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「うまみ」と「ざつみ」の関係

1週間前になりますが、去る5月10日、おきらくやさん主催、大原にあるかぞく家で開催されたfutaba 424を主宰されている中尾のりこ先生を講師にお招きした「幼児食講座」に参加しました。

盛り沢山のレシピに、調理の端からたくさんのポイントやコツを惜しみなく教えてくださるのりこ先生。覚えておきたいことばかりだったけれど、その中で一つだけ、なんとなく心に残ってこの1週間、頭の中を反芻していることがあった。

中尾さんは、スープにしろ、煮物にしろ、まず始めに動物性タンパク質、つまり「肉」を鍋の中で炒めた。こまめに菜箸で食材を転がし、肉一つ一つの表面が鍋肌に当たって均一に白くなるように。
そして、それがとても「大事だ」とおしゃった。
なぜ大事なのか詳しく知りたくて質問すると、ごく当たり前のように「というか、雑味がうまみになるから」とか、「食材にアク(雑味)を閉じ込めることで、旨味がでるの。ほら、皆さんアクをとるでしょ?ああ、なるとえぐみとか苦味が出てきちゃう。」などとおっしゃっていた。

残念ながら、私の知識と文章力では、その理由やメカニズムを簡潔に説明することはできない。だけれども、どうやら何か大事らしい、、、。
私の脳内では誤作動が起こった。「どういうこと!?」。
分かりそうでわからない。
わからないながら、なんか知ってると一枚上手の料理ができそう!!!


腑に落としたくて、頭の中で他の用例を検索する、、、「バカと天才は紙一重」とか「お洒落とダサいは表裏一体」とか?
そういうことなのか?

普通は(私の発想だと)「美味しいものを作ってあげたい」。だから「食材のうまみを引出そう」とか「どんな味付けをしたら美味しくなるか」ということに注力してしまう。だから、「雑味」と聞くと、それはつまらないもので、料理の邪魔になる「雑な味」なのだとイメージしていた。
だけれども、どうやら違うらしい。それは、私たちの味覚が「美味しい」と感じるプロセスの中で、裏方というか、ダイレクトに主張されると困るけどでも、「美味しい」をつくるエッセンスなのかもしれない。(あくまで私には断定できない。)

何かとにかくポイントなのだということはわかった。そして、それをなんとなく頭の隅っこで思い浮かべながら、1週間私は台所に向かった。


鶏皮とくず野菜(ネギの根の部分やニンジンの皮など)でつくるチキンスープ

今朝、器を両手に抱えて嬉しそうにスープ(教室にいった翌日から早速、教わったレシピで作っている)をすする息子をぼんやり見つめながらふと思った。
「そうだ!わかった!」
「スープだったんだ(何が?)」
全てはスープなのだ。
うまくいえない。だけどそれはスープなのだ。
「おいしいスープ」
私がやりたかったこと、大切にしたいことは、
何か上質なものや、スペシャルなものではなくて、
日々の会話だったり(夫に「そろそろワイドハイター詰め替えてくれない?」って言ったら「今、使ってるのあるから」っていうから詳しく聞いたら、漂白剤の種類をよく理解していなくて日々の洗濯に塩素系漂白剤を良かれと思って入れいていたことがわかった、とか。)、言葉にするほどではないけど抱いている感情だったり(子供が水筒のパーツのストローをなくし1週間経っても見つけられず、しかも園の先生にこの際サイズアップしろと言われ、それを日曜夕方にふと思い出して、夜子供たちとわざわざ買いに出かけ帰宅して3分後にストローが出てくるとか、、「マジか!」って言葉にしてしまった)、何でもない出来事(子供との出先で結構強めの通り雨に降られ、外に干しっぱなしの洗濯物を案じて帰路を急いで、最後のトンネル抜けると切串(私の住んでる地域)は晴れ間が見えていて洗濯物は案外大丈夫だった)とか、そんなありきたりな(本当はそうじゃないんだけど、普段そう思っている)日常の風景の一つ一つが雑味だとしたら、それらが合わさって、溶け合って、一つ一つは主張しないけど彩り豊かな、私だけの滋味深いスープになり得るのではないだろうか。
そしてそれは、実はとてもスペシャルなものなのだ!(断言)

結局うまくはいえないのだけれど「雑味があるから旨味が引き立つ」や「雑味を閉じ込めることで旨味に代わる」のは料理に限らず至る所で応用できる、、、もっというと人生をも美味しくするコツのような気がした。


一つ一つ丁寧に教えてくださった。並べると彩豊かな食卓に

そんなことを考えた1週間でした。

何はともあれおいしい時間を提供してくださった、おきらくやさん、かぞく家さん、そして、中尾のりこ先生、ありがとう、そしてごちそうさまでした!

mvchomaya



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