見出し画像

オブラートに包んだ死にたい気持ち

何でこの話になったかは覚えてない。紅生姜のストーリーにリアクションしてすぐ〝実は消え去りたいと思ってる〟と言われた。〝でもそれは、オブラートに包んだ例えで、本当は毎日死にたいと思ってる。〟と言い直された。

正直なところ、この手の話は直面したことがなかった。自分もそれなりに苦悩はあるし、うつになった事もある。あと何年も、ただ生きるために仕事をして、部屋と職場の往復をする事になるのかと、先の事を考えて心底幻滅する事もある。でも、死にたいと思った事はない。

死にたいという気持ちを私に話した理由は聞いてない。友達でもない、会って話したこともないからこそ何も考えずに言葉にできた。のだと勝手に思っている。本人はその頃かなり深刻な状況だったと思う。

とにかくなんとかしなければと思ったけど、すぐに何もできない。とも思った。話を聞くにも切り出し方がわからなかったし、その事に触れていいかすらわからなかった。インスタの投稿やストーリーがシェアされれば、それにコメントを残したり、他愛のない話でDMのやり取りをすることしか出来なかった。死にたいと思ったきっかけとかは、そのやりとりの中でざっくりとはわかったし、それ以上深く知りたいとは思わなかった。ただただ、生存確認するみたいにインスタをチェックして、話を聞いたり、聞いてもらったりするだけだった。それに助けられた。と、あとになって感謝されたけど、私自身のメンタルの安定にもなっていたし、単純に、この小さな画面の中でかわす言葉のやり取りが楽しかった。もっと話したいといつも思っていた。

当たり前の生活が、ある日突然当たり前ではなくなって何もかもが嫌になって、〝毎日死にたいと思っても、そんな事考えてちゃいけないと思うから、気を紛らわせている。〟と言って、その時は〝何事も面白がるしかない。〟とも言っていたけど、今はその言葉が彼自身をそのまま表していると思える。

私にはとても想像のつかない悲しさや苦しさを経験したその人の、生きるための選択肢がソレなら、とてもしっくりくる。でも、正直、その時は理由はなんでも良かった。ただ生きてさえいてくれれば良かった。毎日死にたいと思わない日々に戻ればいいと願っていた。

こうやって文字に起こすと、わりと重いはじまりだったかもしれないけど、その後は楽しいとか、面白いとかのやりとりの方が多くて、このはじまりが今年の3月だとはとても信じられない。もう何年もの仲みたいな感覚で、すごく昔の事のように思える。まだ半年も経っていない。。。なのに心地よい関係だと私は思っている。

言葉は選んでいるようだけど、オブラートに包まなきゃいけないような話は多分もうないし、いろんなことを受け入れる覚悟はできている気がする。