ゲームコラム:アクワイヤは如何にしてアクワイヤとなったのか?

前書き:アクワイヤの成立史に関するコラム。非常に興味深い内容であったので、掲載元サイトの許可の元和訳を掲載して紹介する。元記事はこちら。実際のところThe Opinionated Gamersの記事はどれでも自由に和訳して掲載して構わない、と許可を頂いているのだが。以下本文。

(以下の文章はNY州ロチェスターのStrong National Museum of Playにおいて最近私が行った調査に基づくものである。これに関して、同MuseumのJulia Rossi氏とNicolas Ricketts氏に、またMuseum訪問の計画についてはDan Blum氏に、そしてこの記事の執筆に関してはWei-Hwa Huang氏とMichael Tsuk氏に御協力いただいた)

ゲームの開発/デベロップメントは、ボードゲーム産業において最も評価されていない要素の1つである。その理由の1つは、この過程がほとんど目に見えないからであろう。購入者には、メーカーが手にする前から完成していたゲームと、メーカーが市場に出す前に大きな欠陥を修正する必要があったゲームを見分ける術がないのである。

面白いことに、ゲームを出版する方法としてKickstarter™が使われるようになったことで、この過程が一般に知られるようになってきている。出版されなかったかもしれない製品を市場に送り込めるというKickstarter™の最大の利点は、同時に大きな弱点でもある。Kickstarter™上のゲームの多くはデベロップされることなく直接マーケティングされる。ほとんどはメーカーによって精査されることもない。こうした方法でも良いゲームが生まれることはありうる。Kickstarter™発のゲームに対しては多くの不満もあるが、それでも素晴らしいデザインが、(時折)実際に生み出されてきたことは多くの人が認めるところであろう。しかしゲームが満足のいく完成度になるかどうかはデザイナーにすべて任されていることがほとんどである。

しかし一方で、多くのメーカーもデベロップメントにそれほど注力しているわけではないのである。Kickstarter™のゲームを買うことに比べれば、メーカーが一度判断をくだしている分有利ではあるが(もちろんその分購入者の選択肢としては制限されるわけだが)、しかし多くの場合ゲーム自体を最適化することについてはデザイナーに一任されており、メーカーは製造とテーマを担当していることが多い。

しかしながらこれには例外もある。ドイツのHans im Glückはその最たるものであろう。Hans im Glückは積極的にゲームデザインに変更を施す。私の知るどのメーカーよりも変更に積極的であり、(デザイナーから)受け取ったゲームデザインの中心的なメカニズムから、より多くを引き出すためであれば完全にデザインをやり直すことも厭わない。この方向性は会社の創立者であるBernd Brunhoferから始まっており、スタッフにも浸透している。このためHans im Glückはゲームデザインの変更の幅が他のメーカーよりも広く、プレイテストが彼らの重要な仕事となっている。

だからといってHans im Glückの開発が常に正しいと言っているわけではない。友人から聞いた話ではBernd Brunhoferがそれまでの開発で生まれたアイデアをすべて御破算にしたために、市場に出す直前の最終段階で出版が取りやめになったこともあるという。しかし、同社の(6回のSpiel des Jahres受賞を含む【注1】)これまでの成功を見れば、開発が良い方向に働いていることは明らかであろう。

開発の重要性を示すためには私が実際に開発中のテストプレイに参加した例を挙げるのがわかりやすいかもしれない。最も良い例はHans im Glückの人気ゲーム、カルカソンヌだろう。私が最初にこのゲームを遊んだ時には、ゲーム中コマがプレイヤーの手元に戻ってくることはなかった。それでもまったく問題はなかったが、実際の製品の方が明らかに面白くなっていた。手元に戻って再利用できる場合と盤上に留まる場合が混在していることによって、より多く、より興味深い決断が含まれるようになっていたのである。

もうひとつのわかりやすい例はMüll + Money(利益・廃液/英語版の名前はIndustrial Waste)であろう。ゲームのアイデアはデザイナー【訳注:Jürgen Strohm】の最初のゲーム(そして現在までの唯一のゲーム)としてHans im Glückに持ち込まれた。ゲーム自体は工業が環境に与える影響に注意を向けるためのツールとして持ち込まれたのだが、私がプレイした時点で既にほとんど完成しているように思えた。しかしそれでもなお、製品となる前に、ゲームはより簡略化され、ゲームの面白い部分はそのままに、プレイ時間は短くなって計算もわかりやすくなっていた。

もちろん世の中にはたくさんの“良い”ゲームが存在する。優れたゲームに賞を与える人々(例えばSpiel des Jahresの審査員やGames Magazine、カンヌ国際ゲーム祭など)は毎年たやすく有力な候補者を複数挙げることができるだろう。しかし、傑作というものは、出版された時だけでなく数十年後にも売れるようなゲームは、ずっと珍しいものだ。カルカソンヌや乗車券のようなゲームはデザイナーの生活やメーカーの先行きまでも変えるものなのだ。

そしてボードゲーム産業に新たな時代を拓くようなゲームは更に希なものである。CCGを世間に広めたMagic: The Gatheringはそうしたゲームの1つである。Dungeons and DragonsやTacticsもそうだ。そして私にとって最も大きな影響を与えたゲームといえばアクワイヤである。アクワイヤは大人向けのストラテジーゲーム、という市場を確立したのである。

知らない人のために説明すると、アクワイヤは株取引のゲームである。とはいえ多くの株取引ゲームと違い、株の価格はランダムな要素ではなくプレイヤーの行動によって変動する。アクワイヤにおいて、プレイヤーはホテルチェーンを創設し、成長させ、合併し、合併の際においてのみ現金を得ることができる(そして株を売ることができる)。ホテルチェーンが合併吸収される際に、株の取得数が1,2位のプレイヤーは現金収入を得、またその株券を保持するか交換するか、あるいは売るかを選ぶことができる。株券を自由に売ることができないため、ゲーム中盤の資金繰りは非常に厳しいものになる。最終的にいずれかのチェーンが41以上の大きさになるか、すべてのチェーンが11以上の大きさになるとゲームは終了する。それぞれのホテルチェーンについて1,2位の株主にボーナスが与えられ、すべてのプレイヤーは株式取得数に従って収入を得る。最終的な資金が多いプレイヤーが勝者となるのだ。Wolfgang KramerのBig Bossを含む多くのゲームがアクワイヤに影響されて生まれた。私は、ゲーム内のアクションによって株価が変動するというアイデアを押し進めたという意味で、1829にもアクワイヤの影響があるのではないかと考えている。

私が始めてアクワイヤを知ったのは12歳の時に家族と共に両親の友人の家を訪れた時だ。その家の息子は私より5歳程年上だったが、アクワイヤを持ち出してきて、私と兄とを誘ってくれた。アクワイヤを遊んでいる間に、私のゲームに対する考え方は一変した。その頃の私は、ゲームは基本的に子供のものであると思っており、ゲームに惹かれることも少なくなっていた。しかしアクワイヤが私を変えたのだ。ゲームは子供が夢中になるようなものではなく、ホビーであると考えるようになった。すぐに私は自分用のアクワイヤを手に入れて、友人と頻繁に遊ぶようになった。Apple II版のアクワイヤを購入した時には、それが単にプレイヤーの持つ株券を管理するためのものであってLords of ConquestやM.U.L.E.のようなAIプレイヤーを備えていないことを知って非常にがっかりしたものである。

大学の間はそれほどゲームを遊んでいたわけではないが、それでも時折アクワイヤを遊んでいたし、ゲームといえばそれはアクワイヤであった。rec.games.board.marketplaceの頃に木製タイルのアクワイヤを手に入れることができて非常に嬉しかったし、やがて私はまたゲームを定期的に遊ぶようになった。

数年後に、私は有名な(そして希少な)アクワイヤ“ワールドマップ”版のことを耳にした。それはアクワイヤの最初のメーカーである3Mから出たものであり、私はなんとかそれを手に入れることができた。驚くことにワールドマップ版のルールはまったく異なっていた。各ホテルチェーンにつき25枚ずつの株券があるのではなく、株券の枚数は22~35枚と異なっていた。プレイヤーにはゲームの開始時に株券が配られ、1ターンには1枚しか株券を購入することができなかった。更に奇妙なことがあった。様々な点から見てワールドマップ版は通常の木製タイル版よりも先に出ているはずなのだが、コピーライトは1963年となっており、通常版の1962年よりも遅いのであった。当時私はこのことをそれほど気に留めていなかったのだが、不思議ではあった。

そして2012年に、私はアクワイヤの50周年を記念してアクワイヤを50回遊ぶことに決めた。私はその結果を記録して、様々なことを発見した。驚くようなことではないかもしれないが、2つの終了条件はおよそ半々で発生し、10回に1回は両条件が同時に満たされていた。より興味深い事実は、1ゲーム中の平均合併回数は7回で、7割のゲームでは合併は6~8回しか起こっていなかった。私はもっと多いと思っていたのである(この50回に関するより詳細な情報はhttp://boardgamegeek.com/geeklist/98294/50-plays-of-acquire-in-2012 を参照のこと)。そして再び謎が顔を現した。Rick Heliにアクワイヤが実際いつ出版されたのかを訊かれた私は、その答えを知らなかったし、どうすれば正しい情報を見つけることができるのかもわからなかったのである。

過去に読んだいくつかの文献から、私はシド・サクソンが非常に几帳面な人であったことを知っていた。そしてStrong National Museum of Playで日記を見て、シド・サクソンがどれほどきっちりした人だったかを実感した。日記にはたくさんの情報が詰まっていた。それだけではなく、目次があってどこに何が書いてあるのか簡単に見つけることができた。彼の残した書類もまた素晴らしいものだった。手紙は手書きの下書きがあり、やりとりの記録も残されていた。これによって半世紀前に行われた議論を容易に再現することができた。

しかしアクワイヤの歴史を辿る上では残念なことに、彼の日記は1963年から始まっていた。以前読んだ本では、アクワイヤはLotto Warという名前のウォーゲームが元となっている、と書いてあった【注2】。初期の日記を調べながら、私はサクソンの残したものを調べることに多大な時間を費やすことに気乗りしなくなっていた。そんな中でChris Kovacが1963年10月11日の日記に「アクワイヤ(Vacation)についての契約にサインした」という記述を見つけた。これはアクワイヤが1962年に出版されたという話と合致しない。そこで私はそこから90分の間、アクワイヤの歴史を理解するためにシド・サクソンと3Mとのやりとりなどを調べた。以下は私が調べた結果である。

アクワイヤのデザインがいつから始まったのかを知ることはできなかったが、3Mに見せられる状態になった時点では、Vacationと呼ばれていた【注4】。シド・サクソンは3Mがいくつかのゲームを出そうとしていることを1963年3月26日に知った【注5】。そして1963年4月2日に、アクワイヤを3Mに(Vacationというタイトルで)見せている【注6】。これは明らかに「3Mが1962年にアクワイヤを出版した」という説を否定するものである。それではなぜアクワイヤの箱には1962年のコピーライト表記があるのだろうか?私は当初、3Mがゲーム(のプロトタイプ)を1962年に受け取ってアートワークのコピーライトが1962年のものなのではないかと考えていたが、この4月2日の日記の記述からこの説も否定された。しかし1963年の日記を読み進めると、それらしい説が見えてきた。サクソンはおそらくアクワイヤのルールのコピーライトを1962年に登録して、その日付がカバーアートに使われたようなのである。また、日付表記が、先行する他の3Mのゲーム(Twist, Oh-Wah-Ree, Phlounder)と合わせるために使われたということもありうる。これらのゲームはサクソンが3Mにアクワイヤを見せた時には既に市場調査用の製品ができていたのである。

3Mがアクワイヤを見てから出版を決定するまでの経緯は比較的シンプルである。5月17日、最初にアクワイヤを見てから6週間後に、3Mはサクソンに対して、ゲームを更に評価するまで仮押さえするために支払いをしている【注7】。更におよそ1ヶ月後には、3Mは出版コストを抑えるためにVacationに変更を施したいとサクソンに伝えている【注8】。残念ながらその変更の内容を示す直接の記録はないが、その後の状況からどのような変更だったのかを推測することはできる。アクワイヤの記述はその後しばらくなく、3Mがアクワイヤの名称で市場調査を行いたいと言っていることが9月に書かれている【注9】。この間にあった重要な出来事は、サクソンが、代理人Alice Nicholsを通じて契約の申し出を受けたことである。印税は$25000が上限とされ、模倣品によって売り上げが減った場合には最大80%が差し引かれるという内容であった【注10】。この件はすぐに解決し、サクソンは1963年10月11日に契約にサインしている【注11】。

市場調査用のアクワイヤの生産は11月の始めにはほぼ終了していた【注12】。3Mは自社生産を行うことができたのである。3Mは8ヶ所で調査を予定していた。シュリーブポート、ニューオリンズ、セントルイス、カンザスシティ、デモイン、マディソン、ミルウォーキー、デンバーの8都市であり、中でもニューオリンズ、セントルイス、デンバーではフルカラーの新聞広告が掲載された【注13】。広告のコピーはサクソンの元にも送られており、5つのゲームがすべて異なるサイズで並んで載っているこの広告【注14】は、それ自体が興味深いものである。アクワイヤの歴史に関して言えば、3Mが市場調査用に作ったこの試作品が、実際には“ワールドマップ”版のアクワイヤとして知られているものなのである。このことはサクソンが3Mに送った手紙の中で、市場調査用の製品についてワールドマップ版としてルールに言及していることからも確認できる【注15】。

ワールドマップ版のルールについてのサクソンのコメントを理解するためには、まず通常のアクワイヤのルールとの相違点を理解している必要がある。まず、最も重要な相違点は、株券は1ターンに1枚しか購入できないと言うことである。しかしその代わりとして、各プレイヤーはゲーム開始時に株券を60枚ランダムに配られるのである。更に難しいことに、それぞれのチェーンの株券の枚数は22~35枚と異なっており、またチェーンを創設したプレイヤーに対する報酬もないのである。これ以外にも、例えばコンチネンタルが安いホテルチェーンとして設定されている、といった細かな違いはあるものの、主要な点は以上の通りである【注16】。

アクワイヤが我々の知る姿になる過程を調べる前に、ワールドマップ版のアクワイヤについてあと2つ、知っておくべきことがある。1つ目は、ワールドマップ版アクワイヤこそがサクソンが3Mに提出したゲームだ、ということである。これはサクソンが自分用のゲームを受け取った直後に支払いチャートの変更に問題はない、と日記に記していることからも明らかである【注17】。これ以外に変更点に関する記述がないことから、他の部分は変更されていないと考えることができる。この市場調査用の製品は1ヶ月前にサクソンが提出したものとほとんど同じだったのである。2つ目は、市場調査用製品の生産部数の問題である。サクソンの残した書類にはこれについての具体的な記述はないが、ヒントとなる情報は遺されている。最終版のアクワイヤの一般販売に先駆けて、サクソンは3回印税を受け取っている【注18,19,20】。残念ながらここにも生産部数は書いていないのだが、総売上が$2368.91であったことが記されていた。新聞広告から市場調査用のアクワイヤの販売価格が$6.98であったことがわかっている【注21】。当時のゲーム販売の状況に関する限られた知識から推測すると、売り上げとして計上される額は販売価格のおよそ2/3であると考えられる。この推測が正しければ、市場調査用の製品は500部製作されたことになる。売り上げ額を低く見積もれば、750部、あるいは1000部製作されたということもありえなくはないが、状況から判断して500部というのが適当だと思われる。加えてサクソンが事前に受け取った印税は、記録から$75であったことも記しておく【注22】。

アクワイヤの出版日に関して言えば、Z-Man GamesのZev Schlesinger氏と話したところ、彼の立場から言えば、ゲームには出版日というものはなく、製造日と出荷日が定義できるのであるそうである。しかしながら市場調査用の製品をそうした日付に使うことは(彼自身は)ないだろう、とも教えてくれた。彼の見解では、出版日は「市場に製品が出回る予定の日」を意味するのが妥当であろう、とのことである。

さて、アクワイヤの市場調査用の先行試作製品について明らかになったところで、次の、そして私にとって最も興味深い問題は、いかにして我々が親しんで愛している今日のアクワイヤができたのか、ということである。サクソンが手紙を下書きし、それを保存する習慣があったおかげで、この道のりをほぼ完全に追うことができるのだ。

Bill Carusonは3Mの商品担当であり、3Mがゲーム業界に参入する際の主要人物である。サクソンが市場調査用のアクワイヤを受け取って最初にCarusonに出した手紙は、ワールドマップ版アクワイヤのルールの改善であって、変更ではなかった【注23】。サクソンは以前から議論の的であったルール(ホテルチェーンのマーカーが盤上のホテルマーカーに置き換わるというルール)が取り除かれたことで、ワールドマップ版のルールが一貫していないと指摘している。それ以外にも(おそらく支払いチャートの変更により)数字が間違っている部分を指摘し、戦略上のヒントやゲーム時間が短いことを強調する文章を加えたいと書いている。

Carusonがワールドマップ版アクワイヤを少し変更したいと提案したところから本格的な変更が始まった【注24】。1つ目の提案はゲーム開始時に株券を配る代わりに、追加で$3000を渡すことであった。2つ目は、アクワイヤのプレイヤーならこれがどれほどひどいアイデアかすぐにわかるだろうが、1ターンに何枚でも株券を購入できるようにすることであった。最後にCarusonはターン順を決めるために使ったタイルをそのまま盤上に置くことを提案している。ワールドマップ版ではこれらのタイルは手元のタイルに加えられることになっていたのである。Carusonは更に、これらの変更を施した後は特に、ゲームは4人で遊ぶ方がそれ以上で遊ぶよりも面白い、とも記している。

サクソンの返事は完全にプロフェッショナルなものであった。株券の購入制限をなくすことがどれほど愚かなことなのかを驚くほどしっかりと書いているのである【注25】。サクソンはまず、ゲーム開始時に株券を配らないようにすることについて賛成している。開始時に配る株券は、株というよりもプレイヤーの影響力を示すもののつもりだったことを説明しているが、変更自体には同意している。一方で購入制限の撤廃には“強い拒否”を主張している。サクソンは自身のプレイグループでこのルール変更がどのような影響を与えたかを丁寧に記述している。最初のプレイヤーがホテルチェーンを創設して株券を12枚購入し、次のプレイヤーがそのチェーンの株券を6枚購入し、その次のプレイヤーは新しいホテルチェーンを創設して株券を12枚購入し、と続いた場合、株券を2対1交換する意義が(現金収入以外)無くなってしまうのである。ゲーム後半には、ホテルチェーンを創設して株券を買い占め、株式取得1位と2位のボーナスを両方獲得することも可能になってしまう。サクソンはそれぞれのチェーンの株券を18~30枚まで減らし、創始者に2枚の株券をボーナスとして与え、購入制限を1枚に戻すことを提案している。一方で、変化をつけるためにホテルチェーンを創設する際にはランダムに決められた順番に沿って創設することになっていた。吸収合併されたホテルは順番の最後に並ぶのである。アクワイヤで手持ちの株券を他のプレイヤーから見えるように公開するか、見えないように隠しておくか、については古くから議論の対象となっているが、これについてはサクソンの提案が参考になるだろう。内容が見えないように配られる株券はないのだからすべての情報は公開されている。プレイヤーは株券をいつでも他のプレイヤーが確認できるように持つべきである、というものである。またサクソンは、最初に手番を決める際のタイルがチェーンを形成した場合についても言及している。その場合には最初にプレイするプレイヤーがどのホテルチェーンにするかを決めることするよう提案しているが、同時にそうした場合最初にプレイするプレイヤーが有利になることを気にして、変更を行わないよう勧めている。とはいえ強く反対するわけではない、とも書いているのだが。

次のサクソンとCarusonのやりとりはAlice NicholsとCarusonの会話の後に行われた【注26】。サクソンは自身のルールを使ってテストプレイを行っているが、ホテルチェーンを創設できなかったプレイヤーが事実上ゲームから脱落してしまうことについて報告している。これを是正するために、合併を引き起こしたプレイヤーに、その株券(実際には株券を取り消し線でブロックに書き換えているのだが)を与えることを提案している。この合併ボーナスは、合併後のホテルが更に合併可能な大きさである場合は2枚、合併不可能な大きさであれば1枚であった。また運の影響を補正するために、サクソンは25枚のストックオプションカードを追加し、ゲーム開始時に各プレイヤーに更に$2000を配ることも提案している。ストックオプションはランダムにプレイヤーに配られ、使用するまでは隠されている。プレイヤーのターンでは、ストックオプションを1枚使うことで株券を追加で1枚購入することができる。更に興味深いことに、サクソンはタイルを合板か厚紙に変更することも提案している。この場合タイルラックが必要となるのだが。3Mはこの提案を受け入れなかったが、後にアバロンヒル社によって実現することになる。

Carusonの返事はあまりはっきりとはしていない【注27】。アクワイヤが3Mのテストで遊ばれた中で“最高のゲームの1つ”であったと言い、アクワイヤの基本的なコンセプトが極めてしっかりしているので「ルールを変えてもあまり違いはないのではないか」と書いている。Carusonはルールの写しを同封し、最終製品版が8月15日頃に完成する見込みであると記している。Carusonのルールは初期のアクワイヤのルールを知っている人にとっては非常に馴染みのあるものだろう。気をつけて読まなければ違いを見つけることができないくらいである【注28】。サクソンはすぐに返事を出し、ルールについて細かいが重要な指摘をいくつかしている【注29】。株券の購入はタイルの配置の後でなくても良いことを指摘し、この点を明確にするよう求めている。さらに合併後の株券の処理の順番が重要であることも指摘し、合併を引き起こしたプレイヤーから処理を始めるようにすることを勧めている。最後にサクソンは2位のプレイヤーが複数いた場合の処理と、ボーナスを分割した際に$50の端数が出た場合の処理について記している。この内1つ目と3つ目の点に関しては、ワールドマップ版のアクワイヤでは明確に記述されていたものが、デベロップメントの過程で不明瞭になっていたものである。これらの点はすべてアクワイヤが発売される前には修正されている【注30】。

アクワイヤが現在の形になるまでの物語は事実上これで終わりである。1ターンに購入できる株券が3枚に変更された点については明らかではない。またCarusonがいつ株券を25枚ずつにしたのかもわかっていない。しかしサクソンがプロトタイプを納めてから実際に発売されるまでの間にしっかりとした開発が行われたことは明らかであり、その過程においてBill Carusonが重要な役割を果たしたことも事実である。アクワイヤが発売後すぐに広く遊ばれるようになったことも記しておこう。先述の売り上げ額に関する試算から考えると、1964年の第3四半期(ゲームが発売された時)の売り上げは3500以上であり【注31】、第4四半期では12000に上る【注32】。この数字は現在の新作と比べてもかなりの数字である。また、箱になんと書いてあろうとも、アクワイヤが一般に販売されたのは1962年ではなく1964年なのである。

それでは、このKickstarter™の時代に、アクワイヤと同じくらいの開発をすることはできるのだろうか?一部のメーカーは、市場調査用の試作品を作ることまではしなくとも、アクワイヤ並の開発を行っており、実際に開発を受けたゲームもある。リオグランデから発売されたDominionが良い例だろう。しかしこれを他のゲームにまで広げられるだろうか?十分な開発はゲーム出版のコストを上昇させる。それはボードゲームのような利益の少ない業界にとっては深刻な問題である。しかしアクワイヤと同じような結果が得られるのであれば、そのコストを支払う価値は十分にあるだろう。

しかしより大きな問題はCarusonがアクワイヤにしたようなことができる開発者を見つけることである。特にCarusonが自分のしたことを正しく理解せずにやっていたことを考えればこれは問題である。もし優れたゲーム開発者が売り上げを伸ばすことができるのであれば、コストは正当化されるだろうが、誰が優れたゲーム開発者なのか(売り上げが実際に伸びるかどうかのレベルで)知ることは難しい。確かにその開発者が関わっているのならば面白そうだ、と思うような開発者はいるが、そうした開発者は既にメーカーに所属している。あるいはそうした開発者は独立して働くこともできるだろうが、Kickstarter™プロジェクトの中には開発を行う以前のレベルのものもあり、そうしたプロジェクトが支援者を得られずに苦労をしているのを見ると、独立には大きなリスクがあると思われる。しかし、もしかしたら誰かがうまく働ける方法を見出して、CarusonやBrunnhogferのようになるかもしれないのだ。

 【注】に関しては元記事を参照のこと。

感想:50年前のゲーム開発に関してここまで詳細にわかる、というのは得難いことであるし、大変に興味深い経緯だと思います。アクワイヤが(正規版として)発売されてから今年で50年、というのも感慨深いことです。記事自体は「ボードゲームにおける開発の重要性」と「アクワイヤが発売されるまでの歴史」という2つのトピックが混ざっていて、必ずしも一貫した論調ではないようにも感じました。どちらも面白い話題なので分けて扱った方が良かったのではないかと思いますが……特にKickstarterの問題点に関しては、それはそもそもの目的が違うのだから大手メーカーと比較して論じてもねえ、というのが正直な気持ちです。アクワイヤに関しても、開発の重要性よりも、プロトタイプで既に完成度が高かったことに対する驚きと、シド・サクソンすごい、という印象の方が大きく感じられました。

しかし実際ここまで調べるのは結構な仕事だったと思います。素晴らしいコラムでした。Strong National Museum of Playというのは知らなかったのですがNYにあるのですか……ちょっと気になりますが、行くのは大変そうですね。

アクワイヤも久しく遊んでいないので、近い内にまた遊んでみたいと思います。

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