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【旅日記】『ガウェイン卿と緑の騎士』地理考察

【目次】
一、前書き――旅に出るまでの経緯
二、作品から引き出せるヒント(地理考察編)
  2-1、クリスマスパーティーで現れた緑の騎士
  2-2、「緑の騎士」を探す旅
  2-3、緑の教会へ向かう
三、バックパッカーの巡礼の旅(旅ログ編)
  3-1、キャメロットにて(ログ)
  3-2、緑の教会へ(時間についての考察+ログ)
  3-3、作者不詳の考察
  3-4、その他諸々
四、旅のポイントや交通のまとめ

一、前書き

 2018年から去年の12月、凡そ2年間にかけて社会人にあるまじきクレイジーな旅をしてしまいました。アナログ人間なので、断片的な記録を紙ログでメモってはいますが、如何にこの溢れ出すほどの気持ちを片付けるのか思いつかないまま半年過ぎてしまいました。1月からコロナもあって、今年もうこのような旅はできないだろうなと察し、記憶が薄れていないうちにちゃんと形にしておこうという念を込めてやっと書き始めました。
 なぜこのような旅を?と、目的が聞かれたら、昔からファンタジー好きっていうところもあり、ガウェインの名前はかなり昔から聞き慣れていて、更にType-Moonにはまってから沼って、クソデカ感情がゲームの枠も超えて、文学作品の中のそのキャラクターはどういう人生を歩んできて、どんな風景を見てきたのかを単純に知りたがっているからです。
 アーサー王関係の逸話は果たして真実なのかはさておき、これらの物語を書き出した作者は実在していますので、アーサー王伝説の体系からよりは、書き手からヒントを探す形で頑張りました。まあそれにしても色んな方に書かれており、お互い矛盾している点もありますので、今回は『ガウェイン卿と緑の騎士(SGGK)』だけをヒントに考察しました。本作品は14世紀後半、いわゆる1300年代後半に、北西部、マンチェスターあたりの方言で書かれたロマンスで、年代が古く、作者名も不詳ですから、文章から引き出せる以外参考できるものはかなり少なく、スタート段階で正直少しドン引きでした(笑)。
 さて、雑談はおしまい本題に入りましょう。

二、作品から引き出せるヒント(いわゆる考察編)

 実際に読んだ訳本は4つあり、①原書房のトールキンの英訳を基にした日本語訳版、②菊池清明訳の『ガウェイン卿と緑の騎士』、③Bernard O'Donoghueの英訳本、④Simon Armitageの英訳本。下記の引用は私個人的に好みの②と③にします。

2-1、クリスマスパーティーで現れた緑の騎士

★35-40行
It was Christmas at Camelot,...
折しもクリスマスキャメロット城に...
★110-115行
Bishop Baldwin was at the head of the table...
ボールドウィン司教が座の中で最上位の主賓の席につき...

 物語の始まりはクリスマス、場所はキャメロット城。
リアルにおいて一番知られているキャメロット城はTintagel Castleで、FGO特番で川澄さんが訪れたのもTintagelですが、12世紀からアーサー王のゆかりの地として記載があるものの、実際Tintagel Castleが「King Arther's Castle」としてマークされたのが17世紀末のことだそうです(参考:Tintagel Castleでの紹介)。他に、Wales地方、Winchester、Carlisle等々諸説ありで、14世紀に書かれたSGGKは一体どこをキャメロット城にしていたか知るすべはありませんが、110-115行に取り上げられた「ボールドウィン司教」がアーサー王宮殿の顧問で、コーンウォールの大司教のため、少なくとも実在するコーンウォール地方まで特定でき、コーンウォール地方で認識されている最も有名なアーサー王のお城はよりによってTintagel Castleのため、Tintagelをスタート地にしました。
 アーサー王のパーティーに緑の騎士が現れ、首切りゲームを申し出た。ガウェインはアーサーの代わりにこの可笑しな申し出を引き受けましたが、首が切られてなお平然に生きている騎士はガウェインに、こう告げました。

★450-455行
Seek out the Green Chapel, I urge you, to get such a blow as you have struck. You've earned the right to be promptly repaid on New Year's morning.
Most people call me the Green Chapel Knight;
so, if you ask, you won't fail to find me.
お主は元日の朝、仕返しを速やかに受ける義務を負っている故に、
緑の礼拝堂に赴き、必ずや、お主が振りかざせし仕返しの一撃を喰らうのだ。
緑の礼拝堂の騎士として拙者を知らぬものはおらぬ。

 また、緑の騎士は295-300行あたりに、「12か月また1日の猶予」を与えることと言いましたので、つまりクリスマスパーティーは既に5日間続いて、緑の騎士に会ったのは正確的に12月31日のはずです。余談ですが、参考にした英訳本の1つ、訳者のSimon Armitage氏は緑の騎士のドキュメンタリーも出しており、中で中世の「首切りゲーム」についての考察がありますが、そのあたりの知識があまりにも乏しく、私には理解すらできませんでしたので、考察から外させていただきました(笑)。このあたりに詳しい方がいらっしゃいましたらご教示頂ければ幸いです。

2-2、「緑の騎士」を探す旅
 クリスマスの一件以来、月日が流れ、もうすぐ時限の一年が来ます。ガウェインもそろそろ、緑の騎士を探す旅に出立する予定で、その日付けについてこう記されています。

★530-535行
The moon around Michaelmas...
ついには、聖ミカエル祭の月がすっかり...
★545-550行
...But tomorrow I must set off to receive that blow, to seek out that creature in green, God hlep me!...
...明日、神の御導きのままに、必ずや、緑の騎士を探し出し、仕返しの一撃を受けんがために出立する予定でございます...

 聖ミカエル祭は9月29日、ガウェインはその翌日、9月30日に1人と1匹、グリンガレットに乗ってキャメロット城を離れ、目的地も分からない緑の騎士を探す死の旅に出ました。

★690-695行
While this hero rode through the whole of England...
今や、ガウェインはログレス王国の中を通って駒を進めていたが...
★695-700行
...till he'd travelled nearly as far as North Wales.
The islands round Anglesey he held to his left,
crossing the fords along the high headlands by the Holy Head, till he returned to the shore by the wilds of the Wirral...
...ようやっと、ついに北ウェールズにまでたどり着いたのであった。
アングレシーの島嶼左手に眺め渡しながら、岬の見ゆる浅瀬を横切り、
ホーリー・ヘッドを越えた先で、ウィラウの荒れ地の先の岸辺に出た...

 このあたりはいくつか実在している地名が挙げられ、Logres王国はEnglandのことを指しているため、日本語訳と英訳は一見異なるように見えるが、実際同じもので変わりありません。Holy HeadからWirralに向かい、ウィラウの荒れ地の先の岸辺に出るところは地図からわかるように、マンチェスターになりますが、前書きで触れた方言の地方と重ねましたね(笑)。

710-750行
He struggled up cliffs in godforsaken regions,
as, far from his friends, he wandered as a stranger.
彼は人も住まぬ土地数多の断崖をよじ登っては越え、おのれの
ともがらから遠く離れて、彷徨い、他郷者の身で遠近に駒を走らせた。
...
...or trolls of the forest that skulked in the crags.
He fought wild bulls and bears and boars as well,
and giants who stalked him from the fells above.
険しき岩山を棲家とする半人半獣と戦いしばかりか、野牛や熊と、更には猪とも戦、またある時には、切り立つ断崖から彼の後を...
...the winter was worse, as the ice-cold water poured from the clouds and froze before it hit the grey ground.
Nearly killed by the sleet, he slept in his armour night after night in naked rocks.
...こそ更に過酷で、霙の寒さに、冷えきり危うく命を落としそうになりながら、ガウェインは甲冑を鎧たるまま地に露したる岩間に臥して、幾たびの夜を過ごせしことか。
...cold streams clattered down from the heights or hung over his head in hard spears of ice.
山の頂から湧き下る冷たき小流れがしぶきをあげて流れ、固き氷柱となって、彼の頭上高く垂れ下がっていた
...The man on Gryngolet passed beneath them through swamps and through boglands, all on his own...
...ただ独りで幾多の湿地や沼地を通り過ぎながら...
...

 実在する地名は出ておりませんが、人も住まぬ土地、数多の断崖、険しき岩山、切り立つ断崖や凍って頭上高く垂れ下がっている滝、幾多の湿地や沼地といった特徴から、マンチェスターの東南方角にある、現在Peak Districtと呼ばれている国家公園の北部とそっくりの特徴を思い出させます。 
 また上記の地名を地図に当てると、下記になりますが、マンチェスターの右側の緑の区域が正にPeak Districtで、Wirralの岸辺からマンチェスター方向に向かう先にたどり着いたのがPeak Districtの北部になります。
 Peak Districtの北部には、Great Stoneと呼ばれる大きな岩と険しき岩山がたくさんあることで、ロックライミングの聖地で、Dark Peakとも呼ばれます。画像1

★735行
the knight rode through the wilds, all alone until Christmas.
クリスマスの前夜まで、ガウェインはただ独り、かようなる土地を通り過ぎて、旅を続いていたのだ。
...
★760-765行
He had hardly blessed himself three times
before he saw, in the wood, a moated dwelling...
ガウェインが三度、十字を切り終えるや、森の中の濠に囲まれたる城館が目に留まった。

 ガウェインはクリスマスの前夜、いわゆる12月24日に、緑の教会が見つからないまま、長い旅の末にとある城館に辿り着き、この城館はSGGKで知られているBertilakのお家です。
 色々な特徴から判断して、一体どこにあるのかといわれたら、考察が始まるまでに一度もイングランドに行ったことのない私には難しすぎる課題で、そこはインターネットの力を借りて、とある考察を見つけました。

https://sites.google.com/site/travelswithsirgawain/home/hautdesert

 上記の考察で、Bertilakの城館はRiver Dane沿岸部、特徴からStaffordshire、DerbyshireとCheshireあたりのSwythamleyにあるはずという結論が導かれました。反論を挙げられるくらいの知識量がありませんし、ふんふんそうだなと頷きながら読ませていただきました(笑)。
 Swythamleyならば、西北部からPeak Districtに入り、西南に向けて下っていく道になります。

★1020-1025行
 Much joy was made there that day and the next, and the following day too was spent in delight.
 The celebration for Saint John's Day was marvellous to hear
 その日も明けてもまた、お祭り騒ぎが続き、喜びにあふれ、更には、三日目も、同じように浮かれ陽気な祝宴は続く。
 聖ヨハネを祝う日の歓呼の声は聞くも喜ばしけれど...

 ここで挙げられた聖ヨハネを祝う日は、12月27日の福音記者使徒聖ヨハネ日でしょう。ガウェインはBertilakのお城で共にクリスマスを過ごしましたが、約束の元日まで残された猶予は3日ほどしかなく、別れを告げようとしたところでBertilakに引き留められました。自分が緑の教会の所在地を知っていると。

★1070-1075行
...then set off at New Year, and be there by mid-morning to do what you want in that spot.
Stay until New Year's Day;
get up and set off then.
Some one will lead the way.
It's less than two miles off.
元旦に出立なされよ、然すれば、午前の中ごろには取り決めたる
處に行きつきます故、そこにて貴殿がお望みのことを果たされたら
よろしかろう。
どうか元旦まで留まり下されて、
その朝早くに出立なされよ、
其処までお供の者を付けさせますれば、
ここから二哩とは離れておりませぬ。

 Bertilakの城館から緑の教会までの距離が2マイルで、ガウェインは元旦の日の朝までこのお城にいることが分かります。
 Bertilakの城館で猪狩りとLady Bertilakによる誘惑シーンというルート2つに構成されて、地理に関連する部分は基本上記の考察で既に上げられましたので、特に挙げずに飛ばさせていただきます。

2-3、緑の教会へ向かう

★1995-2000行
Now the New Year's approaching, and the night is passing.
The dawn defeats dark, as the Lord ordains it.
今しもあれ、大晦日、夜は刻々と更けてゆき、神の命じるままに、
やがて夜明けの陽の光が、暗闇の上にその姿を現しはじめる。

 ガウェインは元日の朝、夜が明けてからBertilakの城館から出発し、案内人と共に緑の教会に向かいました。
 途中、ヒースの覆う曠野を通って、泡すら立てて激しく流れる川を渡り、山に入っていく道は、南西部と言ったら地図から見てThe Roachesと呼ばれるRiver Daneの沿岸景色と似ていると考えます。
 案内が途中までで、案内人が道を教えてから立ち去って行った。緑の教会へ向かう道について、こう述べられました。

★2145-2150
...ride down this track by the side of the rock till you come to the depths of that wide valley.
Then look a bit to the side, to your left hand,
and you'll see in the clearing the chapel itself... 
...かの同じ道を彼方に見ゆる岩に沿って進んで参られませ、
いずれ険しき渓の底へと出られましょう。
そこから先にいま少し進みましたならば、左手の林
空き地の先を御覧なさりませ、
渓の一際深きところに件の礼拝堂が見えるはず...

 正直に申し上げますと、こんな文字を読むだけで全く分かりません。何せイギリスの地に一度も行ったことのない人間で、グーグルマップで見ても地理感覚が身につけるわけがありませんし(笑)。
 少し躓いだ先に、前章でBertilakが言っていた、城館から教会まで2マイル、城館がSwythamley付近の情報を思い出し、商圏分析の感覚で図を描いてみました。

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 円はSwythamley一帯を中心に半径2マイルの範囲で、円の中に通っているぐにゃぐにゃの線はRiver Daneになります。つまり円に収められているRiver Dane沿岸部は緑の教会の所在地であるはずで、原文からもう1つのヒント、「渓の一際深きところにある」ことから、左下に行くとPeak Districtから出ていってしまいますので、「深きところ」はディンブリッジからフラッドバックに向かう方角のはずです。このルートに沿って教会らしきものがあれば、緑の教会である確率が高いでしょう。

★2180-2185
It had a hole at the end and on either side,
and was covered all over with clumps of glass.
It was hollow inside, just some old cave or a gap in an old crag. He couldn't describe it in words.
この塚の先端には一つ、そして両側に二つ穴が空いている
一面草葉が生い茂り内側見入れば全くの空洞、一体これは、
ただの古びたる洞窟なのか、あるいは年月を経たる岩場の深き裂け目にすぎぬのか、ガウェインは、どちらも判じがたかった。
★2190-2195
...It's desolate round here, an ugly oratory indeed, overgrown with weeds.
さても荒れ果てにけるものかな。この礼拝堂、
雑草の生い茂り、いかにも気味悪しき。

 どうやら一般的に思われる教会と違う外見で、教会より洞窟のようです。Peak District国家公園のホームページにThe Roaches沿岸部の観光スポットを漁ってみたら驚くほどLud's Churchが上記すべての条件に合致しており、「ここだな、私が行きたいところ」って心を決めて、1年に亘る支度を始めました。

三、バックパッカーの巡礼の旅(いわゆるログ編)

 どうせ行くなら推しと同じやり方で体験したいじゃん?と思い、狂った頭は「なら馬を勉強すべき」という魔の呟きが響いて、1年をかけて千葉で乗馬を勉強・練習していました。(笑)

画像3

 昔体験で乗ってたことがあって、馬って簡単じゃん?となめてましたが、実際に自分でコントロールしようとするとこんなにも難しいんだって分かりました。馬ってとても臆病で、ちょっとしたことでもびっくりしてしまって落とされるかもしれませんし(落とされた。結構痛い)、聡明で、この人何をやろうとしてんのって雑な指令を出してしまったら全く聞いてくれませんし、何せ生物だから、それぞれ個性もあり、欲もあり、道端に草があったらついつい食べてしまい前に進んでくれないこともよくありました。
 馬を勉強しながら、Peak Districtのこと、イギリスで旅の注意事項などを調べ、チケットと宿を取り、9月30日と12月25日っていう、ガウェインがキャメロットを離れる日と、Bertilakの城館に辿り着いた次の日を選んで旅を始めました。

3-1、キャメロットにて
 Tintagelに来たのは12月。
 おや?逆なのでは?――はいその通り。なぜといったら、初心者の私は12月のPeak Districtで馬に乗れる自信がありませんし氷った道に何かを探す自信が1ミリもないからですね...
 東京⇔ロンドンの往復チケットを買い、ロンドンに着いた途端スーパーで食料品の買い物をし、時間を節約するために夜11時発の夜行バスでBodminに向かいました。
 イギリスの交通ですが、市内だとOysterというSuicaのようなICカードがあり、改札付近で買っておくと便利でお得です。(コインの見た目が似て過ぎて現金が難しいです...)長距離の移動について、夜行バスでも電車でも、「Trainline」っていうアプリから購入できます。基本電子チケットがついているものもあれば、駅の端末から紙チケットを出さなければならないものもあります。長距離の始発駅は2つあり、長距離バスのほうはやや駅から離れていますので、探すのに何人もの方に聞きました。みんな親切に教えてくれて本当によかったです...
 朝の6時くらいBodminに着いてすぐ、また始発のバスに乗ってTintagelに向かいました。クリスマス期間だからなのか、私と運転手さん2人しかいなく、1時間お互い喋らずに真っ暗の荒野で「すみませんおります」って降ろしてもらいました。ここって本当に乗り換えのところ?って12月の寒風に当たりながら5分くらい待ったらやっとヘッドライトの光が見えて、また20分くらい乗ってTintagelに着きました。

画像4

 Tintagelの街並みは見た目がとても古く、ファンタジーでよく出てきそうなところだなと、まだ眠ってる一人もいない仄暗い町を歩き回りました。

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 閉まってるお店を覗いたら魔法の要素は濃く感じます(笑)。バックパッカーで2徹してここまでたどり着いて眠気も体力も少し限界で、Tintagel Castle Openまでカフェで少しうたた寝しました。

  オープンの20分前に居た堪れなくその付近にうろつき、Tintagel Castleに向かう道は、結構現代的な美を誇示する橋で、ん?っていう違和感を思いながら、とある看板を見つけました。

60-665 @キャメロット(Tintagel) -2

60-665 @キャメロット(Tintagel) -1

 どうやら昔は陸に続く一本道があったのですが、時間と共に崩れ落ち、今となって完全に島になったようです。
 まだまだ時間がありますので、大陸のほうに残ってる廃墟を登って事前調べていた資料の中で出てきたところがあるのかなと特定しようとしました。

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 今チケット売り場になっているところはお城の大門だったそうで、門から入って暫く続く細い道は、お城を守るための何かしら防御施設がついた出入口になるでしょう。「Barbican」は調べる限り跳ね橋とかの様な構造も指すことができるようで、昔はどうだったのかなってすごく気になりますね!右手側の斜面は溝だったそうで、やはり跳ね橋がありました?と1人で怪しい人間になってました(笑)。左手側に大きな建築物があったような痕跡があり、実際入ってみたら写真より広く感じます↓。

60-665 @キャメロット(Tintagel) -6

Iの英語を参考して、恐らくガードたちが見張る中庭でしょう。

60-665 @キャメロット(Tintagel) -5

 そしてGの中庭広場から入口の細道を振り返って、昔立派な門があったでしょうね。左手に見える登り用の石段が残っており、推測は守衛部屋のですが、映画とかでも見たことのあるような窓口が外向けに開いてガードさんが見張る画面を勝手に想像しました(笑)。

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 今はこう見えて何もない芝生のようですが、実際広場といってもガーデンとか、そんな優雅のものではないはずで、昔は門をくぐって正式にお城に入る前に馬を預かったりするところでしょう。

★40-50行
Again and again strong men tussled,
and the noble knights jousted with vigour
till they rode to the court to start on the dancing.
Celebrations continued the whole of a fortnight
with all the feasting and pleasure that people could think of it.
It was fine to hear such glorious commotion:
lively uproar all day and dancing at night,
the sheerest indulgence in dance hall and bedroom
by the ladies and lords, whatever whim took them.
高貴なる騎士たちは馬上槍試合を幾度も競い合い、
雄々しく戦うや、城に戻りては円舞を楽しむのだった。
と申すも、祝宴は優に十五日の間変わらず続き
現し世で考えうるあらゆる佳肴と歓楽があったからなのだ。
聞くも晴れやかに陽気なるお祭り騒ぎ、
昼間の愉快なる武芸遊興と夜ごとの舞踊、
大広間から小部屋までここ彼処なべて歓喜この上なく、
楽しきこと限りなく、
貴紳や貴婦たちはなべて喜びに満ちたる面持ち出会った。

 残念ながら、冒頭に描かれていた盛大な場面は橋のこちら側、いわゆるやや外側の景色について触れていませんでした。でも楽しんでいる人々を見守っているガードさんたちも心の中で緩んでいるでしょう。何せ15日続くパーティーなのでね。

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 時間になって早速橋を渡って、ドキドキしながら勝手に想像しちゃうキャメロットに向かい、暫くリアルとさよならにしました。

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 今はもうほぼ瓦礫になっていても石の風化した形だったり、僅かなモノしか残っていなくともロマンを感じてしまいます。気のせいですかね。

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 上記の図の右手側から入って、Dのところはキッチンらしく、例の佳肴を出すところですかね。Eが大広間になり、酒食が振舞われ、高貴なる方々が席に着きお食事をするところでしょう。こうなれば、緑の騎士が突然現れ、首切りゲームを申し出た場所にもなります。思ったよりずいぶん狭いなと思ったら、お城の看板資料に今のサイズが14世紀末に建て直されたらしく、13世紀以前は30mもあったそうです。

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 ⇑見た目は狭いが入ってもすごく狭かったです(笑)。
 わざと道から外れて船場だったところのIron Gateに行ったり、例のアーサーの像を人ごみに離れる距離で眺めたり、ガーデンだったところ、教会だったところでうろついたり、マーリンの洞窟に入ったりして、今回の主旨と無関係なので、控えておきましょう。ちなみにTintagel Castleがアーサー王のお城として認識されたのは、『トリスタンとイゾルデ』のおかげでもあり、来る前に色々読んでおくとこの小さい島で3時間滞在しても短い!
 今回12日間もイギリスにいたので、Tintagel以外にアーサー王のお墓参りにGlastonburyにも行き、『トリスタンとイゾルデ』の最後のところに関連するPenzanceより南のLand's Endまで下り、ガウェイン戦死の地という説があるDoverにも訪れ、かなり忙しい巡礼になってしまいました(笑)。ログとして写真だけポンと何枚かずつ挙げさせてください~

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 Glastonbury。この中に入ると、アーサーのお墓といわれるところになります。その日、誰なのか分からない誰かからの花束が置いてあって、皆のアーサー王伝説への愛が伝わりました(笑)。Glastonburyに来るなら、LondonからバスでまずBristolに行って、Bristolで1回乗り換えしたら日帰りできます。その町自体はとても面白く、旅立つ前に友達から教えてもらったKnights Fish RestaurantのFish&Chipsは絶品でした(イギリス比)。バスは1時間2時間ごと1便で、終電が早いので、1泊しとけばよかったなと今でも反省しています。

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 Land's End。ここからもう見えない目で彼方を眺めてイゾルデを待っていたんでしょうね。

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 Doverのここかもしれない教会にはガウェイン卿のSkullを納めていた説があり、第二次世界大戦の時に戦火はDoverに及び、真実かどうかはともかく、死後にも戦争の禍から遠ざけられない男ですねガ卿は...

3-2、緑の教会へ

 緑の教会に行く旅は9月30日から始まりました。同じくロンドン往復で、3か月前予約を取れましたので、結構安くできました。
 2章で時間の考察はできませんでしたので、ここで軽く計算しましょう。
 ガウェインは9月30日にキャメロットから出発し、12月24日にBertilakの城館に辿り着いたので、計2か月24日間彷徨ってましたね。Peak Districtについての描写は途中から雪景色になりましたので、恐らく雪降る前に、つまり恐らく11月中旬前までにPeak Districtに入ったと考えます。こうなると、たどり着くまで1か月もう少しで、Peak Districtの中でで滞在した時間は1か月以上あったのでしょう。
 Tintagel Castle~Holyhead :325miles = 523km
 Holyhead~Wirral : 88miles=142km
 上記合わせて陸での最短距離が665㎞。
 (https://ameblo.jp/sumire93/entry-11537081222.html)
 ⇑この中世の旅の移動速度の資料を参考して、長距離を想定した、目的地が分からない旅なので、一般的な旅人と同等な速度として考えます。つまり通常4~6日ごとに行われる休憩を設けずに10日間で300km。凡そ22日が必要です。休憩が勿論必要なことで、平均を取って5日ごとに1回と設定すれば4回、最短でも26日が必要だとわかります。道に尋ねたり色々トラブルにあったり、道ができていなくて遠回りしたりすることはあると考えて、随分早く着きましたね。もしかして緑の騎士の服装だったり、手に持っている柊の枝だけでこの方角にいる人間だと特定できたリすることですかね?
 同じリンクを参考して高山地帯だと、一日4~5kmはよくあることらしく、Peak地域での旅はさぞ辛かったでしょう。
 どこから入ったのか、全く見当つきませんが、北部から真ん中を通ってPeak Districtの森を歩き回ることを想定すれば、最短ルートでも北から真ん中よりやや下のBakewellまで30miles以上+そこからSwythamleyまで20milesくらい、合わせて50miles、80.45㎞くらいです。速度を速めの5㎞にして、迷わずとも最短16日くらいかかりそうです。

★720-723行
At times he fought dragons, some times wolves,
or trolls of the forest that skulked in the crags.
he fought wild bulls and bears and boars as well,
and giants who stalked him from the fells above.
時には、竜と、また狼と戦い、また時には、
険しき岩山を棲家とする半人半獣と戦いしばかりか、野牛や熊と、
更には猪とも戦、またある時には、切り立つ断崖から彼の後を
追いかけ来る人食い鬼とも一戦を交えなければならなかった。

 日本語からは分かりませんが、英語がすべて複数形になっててヒェーと冷や汗が流れながら激しい戦いを想像してしまいました。Bertilakの城館で、Bertilakが大勢の人を連れて猪狩りに行くシーンがあり、猪狩り一匹と鹿や狐少々さえ丸一日かかりましたので、ここでサラッと並べられている単語1つは1日以上の重みがあるでしょう(興奮)。

 ついつい考察に入りがちで、もう旅の話に戻りなさい!...あっ、はい。
 夏休みで1週間の休みを取ったもので、すべて歩き回るには短すぎてあっさり色々取捨選択をしてしまいました。
 同じく電車をTrainlineで予約し、事前割引があってロンドンからマンチェスター片道4401円でとてもお得でした。そこから乗り換えてまた1時間半でBuxtonに着きました。The Roaches付近の農場に泊まる予定で、事前にそこのオーナーさんと連絡を取っててバスで行く予定でしたが、着いたら連絡が入って、オーナーさんはちょうどBuxtonに買い物に来るそうで、お言葉に甘えて車に乗って向かいました(笑)。

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 農場はPeak Districtの南にあり、どこまでも広がる荒野はとても居心地よかった。どこに行ってもこの一本道を歩かなければならないので、いつも両サイドのヤクの様な毛の長い牛から視線を浴びながら出かけてた1週間でした。
 初日着いて早々ハイキングブーツに履き変えて、9月末10月の月初のイギリスは日中陽射しで暖かく感じましたが、日が暮れた午後はすぐ冷えてきました。歩いても歩いても変哲もなさそうな壮大な景色をひたすら何百枚も写真を撮りながら、Lud's Churchの方向に向かいました。

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 一本道が多く、たまに三叉路に遭遇し、勘に任せることにしたら20分歩いて行き止まりだったケースが多く、基本荒野なので、電波もなく、携帯が全く役に立ちませんでした(笑)。

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 3時間くらい歩いたらとうとう日が完全に暮れ、感覚的にたぶん目的地まで残り1時間くらいの距離でしたが、そろそろ帰らないとまずいって気づいて、誰もいない暗闇で上機嫌に鼻歌を歌いながらうろ覚えの帰り道に沿って歩き出しました。
 日中は雲一つない快晴だったので、満点の星がきらきらと輝き、三脚を持ってこなかったことはとても後悔してました。
 ガ卿が旅してた時の遠い昔、星空は今よりも鮮明に見えたはずでしたが、死に赴く旅途中で観る余裕もなかったでしょうし、冬のイギリスは星を遮る荒天が多いと聞きましたから、同じ道を歩いたとしても心境が真逆かもしれませんね。

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 万が一帰れなかったらどうしようかなも思ったことがありましたが、結果的にまた3時間くらい歩いて何となく帰れました。まだ10月初なのに、夜がすぐ冷え込む季節で、動かないと流した汗が夜風に当たって風邪引きそう...
 終わった1日目は特に振り返ることもなく、淡々と終わりました。

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 時差ボケで朝4時に起き、窓からじーっと外を眺めてたら空がゆっくりと曙色に染めていき、2日目の始まりが告げられました。
 2日目は馬に乗る日。1時間半くらい馬を借りれる農場まで歩いていきました。馬に乗るスタイルはアメリカ式のWesternとイギリス式のBritishがあって、なぜイギリスに来るって決めたのにWesternの方を選んで勉強したのか、自分の心境は全く分かりませんが...とりあえず初めて乗ったBritishの鞍が...慣れないものでした。お尻がすぐ痛くなってまぁ2時間ですしいいや...と思ったら初めての山道がしんどかったです。特に大きな岩たたみが一段一段下っていく山道に降りていく時、地面に接触した瞬間の反動で顎も痛くなりましたし、ちょっと油断しただけですぐ道草を食べちゃう悪い子を懲らしめる術もありませんでした!この日14歳のガイドのお嬢さんと私しかいなくて、くそ下手マイペースでできるのがせめての救いかもしれません...色々ぶつぶつ言いましたけれど、実はとても楽しかったです...もう馬場の中で走るのが嫌になるくらい...

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 途中の小さい川で水を飲ませたりもやりました!日本だとなかなか外乗できないもので、このようなことができたちょっとした嬉しみが正に森の醍醐味で、一本道でスピードを出して走ったりしてた時はこの日の最高のひと時でした。
 乗馬を通じて何かわかったことがあるかって聞かれたら、何かわかることができるくらいのレベルじゃなかったなとしか答えられないんですね...姿勢を崩さないようにするだけでもう精一杯ですよ...あとはやはり馬は交通手段としてつらいなとでも。荷物背負って3か月の馬上生活はなかなかの苦行ですよね...
 正午前に戻ってきて、また緑の教会を探し始めました。

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 町中電波がありましたので、昨夜の反省として予め地図をダウンロードして歩いて向かっていきました(出発はFlashです)。想像より...遠い......けれど...River Daneも歩き渡って、想像より細かった川でした。「Dane」はDane族の人を指していますが、このDane族は「Viking」のことで、「Viking」は言葉的に、「略奪者」の意味からこう呼ばれているそうです。Dane族はイギリス、アイルランド、スコットランドとウェルズで掠奪行為を繰り返していて、Daneが入ってる地名があちこち出てます。この人らはデンマークのところからきたそうで、Denmarkの由来はDaneからというのが調べた結果。

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 (⇑歩行途中に出会った穏やかなRiver Dane)
 「緑の教会」まで2㎞未満の圏内に入った時、既に午後4時過ぎでした。その付近でどれだけうろうろしても全く見つかりませんでした。また暗くなってきた空を見て、まじかとがっかりして、どこに行っても地図が指してる方向に行く道がないので、仕方なく農場へ戻ることにしました。

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★2075-2080行
The clouds were high but threatened all below.
Mist swirled on the moor and melted on the heights.
Every hill had its cover, a huge cap of mist.
The streams boiled and broke their banks,
shattering bright on the path where the two men rode down.
雲は高くあるも、一波瀾こそあらん様の空にて、
ヒースの覆う曠野は薄霧かかり、小高き山々に霧雨を降らし、
丘という丘のその上は大きなる霧の衣が帽子の如くたなびき、
渓あいを縫いて下る川は泡すら立てて激しく流れ、岸を打ちては砕け散り、白き飛沫を上ぐ。 

 川はやや遠いですが、朝霧のかかった丘の上、ヒースの覆う荒野、遠いところの小高き山...言われた通りのような景色が近くに集まっていても肝心な教会が見つからないとは...時計を見てたらFlash出てから既に25㎞を歩いたようで、両足がとっくに棒になってます。

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 帰り道の夕焼けはとても魔性な色で、感覚が失ってそうな足を機械的に動かしながらいったい私は何のために来ていたのだっけって、気を逸らすように無意味に自分へと問いかけばかりしてました。
 曇ってきたせいで、星のない夜は昨日よりずっと暗く、Peak Districtで1か月探してたガ卿は毎日このようながっかり生活の連発でよくも耐えたなと...私ならとっくに諦めたのでしょうね。

 3日目は事前にガイドを雇いましたので、農場で合流して、新年のガ卿と同じように、日が昇ってすぐ、ガイド1人の道案内でLud's Churchに向かいました。

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 昨日見つからなかったのは、こういう一見入っちゃダメなところは入っていいらしく...本当に何のためにここまで歩いてきたの?!って一瞬自分の首を絞めたくなりました...

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 入ったらすぐ「Lud's Church」の矢印が見えましたし...

周辺 -23

周辺 -20

周辺 -18

★2160~2165行
...Pressed on past a rock at the edge of a copse
and rode down the rough slope right to the depths.
There he looked around and saw how wild it all was,
with no sign of a refuge anywhere:
just high and steep banks, and on every side
rough gnarled crags and knuckled stones.
...小さき森のかたえの丘陵に沿って突き進み、岩だらけの丘の
斜面を超えて、渓の深場へと向かっていく。
...四方は一面
荒涼たる曠野で、何処にも隠れ家らしきものは何一つ見当たらず、
ただ両側に高く切り立つ山の斜面と角張ったる
岩だらけの絶壁がはるかに広がるばかり。

 ガ卿は深場から山を眺める角度で、あいにく私は頂上に上ってきたのです。

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 岩だらけの山から低いところへ向かい、ガイドさんと小さな森に入りました。

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★2175
...and fastened the reins of his fine steed to the branch of a lime tree.
手触り粗き科木の枝に手綱を結び付け、わが駿馬を繋ぎとめた。

 残念ながら、食べれるかどうか以外、植物について全く造詣がなく、シナノキとは?と分からず、勝手に想像したやつを撮ったらあまりの自信なさで帰って写真整理したら妙にこの1枚だけ絶妙にブレたのに気づいて笑ってしまいました。

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★2180~2185行
It had a hole at the end and on either side,
and was covered all over with clumps of grass.
It was hollow inside, just some old cave
or a gap in an old crag.
この塚の先端には一つ、そして両側に二つ、穴が開いている、
一面草葉が生い茂り、内側見入れば全くの空洞、一体これは、
ただの古びたる洞窟なのか、あるいは年月を経たる岩場の深き裂け目にすぎぬのか、ガウェインには、どちらとも判じがたかった。

 文面のままの景色に鳥肌が立つほどうれしかったですね(笑)。

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★2185~2190行
Can this be the Green Chapel?
A place fit for the Devil
to say morning prayers at night.

...it's desolate round here,
an ugly oratory indeed, overgrown with weeds.

これがかの緑の礼拝堂であろうか、
ここなら真夜中あたりには
悪魔が祈祷を唱えるやもしれぬ。

さても荒れ果てにけるものかな。この礼拝堂、
雑草の生い茂り、いかにも気味悪しき。

 外にいた時はまだ虫の羽音とか、風に靡いて木々のざわめく音とかが聞こえてましたが、中に入って水気が溜まっているからか、空気が重く、異空間に入ったような静寂バリアが張っているようでした。日が高いのに、中は暗く、光が上のところしか届いておらず、確かに影の住人が好きそうなところでした(笑)。
 ガウェインはここで緑の騎士に会い、約束を果たし仕返しの一撃を受けるはずですが、緑の騎士はガウェインの首を切っておらず、自分がBertilakだと告げ、不誠実に城館からBertilakの帯を持ち去ったことだけ罰しました。
 洞窟の一番深いところは凡そ15mあり、団体でも入れそうな大きさです。

3-3、作者不詳の考察

 Lud's Churchは、14世紀末から15世紀にかけて、異教徒に認定され迫害されていたロラード派の人が身を隠すところだと考えられています。
 当時、ヨーロッパはローマのカトリック教会が一番権力を有しており、ラテン語の『聖書』が絶対的であり、改竄・翻訳などは許されていませんでした。ロラード派の神学者ジョン・ウィクリフは、『聖書』を理解もせず何がキリストだって思っていて、『聖書』の言葉はもっと世俗的にあるべきだと考え、英語への翻訳と解釈を始めました。ウィクリフを始めに、多くの学者はこの列に加わり、当時公式言語ではなかった英語の普及に大きな役割を果たしているともいえるでしょう。勿論、この行為はローマ教会の権威に対しては脅威であり、自分が神と人の間の唯一の仲介人だと思っていた聖職者から大きく反発され、神権と政権が一体化していたあの時代にロラード派は政治と宗教からの迫害を受けていました。
 なぜこの話をするかって言えば、SGGKが書かれた当時、イングランドの書物は素人の私の理解で、英語よりフランス語とラテン語のほうが一般的で、同じ時代に勃興していたロラード派の背景と結びつけて見ればマンチェスター方言で書かれたのがそれなりの意味があるでしょう。
 さらに、訳者の菊池清明氏が注釈で挙げらた内容ですが、SGGKでガウェインは75回も神に誓いの言葉を捧げたにも関わらず、清らかな騎士像に反して、Bertilakの城館で嘘をついたっていうキリスト教徒にあるまじき行為を為さったことも、完璧な正教カトリックの理想像を破る表現だと勝手に理解しています。同じ菊池氏の注ですが、不誠実が暴かれた2284以降、ガウェインは一度も誓言をしなかったことも面白かったです。
 「悪魔が祈祷を唱える」緑の礼拝堂の騎士はもちろん神の対極に立つ悪魔の類でしょうけど、結果的に正教徒の騎士が悪魔の代理人と見做されていた緑の騎士と和解したオチで、これらのことを集めて、作者である詩人はロラード派であったかもしれませんね。

3-4、その他諸々

 他にも色々景色がありましたが、一週間の時間がかなり短く、Peak Districtのデカさと交通不便は少し想像を超えたところもありましたので、すべて回り切れませんでした。ガイドさんに聞いていただいた写真も使わせて、最後に少しだけ内容を足して、残りはまた今度の旅で探そうと思います(笑)。

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★730-735行
...where cold streams clattered down from the heights or hung over his head in hard spears of ice.
そこにては、山の頂から湧き下がる冷たき小流れがしぶきをあげて流れ、
固き氷柱となって、彼の頭上高く垂れ下がっていた。 

 事前に調べて、Kinder Scoutだと思い、行こうとしてたのですが、不慮な自己で腰が痛めたせいで登れませんでした...ちょうどガイドさんは冬の時の写真を持っているので、頭上に氷柱が垂れ下がっている風景を確認できました。

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 角度が違うのですが、同じところで、ガイドさんが取ってくれた冬と私が撮った夏の景色が全く違いますね。

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 どれがTrollsが棲家にしていたところなんでしょう?(笑)
 洞窟は多いっていうほどでもありませんが、悩ませるくらいの数はありました。

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 「切り立つ断崖」を多く登り、このようなところに、ドラゴンとか、巨人とか、猪と野牛などに追いかけられ、戦っていたらグリンガレットはどうしてたんでしょうね。おとなしく何処かに隠れていたのでしょうか。どうでもいいことを考えてもいい肩が軽い時間が恋しかったです。

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 山の頂上に湖のような小さな池もあって、草が高く生えているところは地面にみえても踏んでしまったら水場だったところも結構あり、このようなところはSGGKで触れた湿地と沼地でしょうね。

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 山の朝は霧が濃く、「薄霧かかった曠野」はこのような景色ですかね。

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 ちなみにロビンフッドの物語の中の森もMam Torの近くにあり、仲間の1人とされているLittle Johnのお墓もPeak District内のHathersageにありますので、ついでにお墓参りもさせていただきました。

四、旅したい人のためのポイントまとめ

 誰か言ってたことで、モノを書く時点から自己アピールの塊ということで、2万字のボリュームを読む人はなかなかいないと思いますし、イギリスに一人旅で行きたい人のために、使っていたサービスを自分用のメモとしても残しておきます。

【往復の飛行機】
 ちゃんとした航空会社で3か月前の購入だと往復12万くらい行けます。クリスマスの時だけチケット難で、10月くらい購入して25万かかりました。

【宿泊】
  市内とかはBookingを使ってましたが、確かもっといいアプリがあるのも聞いたことがあって、まぁ基本Bookingで宿の名前だけ調べて、直接連絡したら安くなる場合もあるそうです。
 農場とかは直接ネットで調べてメールで連絡しました(笑)。今回の宿泊費は平均で1日60ポンドでした。

【WiFi】
 事前に空港でGlobal WiFiを予約して、インターネットで使える割引券いっぱいありますので、予約しといた方が無難ですかね。

【現地の交通】
 都市間だとバスでも電車でも、Trainlineというアプリはすべて解決してくれます。比較的に距離が短いバスはバスターミナルでチケットを購入するのもあり、更に短距離のバスは乗ってから運転手さんに行先を伝えて直接購入の場合も結構あります。
 観光地は基本1DAYパスがあって、乗る回数を予め計算して3回以上乗ればお得になるケースが多いです。
 ロンドン市内はOysterというSuicaみたいなもんがあって、持っといて便利。

【Peak District内】
 myGuidedWalks(www.myguidedwalks.co.uk)とLiveForTheHills(www.liveforthehills.com)を連絡して、両方ともすごく親切な返事をくれて、後者のほうはたまたま1日空いてなかったのでmyGuidedWalksさんにしました。ガイドのPaulさんと今でもインスタ繋がりでたびたび連絡取ってるくらい親切な方です(笑)。
 現地の移動はバスもありますが、本数少ないし行ける範囲も狭いから基本タクシー移動。タクシー会社はPeak Districtのホームページから調べられますし、宿の方に聞けば親切に教えてくれます。広くてあまり人がいないから、電話で伝える時は住所だけで特定できなくて、代わりに郵便番号が聞かれます。
 今回はNorth Field Farm(www.northfieldfarm.co.uk)で馬乗りを予約しました。数日間の外乗もできるそうですが、上級者向けで、もうちょっと練習して今度はチャレンジしたいものですね。

【他諸々】
 クレジット社会でクレジットカードがないと困ります。後PDのようなところだと、一番近い売店でも数時間歩くレベルだから、食料品は随時鞄の中に確保しといた方がいいと思います...
 食事は必ず現地の人とか、ウェブサイトで調べといた方が無難だと思います...なんかですね、今まで多くの国や地域に行ったことがあり、食に関して基本外れがないほど勘がいいほうだと自負しておりますが、イギリスでかなりの頻度で外れを引いてしまいました...別においしいものがないとかじゃないんですけど、おいしいところはちゃんとおいしいですがね...なんで外れるんでしょう...

 すべて含めて、Peak Districtの旅はまとめて25万台、クリスマスの時途中で熱が出たり写真を撮るために湖に落ちたりとか事故りすぎて未計算です...ご参考まで。

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