの無数の跡が、その方の孤独を物語っているようだった。

私たちは、違法薬物をやった個人にただただ怒るのではなく、そんなひどい薬物、そしてそんなものが簡単に手に入る世の中やシステムにもっと怒るべきだと思う。悪いのは圧倒的に薬物なのだから、もっと人間に寄り添うべきではなかろうか。

よく芸能人などが逮捕されると「がっかりした」「失望した」「憤りを覚える」などの声が上がる。まあ、もちろんそんな声もあろうが、別に直接知らない相手個人に私たちが失望したり怒ったりする意味もあまりない。彼らが薬物を手にした事情、依存した精神的背景を私たちは詳しくは知らないのだ。精神の問題は、とてもパーソナルなことの故、という理解が必要だ。

だからこそ、高知東生さんなどが、自らの経験を勇気を持って話すことで、薬物問題を啓発する動きなども応援したいと思う。

話がややそれたが、今度、小さい子どもも一緒に行けるかは分からないが、槇原さんのライブに娘とぜひ行きたい。何度でも何度でも立ち上がり、歌い続けていてほしい。




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