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転職8回の裏に隠された自分の原体験との対話についての話。【前編】

転職8回!という話をすると今でこそ驚かれる事が多くなりましたが、当時は色々言われた事もありましたΣ(・ω・ノ)ノ!

転職エージェントからは
「転職回数が多すぎて先方からNGがでました…」

周りからは
「アンタまた転職するの?安定しないね」

様々な意見はありましたが私がなぜ”転職”を止めなかったのか、それには私の幼少期からの原体験が深く関わってきます。

そんな私の原体験は圧倒的な”劣等感”から始まります。
自分に自信がなくなっていった理由は今でこそ本当に明確で、私には4歳年上の兄がいて、私を取り巻く環境は血の繋がりがある限り全員が”警察官”といういわば公務員家族だったのです。

ドラマのような話ですが、そんな環境で兄は割と何でもできる優等生、私は何をしてもあまりうまく出来ない劣等生だった訳です(/ω\)

両親からの言葉は
「お兄ちゃんは出来るのにアンタは取柄がないねぇ…」
という言葉が慣れてしまうほど日常的でした。

後は本当によくあるパターンですね(=゚ω゚)ノ私はそんな環境下の中でこんなふうに考えて行動していた訳です。

「お兄ちゃんみたいにお利口さんにならないと」
「お父さんに叩かれないように行動しないと」
「お母さんに褒めてもらえるようにやらないと」

こうして常に人の目を気にしながら、自分の考えは持たずいう事をとにかく忠実にこなせるように日々を送っていたのです(; ・`д・´)

もちろん上手くいくわけは無く、更に深みにはまっていく事になるのですが、当時はそんな事は解らずひたすら”出来ない自分”を責め続ける事でしか答えは見つかりませんでした。そうして言われてもないのに頭の中は

「僕は生まれながらの欠陥品なんだ」

という思いでした。

兄の背中を追いかけるという前向きな感覚ではなく、兄と同じことをしていればきっと怒られずに済む(兄が怒られていないから)、そんな思いで

小学校は兄貴がやっていたから”野球”
中学校高校は兄貴がやっていたから”ラグビー”

こんな調子でひたすら同じことをやっては、自分の劣等感を何とか埋めようと悪戦苦闘していました。

そして兄が大学進学を止めた事で、私の線路は途絶え一人の冒険が始まったのです。ここまで劣等感とのお付き合いは18年にもなっていました( ゚Д゚)

無事に大学進学は果たせた事で、初めて兄のゴーストがいない状況での冒険が始まりましたが、心の中では
「何をしたらいいかわからない…とにかく言われた通りにしよう」
こんな状況で専攻したのは警察官になる為の”犯罪心理学”、親に絶対やれと言われていた部活動はラグビーでしたが、正直もうやりたくなかったのでここは得意な走る事をして回避しようと”陸上”を選びました。

心理学はそれなりに楽しく勉強できたし(自分の心境に関しても学べたし)、陸上では得意な事もあって関西代表に選ばれたり、所属大学のレコードを塗り替えたりと当時はちょっとした無名の”ダークホース”扱いされてました(笑)普通なら喜べることであるこんな事でも、私は親が認めてくれるかな?兄貴はビックリしてくれるかな?なんて事を考えながら生きていたんですね。まぁ多少は喜ばれたので嬉しかった記憶はあります( *´艸`)しかしこれまでの劣等感を埋めるまでには到底およびませんでした(笑)

そうして大学生活も終わりを迎えようとした時に事件は起こりました!
社会人に向けて敷かれていた”警察官”というレールは、私の先天性の障害によっていとも簡単に”絶たれ”ました。。
私は生まれながら目に障害を持っていたようです( ゚Д゚)もちろん適性検査で落とされました。親からも

「まぁしょうがないね…別の道を探していくか」

と言われてホッとするかと思いきや私の”欠陥品”指数はMAXに振り切ってしまいました…(笑)
そうして家系でも経験した事のないような私だけの大冒険がいきなり始まる事になるのです(=゚ω゚)ノ

考える時間はあまり残されていませんでした、、何せ警察官1択だった私は限界まで陸上をやってたのですでに4年生の11月でした( ゚Д゚)
そして親からもうけられた期限は”卒業したら家を出ろ”という明確な期限でした( ゚Д゚)
いよいよ劣等感の塊でやり方すら解らない私の生死をかけた大冒険が幕を上げるのでした(笑)

【後半】に続く→

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