文章を投稿することでわかったこと
文章の価値
他人からの文章の評価
自分からの文章の価値
考えの深さ
判断材料
文章の価値
他人からの文章の価値
文章単体ではないのだが、
私は結果こそ最も尊ぶべきものだと考えている。
なぜか、逆に教えてほしいのだが、一つの項目で結果以上にわかりやすいものはあるのだろうか。いや、ない。
私が仮に文豪だったとしても、広告活動を行わない場合でも一生埋もれる可能性だってそれなりにあるかもしれない。
しかし、そもそも文豪レベルの文章が書けるのであれば熱意は十分にある可能性が高いため、その熱意を少しでも諸活動に入れたりすれば改善はするだろうし、
そもそも運がよければそのままファンがついて広まっていく可能性だってある。
私はここでそこそこ文章を投稿しているつもりだが、
そもそも熱意など一度も生まれたことはなく、広告活動なども行っていないので、今この結果があると言えるだろう。
つまり、私の文章にはゴミ程度の価値しかないのだ。
自分からの文章の価値
自分の文章を見直すことはあるだろうか。
私はほとんどない。
それは価値がないこととほぼ同義だ。
ただし、これは非常にハードルが高い。好みもある。
このハードルを少し下げるとすると
書いた/読んだ記憶が残っているかどうかだろうか。
なんとなく読んだくらいの記憶でも、数年後とかにそういえばと思い出せるような記事を書けるならそれはとてもすごいことだと私は思う。
好きの逆は無関心だからな。
考えの深度
記事内対象分野に対する理解の深度
文字数を見れば割とどれくらい書き込めるかわかる。
とにかく10万文字書いてみろとか抜かされたら私ならWikipediaかどっかからサイト内で全選択してコピーして、後は10万文字になるまでひたすらペーストし続ける。
しかしこういった記事を書いてみたいと自発的に書いた後に
文字数を計測してみると2,3000文字いけばいい方だろう。
露骨に文字数を稼ごうとか考えていないことを前提で
文字数を計測するとその物事に対する考えの深度とそれなりに比例するのではないだろうか。
プロの人間の記事を見ると読むことさえ辛いくらいの文章量を出してきたり、技術書として出してくることなどがある。
自分自身の考察の深度
自分の考えていることを片っ端から書き連ねることで文字数を稼ぐこともできる。
作文の課題などでこれはテクニックのような扱いを受けているが、
そもそも前提として文字数を稼ぐことは課してないのでそのような受け取り方はできない。
つまりこの条件下で自分の考えをひたすら付け加えていくことができるなら、それは自分の考察が深いと言ってもそこまで間違ってはいないはずだ。
判断材料
現状
文章を書き終わって見直すとわかってくることがある。
なぜ書いたのか
どこが理解が及んでいなさそうなのか
これからどうするのか
また、自身の文章の特徴についてもデータが蓄積されるだろう。
その上で外部に公開することにより
どれくらい興味を持たれるのか
広告は成功したか
などがアナリティクスと合わせて見ることにより、わかる。
これからどうすればいいのか
材料が揃えば、何がしたいのかと照らし合わせて目標特に中間の目標の修正を行うことができる。
修正するもよし、自信をつけてこのまま継続するもよし。
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