愛されなくても別に@36日目

沢山の人が同じようなイメージを持つ言葉は多数存在する。家族、愛、友情、夢。これらの言葉はなんとなく良いもの・こととしてイメージされることが多いだろう。しかし、それが人によっては異なるイメージを持つ場合がある。

家族や愛、これはいつも美化されたイメージを持つ言葉である。特に、『家族だから』『愛しているから』という使われ方はよく耳にするだろう。日本で暮らしている分にはそういったイメージを持つ人が圧倒的多数を占めることが容易に想像できる。世界的にみると裕福で平和な暮らしを送れる人がほとんどだろう。

そんな人々からする『家族』はとても安全で好意的なものとして受け入れることができる。家族だから一緒に暮らす。家族だから落ち着く。家族だから介護ができる。

しかし、世の中にはそんなふうに家族を捉えられない人間も存在する。理由は様々だ。家族から虐待を受けたり、家族が原因で周りから虐げられたり。そんな人間からすると家族という言葉が持つ意味合いは大きく変わってくる。家族だから一緒にいなきゃいけない?家族だから世話をしなきゃいけない?意味がわからない。じゃあその家族は私のために何かをしてくれたのか?私がこんなに頑張っているのは家族のためなのか?私の気持ちはどうなるのか?家族のためなら自分を犠牲にしなきゃいけないのか?

多くの人に共通する普通というイメージは、別の人にとっては普通ではない。それなのに、自分の普通=他人の普通と結びつけてしまう人が多すぎる。

そんな普通ではない2人が支え合って生きていくことで救われる物語。たしかに普通ではない2人だが、結局のところ救われるのは自分と同じ考えを持つ人間と出会うことにあるのだなと再確認できた。




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