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ワインコラム32:べらぼう凧

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Ryoko☆Sakata

「べらぼう凧」というものをご存知だろうか。
凧の面一杯に、あっかんべーをした顔が描かれている凧だ。
舌と唇の鮮やかな赤と、目を見開いた顔が強い印象を放っている。
私はひと目で惹きつけられた。

私の手元にある物は、15センチ×12センチほどの土産物仕様で、20代初めの頃角館(かくのだて)で買い求めた物だ。
当時角館には、土産用の絵馬や凧絵などを描いていた武藤作五郎さんという方がいらした。
凧に興味を持った若い者が珍しかったのか、気に入られて作業場まで上げてくれた。作業を見ながら世間話を混じえて、30分ほど話をしたことを覚えている。

帰ってから調べてみると、「べらぼう凧」とは秋田県能代の伝統的な凧で、魔除けの意味もあるという。
男べらぼうと女べらぼうがあるようだ。
因みに私の持っている凧は女べらぼうで、頭に牡丹の花が描いてある。  男べらぼうは、頭に芭蕉の葉と決まっているらしい。
私がその凧に惹かれた理由は、鮮やかな色使いと力強い線だった。
東北の骨太の文化を感じた。果ては縄文の文化さえ。
武藤さんは能代に縁戚でもあったのだろうか。

頂いた古い名刺をホルダーから取り出し、懐かしく見ていると、武藤作五郎という名前の右横に「絵馬・武者・凧絵師」と有る。絵師という言葉がなかなか良い。左側には小さく「いつの間にか八寿二歳」と添えてある。茶目っ気のある人だった。左上には小さく「また来てたんひ」の言葉。
角館への愛を感じる。
なんとなく名刺を裏返して驚いた。
訪問した年と日にちがメモしてあった。それによると、その時私は21歳だったのだ。

私は高校を卒業して、2年間語学系の専門学校に通っていた。
翌年大学に入学するのだが、現役の人達と比べると3年のブランクがあった。21歳という年は、専門学校を終わり、次の年のための受験勉強の年だった。受験をする気ではいたのだが、本当にこれで良かったのか、他の道は無かったのか、思い迷っていた頃だった。

今年、数十年振りに角館を訪ねた。
町はすっかり変わっていた。
ソフトクリームを売っている店や、派手な土産物屋が目立ち、私の知っている町とは違っていた。

目についた民藝風の土産物屋に入ってみた。凧は見当たらなかったが、70代であろう店の御主人は、武藤さんのことをご存知だった。
残念なことに、武藤さん以降凧絵を描いている絵師はいないらしい。
なんの気無しに武藤さんのお住まいをたずねると、店の前の家を指差すではないか。あまりの偶然に驚きながら店を出て家を眺めた。
建て替えられたのか、私の記憶にある家ではなかった。何か商売をしていたのか、道に沿ってガラス戸がある。空き家になっていた。

覗くと、奥には深い闇があるだけだ。
あれから長い月日が経ったことを、思い知らされた。角館を思う時、武藤さんのことはかなりの割合を占めていたのだが、梯子を外されたような、思いをバッサリ切られたような気がした。
角館への長い旅が終わったことを気付かされた。



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