蛍狩り

蛍。ほたる。ホタル。
なんとも素敵な響きの虫である。

虫と言えど、あまり虫感のないというか、虫虫していない虫である。
クモやらゴキやら、そこらへんの虫っぽい虫を見れば絹を裂くような悲鳴を上げる婦女子たちも、10人中8人はホタルを見れば嘆息と共にうっとりした顔をする。
残りの2人は近眼である。

蛍は、おそらく、最も人間に好かれている虫であると言えよう。

さて、そんなホタルが我が大学のキャンパス内に生息しているという情報を確かな筋から仕入れた。
どのくらい確かかというと、一緒に香港旅行をした仲であるから、これはもう真実であると考えてよいだろう。
(詳しくはマガジン「旅行紀」の「香港」を参照されたし)

これはもう、蛍狩りに行くしかない。

そうと決まれば早速蛍狩りに行こう、今すぐ行こう、と思い立ってしばらくしてからやっと気付いた。

一緒に行く彼女がいない。

いや待てよ、よくよく考えたら彼女がいなければ蛍を見てはいけないなどという決まりはない。
友人でいいではないか。
そこで再び気付いた。

一緒に行く友人もいない。

その現実から目を背けるため、私は2時間ほど不貞寝した。
そして家に帰った。
家に帰ってからスマホを見ると、なんと通知が来ていた。

「行こう」

おお、神は我を見捨てなかった!
私にも共に蛍狩りにゆける友人がいたのだ!

こうして友人と待ち合わせ、私は蛍狩りへと旅立った。

大学ではキャンドルナイトとかいうイベントが開催されており、キャンパスの地面に大量の蝋燭が生えていてロマンチックな雰囲気を醸し出していた。
それに引き寄せられて大量のカップルが発生していた。

話は逸れるが、明かりに引き寄せられる、所構わず交尾するという二点においてはカップル=羽虫という図式が成り立つというのが私の持論である。

自転車で大学まで走っていると大量のカップルとすれ違った。
青春を謳歌しているなあ…としみじみ思った。
ただ、自転車に二人乗りしているカップルとすれ違ったときには真剣に「転べ」と念じた。

キャンパスに到着すると、見渡す限りカップルだらけであった。
カップルでないグループも必ず女性同伴であった。

私だけが一人であった。

私は唇を噛み締め、米津玄師の「トイパトリオット」を聴きながらひたすら歩き続けた。
彼氏が何だ。彼女が何だ。
そんなものに現を抜かして大学生の本分たる勉強を疎かにしては何の意味もないではないか馬鹿め、と思ったあたりで自分が彼女もいないくせに単位を落としていることに気付いた。
目の前の景色が少しぼやけた。

友人と合流し、ただでさえ山の中にあるキャンパスの、さらに奥深くへと分け入ってゆく。
電灯もなく、遠くに見える街灯りや信号の色以外は真っ暗。

目が慣れてくると、すんなり歩けるようになってきた。
空というのは、夜でも存外明るいものだ。
すれ違ったのは、蛍狩りを終えて帰ってくる人だろうか。

せせらぎの音がした。川がある。
暗くて見えないけれど、かなり近いようだ。
道に沿って降りてゆくと、黒い筋が見えた。暗闇の中でより一層黒く染まっているそこが、渓流であった。

人影が見えた。話し声もする。
どうやら先客がいたようだ。
私たちはそっと川に近づき、そして見た。

カップルである。
キャンドルの乱立するゾーンでは飽き足らず、とうとう蛍狩りにまでやってきていた。

私は激しく憤った。
カップルによってささくれ立った心を慰めるために蛍狩りに来たというのに、何故そこでもカップルを見せつけられなければならないのか。
これは何の拷問だ。
基本的人権を尊重しろ。弁護士を呼べ。

私がカップルをせせらぎに蹴落とそうとしたとき、目の端で何かが光った。
ゆっくりと瞬くそれは、ふわりと浮き上がって宙を舞う。

蛍だった。

私はその場に立ち尽くした。
弱い光も強い光も、大小様々な光の点が暗闇の中で瞬いていた。
かすかに緑がかった光に囲まれ、私はしばしの間、時を忘れてそれに見入っていた。

カップルを川に蹴落とすのも忘れるほどに、それは私の目を強く惹きつけた。
蛍は命を燃やして光り輝いていた。

蛍は英語でfirefly。
炎(fire)が飛んでいる(fly)。
実によい名前だと思う。
日本語で「火垂る」とも書く。
ホタルが飛び回る景色は、やはり万国共通で素晴らしいと感じるのだろう。

友人と共に目を皿のようにして歩き回った。
蛍を探し、見つかれば近寄って手を差し出した。
のんびりと飛ぶ蛍は私でも捕まえられたし、手を伸ばすだけで手に止まってくれた。
手のひらでチカチカと明滅する様は、例えようもなく美しかった。

カップルへの怒りなど消え失せていた。
蛍の光は、私の心を穏やかにしてくれた。

友人と二人で、「次は彼女と来る」ことを誓いつつ帰路に就いた。
さてさて、果たして可能だろうか。
(彼女ができなかったとしても、また見に来るつもりである)

蛍たちは、彼氏だの彼女だのの悩みとは無縁に、ただ光って飛んで……あれ、蛍の発光って求愛だったような??

結局、蛍でさえもカップルであった。
救いようがない。

#蛍 #蛍狩り #エッセイ

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