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デジタル化が加速する社会で、私たちがなくしてはいけないもの

こんにちは、さつきです。

先日、久しぶりに大学のゼミの友人2人と会う機会がありました。約2年間、オンライン授業でパソコンの画面を通してのみ会話をしていたので、リアルな友人達と直接顔を合わせて再開できた時には、「本物と話してる!」と、なぜか感動してしまいました。

しかし、話し始めると片方の友人がとても疲れているように見えました。気になって理由を聞いてみれば、新年度から始まる仕事のためにパソコンの検定を受けるとのこと。彼女はその試験を受ける為にパソコン教室に通い、何時間も連続で画面を見ているため、最近では朝まで目がさえてしまうほど生活のリズムが乱れ体調の変化も起きているという話でした。

数年前からは小学校教育でもプログラミングなどの授業の義務化により、子どもがパソコンを使う機会はますます増えています。それに伴ってピアノ教室やスイミングスクールに通うように、パソコン教室に通う子供も増えているようですね。

実際に身体を動かしたり移動をしなくても、現実世界で起こっていることと同じように物事を体験できる時代。早い時期からスマホやパソコンに日常的に触れる子供が増えている事からも、デジタル社会で生活するために必要とされるスキルはますます多くなるのだと思います。

直接的な体験がもたらすもの

アメリカのジャーナリストである、リチャード・ルーブが名付けた「自然欠乏症候群」という言葉があります。

これは現代の子ども達は以前の世代に比べて自然の中で過ごす時間が殆どなく、その代わりにディスプレイの前で過ごしているということを表した言葉だそうです。

子ども達は、自然の中で自発的に動き、自由に遊ぶことで身体中の感覚が発達していきます。それだけではなく、自然の中での体験や野外生活は、子ども達の社会性・他者への信頼・寛容さ・想像力などの精神的な部分も豊かにします。

つまり、自分の手足を使った体験は、人間が社会生活の中で他者と関わっていく為の根本的な心のあり方をはぐくむのだと言えます。

残念なことに、最近は日本においても、様々な規制が増えたために街中の小さい公園でさえ、子どもが自由に遊べる場所が減っているというニュースを多く目にします。

しかし、このような自分の身体全体で直接体験する機会の減少は子ども達だけの話ではないようです。

多様化していく社会の在り方

今の日本では、2050年までに望む人は誰でもアバターを使って時間、空間、身体などの制約を超えて社会生活を送れるようになる政策が打ち出されています。

まるで映画の世界が現実になろうとしていると考えるととても不思議な気持ちです。私たちが生きている間に社会のあり方も次々と変化していき、ライフスタイルがさらに多様化していくことが想像できます。

アバターを使うことで、その人の本来の身体的な能力以上の力を発揮したり、本人が実際に移動しなくても、遠隔で作業することができるようになるのかもしれません。このような技術が発達すれば今までは出来なかったことが可能になったり、新たな生きる道を見つけられるなど、新しい技術を歓迎する人々も多くいると思います。

こんなに便利な社会が実現すれば、これからの未来に抱く期待や希望は膨らむように感じます。しかし一方で、このような未来的な社会に住むようになる人間が忘れてはいけないこともたくさんあると思わされます。

では、私たちは何を身に付ける必要があるのでしょうか。

その一つは現実のものと非現実のものとの違いを理解し、認識する力でしょう。そして、その違いを理解するためには、人との関わりや自分の身体で体験することがどれほど豊かな生活を作り出すのかをもう一度見つめる必要があるのだと思います。

コロナ禍になって、以前にも増してスマホやタブレット、パソコンなど様々なデジタルツールを介してコミュニケーションをとっている今、根本的な人間同士の関わりがいかに重要かを見直す機会は増えていると思います。

わたし自身、大学のサークル活動などがすべてオンラインになり、4月に入学した新入生もオンラインの会議ツールを通しての交流のみとなっている人がほとんどでした。そのせいか、役割分担をして活動に入ってもらおうとしてもオンラインの交流しか知らない新入生はなかなか打ち解けることができず、結果として半数以上の人がサークルから離れていってしまいました...。

このように、直接的な人と人とのコミュニケ―ションを体験しないと、その人やコミュニティへの信頼や関心は生まれにくくなってしまうということを強く感じた経験でした。

反対に、冒頭で書いたように、オンラインでしか交流をしていなかった人と直接会った時、私がまず感じたのは「安心感」でした。パソコン上では感じることのできなかった、相手の雰囲気やちょっとしたしぐさや動き。そのような言葉以外の情報はそれまで抱いていた相手の印象を大きく変え、人の温もりを感じさせるようです。

社会を支える個々の力

スマホやパソコンなどのスクリーン画面だけではなく、人そのものが身体という制限を超えて生活する時代はもう遠い未来ではないのかもしれません。

こうしてみると、テクノロジーの発展は便利である一方で、私たち一人ひとりに求められる力や責任が増えていくことも意味しているようです。でも、それは現代社会の私たちが抱えきれないほどの大きな課題だと言い切るべきではないとも思います。

ますます他者との関わり方が複雑になっていく今、これまで以上に個人の精神的・内面的な力は必要になるのではないでしょうか。そして、その大切さに気付くためには自分の目や耳、手足を使って体験し、自分の力で考えるということが今以上に不可欠なのだと思います。

また、そのような力は特別な事をしなくても、日々の生活の中で見つけていくことができるはずです。

家族や友人など、大切な人の存在や他者を思いやる心。季節の移り変わりを楽しんだり、自然界に生きる動植物の生命力や美しさに対する感動。どんなに科学が進歩しても、私たちの実際の生活の本質的な部分は不変です。

これからも、日々の暮らしの中で小さな気づきを楽しみながら生活していきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

Text by さつき(心の旅人さつき)



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