成人まで日本語環境で育った私が帰国子女に間違われるまで
こんにちは!
英会話講師のmioと言います。
21歳で英語を本格的に始めるまで100%日本語環境で育ち、今では帰国子女に間違えられるくらいには英語が話せます。
今の英語はこんな感じです。
よくある、
「日本育ちとは言っても幼い頃から英会話スクールに行っていた」
「日本育ちだけど昔から英語のアニメや音楽に興味があった」
「親が英語を話す家庭だった」
などの背景は全くなく、正真正銘日本語の環境で育ち、さらに洋楽や洋アニメにも全く興味がなかった幼少期を過ごしています。
大学に英語の授業がありましたが、レベル別クラスでは下から二番目の実力でした。
そんな私が、いかにして帰国子女と間違えられるような英語を話せるようになったのか?
少し私の英語学習の歴史からみなさんに知ってもらえればなと思います。
幼少期〜高校時代
幼少期から高校までをいっぺんに紹介できるほど、子供時代を通して英語とは無縁の人生でした。笑
英語はむしろ苦手で、学校には英語が得意な子もいて洋楽など流行っていましたが、私とは全く別世界のことだと思っていました。
英語のテストも赤点連発。
そんな私が好きだった教科は、世界史です。
海外にある世界遺産を訪れたり、背景を勉強できるのかも…という思いから、大学では国際政治を取り扱う学部に進学しました。
大学〜イギリス留学時代
大学生活の中で外国人が同じ空間にいる機会が増えると、次第に
「英語が話せたらもっと外国のことを知れるかも」
「将来外国で働きたいかも」
という考えがチラつくようになり、21歳でイギリスへ9ヶ月の語学留学へいきました。
現地で初日に受けた衝撃は、今でも忘れません。
英語が、まったく、まったく、わからなかったのです。
学生ビザを取るために少しは英語を勉強して行ったのですが(それでもTOEIC400点のレベルでしたが)、一言もネイティブ英語が聞き取れませんでした。
空港から寮に向かうタクシーの中で、ずっと運転手さんが話かかけていてくれたのにも関わらず私が聞き取れた単語は'cat'だけでした。w
その初日の衝撃がすごすぎて、そこから強く強く心に誓ったことがあります。
これが私が英語に対して本気になった瞬間でした。
そこから留学生活は色々ありましたが、今でも胸を張って言えるのが、
「私は1日も無駄にしないで英語学習に励んだ」
ということです。
一緒の時期に来ていた他のどの留学生よりも頑張ったと自負しています。
それでも、帰国時の自分の英語には絶望しか覚えませんでした。
初日からあまり変わっていない気すらするくらい、私の英語は上達しませんでした。
そして重大な事実が、他の多くの日本人留学生を見ても同じような状況だったということです。
そこで初めてわかったことが、「英語を話せるようになる」ということがイメージしていた何倍も難しいということ。
なんとなく1年留学して本気で勉強すれば話せるようになるのだと思っていました。
しかし現実は、自分がスラスラ流暢に話せるようになるイメージがまったくつかないほど、もしかしたら不可能なことに手を出してしまったのではないかと考えるほど、英語が遠い存在だということを知りました。
社会人〜英国インターン時代
帰国してからは、日本で英語の勉強を継続する日々です。
社会人になり数年は、普通の日本の会社で働いていました。
英語を使う機会はほぼゼロだったので、通勤電車の中や休みの日に勉強していました。
この時もう既にTOEIC900点を越えていましたが、まだまだ拙く、恐ろしく遅く、片言で不自然な英語を話していました。
問題は解けるけど話せない、の典型ですね。
それから仕事を辞めてもう一度イギリスに渡り、現地で半年ほどインターンシップでの仕事を経験します。
「じゃあもうその頃には仕事で通用するほど話せてたのね?」
と思われがちですが、仕事でスムーズに意思疎通するレベルにはまったく達しておらず、上司の指示通りにメールを送るという簡単な仕事をするだけで帰る頃にはもう何もできないほどのエネルギーを消費していました。
この時、英語の勉強を始めて5年くらい。
まだまだ英語が満足に話せないし、ネイティブ英語は聞き取れないことも多く、恥ずかしいほど英語が出来ませんでした。
ちなみにこの時の英語力はIELTS7.0です。
一般的には、ちょっとだけ高い点数かもしれません。
それでも、この点数からイメージできる英語力ではまったくなかったです。
外資勤務時代
それから日本に帰国し、再就職することになります。
この時27歳だった私は相変わらず英語が満足に話せませんでしたが、6年も頑張ってこのレベルなら流石にここが自分の限界だとどこか諦めのようなものを感じていました。
なのでこの英語力を引っ提げて生きて行くしかないと。
そこで英語を日常的に使う仕事を探し、外資の会社でITソリューション営業として働くことになりました。
社内でのコミュニケーションは70%ほどが英語。
毎日頭が爆発しそうなほど必死に話し、聞き取り、業務内容もとてつもなく忙しく、がむしゃらな日々。
限られた英語力と知識の中で、持っている力を精一杯使っても全然追い付きませんでした。
心身ともに、人生で一番消耗した時期です。
(後にやっぱり子育てが一番大変と気づくことになりますが…笑)
そんな忙しさと必死さの中で英語の勉強のことや目標のことはすっかり忘れ、ただただ目の前の仕事に没頭していきました。
そして勤務して2年ほど経ったとき。
外国籍の同僚とランチしながらプロジェクトの話やプライベートの話などしていた時、ふと気づいたことがあります。
以前は口を開けばすぐに壁にぶち当たり、詰まり、まるで障害物競争のように行く手が阻まれていたのが、いつの間にかその障害物が消えてすんなり歩けるようになっていました。
「困らなくなった」というのがかなり大きかったです。
それまで困ってばかりだったので。
そこで、やっと、やっと確信することができました。
私は英語が話せるのだと。
ここまで苦節8年。
それから2年ほどする頃には、英語で話す相手にはほぼ100%「外国で育った?」と聞かれるようになりました。
長かったですが、今はしんどくても辞めずに頑張ってくれた過去の自分に感謝しかありません。
途中ほぼ諦めていました。
それでも辞めなかったことが大きな要因だったと思います。
話せなかったからこそ、一緒に歩ける
そんな私が英会話講師になり、レッスンにこの10年(プラス話せるようになってからの3年程)のノウハウを詰め込んだら、一般的な英会話スクールや講師のスタイルとは少し違った形になっていました。
というのも…
英語を話せるようになりたい人向けのツールやサービスが溢れた世の中でも、日本人で満足に英語を話せる人はほんの一握り。
その理由が、この10年を振り返ると手に取るようにわかるのです。
自分がその「大多数の話せない日本人」の一人だったからです。
自分も同じ所で苦戦し、そしてそこから抜け出してきたから。
だから生徒さんに躓く原因と具体的な改善方法を提示しながら、一緒に歩んで行くことができます。
英会話講師として、文法解説や語彙の強化、そして発音レッスンが体系的にできることは当然として…
ほとんど誰も注目していない、私オリジナルの考え方と教え方で生徒さんたちの英語がまったく別次元になって行くのを、何度も見てきました。
英語を話せなかった自分ならではの方法なのだと思います。
ここで、生徒さんから届いた声を少し。
noteでレッスンの内容読んで頂けます
是非私のレッスンを受けてくださいと言いたいのですが、育児しながらのマンツーマンレッスンのため枠が埋まってしまうことも多く、たくさんの方にお待ちいただいている状況が長く続いてしまっています。
そこでnoteでは、受講しない人向けにレッスン内容を共有して行くことにしました。
本来レッスンでのみ教えている内容なので、有料のものが多くなります。
が、特に中級から伸び悩んでいる方、またはTOEIC高得点にも関わらず話せない方には役立つ記事になっているかと思います。
noteとは別に無料ブログやX(twitter)でも発信しているので、是非そちらも覗いていただけると嬉しいです。
また、1回45分のWebコンサルで私に直接英語のお悩みをお話いただけます。
私の英語、どこを伸ばせばいい?この先どう勉強していけばいい?mioはどうやってモチベーションを保った?
など、ざっくばらんに何でもご相談ください!
これからも無料ブログやnote記事で、英語学習についてのノウハウを発信していきたいと思います。
よろしくお願いします!
mio
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