ピザ日記

2020年、おれの食生活はドミノ・ピザに半ば支配されていた。嘘である。そんなに頼んではいない。だけどもこれまでの人生でもっともドミノ・ピザを注文した一年であったことは確かだ。きっかけはツウィッターである。おれはツウィッターというものが大好きで、暇さえあればツウィッターを見ているし、暇がなくともツウィッターだけは見ている。ツウィッターはおれと電子の海を繋ぐ湘南新宿ラインなのだ。波のように押し寄せてくる情報の大半は有象無象の塵芥なのだが、時たま非常に有用なものが浜辺に流れつくこともある。おれはそれを拾って生計を立てている。その中のひとつに「ドミノ・ピザは水曜日になるとピザ3枚を2400円で宅配してくれる」というものがある。おれは賢いので計算ができるのだが、3枚で2400円のピザはいちまいあたり800円だ。なんでもない幸せな一日(ただし水曜日以外)の終わり、あなたは考える。今日はつかれたな。ピザでも食うか。そしてチラシを見て、あるいはインターネッツで調べて、その価格に目玉を飛び出させることだろう。ゲェーッ!?いちまいで2,000円を超えている!!あなたは宅配ピザを諦め、もっと安価で手軽で食欲を満たしてくれるものを探そうとする。しかし時既に遅し。あなたの口はすでにピザ以外のものを受け付けない。妥協して半額の惣菜パンなどを胃の中に押し込み、ああおいしかった――などとつぶやいてベッドに入る。あなたの目の端から涙が盛り上がり、つうっとこぼれ落ちていく。シーツにぽたりと染みができる。しあわせな一日の終わりがこれでは台無しだ。すべてがパアだ。では仮に2,000円のピザを注文していたとしたらどうだろう。あなたは念願のピザを頬張りながら考える。今日という一日は本当にこのピザに見合うだけのものであったか。自分はこのようなピザを食うに値する人間であるか。愚かなり、自らの幸福に自らケチをつけにいくのだ。そしてベッドに入り、あなたは腹部を圧迫する満足感とともにどこか釈然としない気分を抱いて眠りにつくだろう。財布から消えた2,000円のことを考えながら見る夢は楽しいだろうか。つまりはそういうことだ。高価なピザを注文してもよいのはそれに見合う一日を過ごした者か、あるいはその価格を高価だと思わぬ者だけだ。おれはどちらでもない。ピザを食う資格はない。そう、水曜日以外は。水曜日のみ異様に安くなるドミノ・デリバリー・ピザ。おれの中の高価の基準に照らし合わせればいちまい800円のピザは決して高価ではない。それが3枚も来る。ピザ3枚、つまりピザ三昧だ。おれは計算ができるのだが、ピザを3枚食ったときの幸福度は、ピザをいちまい食ったときの実に三倍にも達する。仮にそれがどこかの国の民の強制労働の産物であったとしてもおれは躊躇なくピザを注文するだろう。そういうわけでおれは2021年も水曜日にドミノ・ピザを注文する。注文して30分以上待ったことはない。最近のピザ屋は優秀だ。3枚の焼きたてピザが届き、家の中に強烈なピザ臭が満ちる。おれはコークで乾杯する。ご唱和ください。水曜日に。グラスが高らかに打ち鳴らされる。水曜日に!!ちなみにおれは計算ができると二度書いたが、あれは嘘だった。どんなに頑張っても、人間はピザを一度にいちまい半までしか食べられない。

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