死後の世界を宇宙のエネルギーから模索する
死は無になるのか、あるいは死後の世界があるのか。
宇宙誕生に発生したエネルギー
現在宇宙の誕生はビックバンから生まれたとされたりそうでなかったりしているようで、しかしどうやらその破裂というかそのビックバンにおける爆発に伴うそのエネルギーが宇宙誕生から現在に至るまで漂い続けているとされている。
そのエネルギーは波動である、この世にある全ては原子によって構成されていて、その原子は電子、陽子、中性子で構成され現在確認されている最小のものは素粒子として還元されている。
この素粒子はエネルギーによる振動であり波動である訳だ、そのエネルギーは138憶年経過した現在でもこの世界、宇宙を含めた世界に漂い続けている。
全ての物質は存在しないが存在するように振舞っている
例えば固い物質であるデスクもその机に構成されている電磁気力があり、それを固い物であると私達が認識しそれを触れたり叩いたりして固さを感じているのも、叩いているその爪や手、その爪や手が構成されている電磁気力との反発する力が働いている。
これをミクロの世界で捉えると全ては波動であり物質というのは本来存在しない筈であり、この存在を肯定しているのは私達の世界での話であって、その纏まりやすいものに集合している素粒子が物質のように振舞っているだけで、実際は我々や我々がそこにあると思っているそれは波動である訳だ。
二重スリット実験
猫が今まさに木を横切ろうとしているとして、その猫が次にその木の左右どちらを通るのかというとそれはランダムである。
仮にその周りは一切確認出来ずその猫が通った経路は目視出来ないとしても確率は左右どちらを通るのかは50%で固定される筈だが、現段階では左右どちらにも猫が存在している。
言っていることが矛盾していて意味不明だが、そのとき猫2匹が存在していることになる、それは私達が知らないだけでどちらかを通っているとするだろうがミクロの世界だと通用しない。
もしその木の周辺を観測できるようにすればどちらか一方に猫が1匹現れ、2匹居た猫が1匹として確定される。
もはやよくわからないがそういうものだと認識するしかない、それがミクロの世界で起きている、このように考えないと説明がつかない事象がミクロの世界では起きている。
これはコペンハーゲン解釈と呼ばれている。
ここにスピンの話も入るがその話をすると長くなるので割愛する、今は死後の世界がどうなるのかの話であるからもし気になるなら検索してみると良いだろう。
では次に多世界解釈の話をする。
先程と同じように周りが観測できない状況で猫がその木の左右を通るとして、同時に存在が肯定されて猫は左右どちらにも存在するのは同じだ。このとき観測すると今そこに左に猫が存在していたとしたら別の世界で同時期に右にも猫が存在する、観測者は別世界から同時にその左右の猫を観測しているという解釈だ。
コペンハーゲン解釈との違いは、コペンハーゲン解釈では世界は一つであり、猫は左を通った猫と右を通った猫は確定しておらず、確率的に存在している。
それに対して多世界解釈では左を通った猫の世界と右を通った猫の世界の二つが並行して存在していると考える。
次に二重スリット実験についてだが、現在様々な説や新たな解釈が生まれている。光子を飛ばす機器を置いて光子を飛ばし、左右どちらかのスリットを通過させるとその直線状に光子の跡がスクリーンに表示されると思えばそうでなく、その数を増やしていくと必ず幾重もの縞模様が浮かび上がる。
しかし、光子を観測するとその結果が変わり光子は直線状にスリットを抜けて2つの跡が出来るというよくわからないものだ。ただこの観測について問題があるとして様々な説があって、光子は分裂して同時に別の場にスクリーンに表示される説、光を当てて観測しているからそうなっているという説、しかしそれを否定するものとして意識によってその振る舞いを変えるとする説、それは例えば右に行けと意識すると光子が右に偏るといったもの、そういった様々な説を持ちながらも結局のところ観測すると何やら反応が変わることだけは変わらないようだ。
もうひとついえるのが電子は連続して撃てば縞模様を描くことから電子は波の性質を持っているのではとしている。
脳より先に身体が脳の役割をしている
脳が身体を動かしていると考えがちだが、人の脳はその役割に対して決定権を持っているだけで身体が先に動き始める。
体を動かそうと意識してから体が実際に動くまでは0.2秒程かかり、無意識(運動準備電位)から数えると、体が実際に動くまでに0.7秒程かかっていることになる。
陸上の短距離走で、スタートの合図より0.1秒以内に反応した選手はフライングにするというルールは「人間は合図より0.1秒以内に反応することなんて理論的にありえない」という考えからきている。
一度決めた事柄を修正したり中止するのは時間が経つほど難しいようで、とっさの判断でいうと決断したのが0.1秒であればその決断の変更に成功するが、0.2秒後になると成功しづらいともされている。最初の命令が既に筋肉に送られているため変更したり中止にすることが困難なようだ。
これの意味するところは理性で身体を制御するから、その制御をするには時間制限があるのでなるべくなら余裕を持ちたいとなる訳だ、咄嗟の行動はごく自然に決断してしまう為に取り返しがつかない。
その決断に必要な時間が遅ければ熟考して脳で思うことに行動を起こせるが、必要な時間に対して瞬時に反応しなければならない場合は身体の記憶に任せることになる。
これはある意味では身体は脳と同じ働きをしているとも取れるし、あるいは脳を主体として捉えると過去に予め決定されていることをただなぞっているとも捉えられる。
例えばギターの知識が全てあったとして、ではそのギターを思いのまま演奏出来るのかというとそうでないことから、身体は脳のように記憶をしていてそうして覚えた作業をなぞっていると考えて自然だろう。
思いもしない悪口が出てしまったり、咄嗟に相手に対して思いもしないのに攻撃してしまうのもこういった作用が原因でしょう、それは身体から記憶されているその習慣や状態を意味する。
その脳の理性が切れている、あるいは間に合って無いからそうなっているのか、あるいはその決断は予め用意されているのかもしれない。
身体から発生される脳への指示はエネルギー
脳へ信号を送る際に発せられるシグナルは電子であり、それはエネルギーの一種だ。その素粒子は冒頭で書いた通り宇宙誕生からこの世界全てにそのビックバンによって発生したエネルギーが残っているように、我々が発したその脳へ伝達した電子エネルギーはこの世界に漂っていると考えられる。
例えば今「パンが食べたい」と脳で意識した場合、その信号は電子であり、その意識はエネルギーであることからそのパンを食べたいという意識がこの世界を漂うことになる。
そう考えると死後の世界は我々が生きている間に発せられたその電子、つまり意識が漂い続ける訳だから、死んだ後もその意識はエネルギーとして全世界を漂う、それが死後の世界であると捉えることができる。
少なくともビックバンによって発生したエネルギーが138憶年漂い続け今もまだ存在するのだから、その死後の世界における約束された年数は最低でも138億年以上続くことが保障されていると考えることができる。
では今あなたは何を意識しましたか?
その意識は予め用意されているかもしれないし、今この記事を読んでいるのは自由意志でないのかもしれない、その意識は今この世界で同時に相反する意識があるかもしれないし、それどころかこことは違う多世界では別の相反する意識が同時に発生しているのかもしれない。
もう一度聞きます、今あなたは何を意識しましたか?
そして私自身も私に問いかけてみます、私は今何を意識しましたか?
さてこれは私の意思なのだろうか、この記事を書いているのも自由意志は存在しないのかもしれない。
そうしてその意識があと最低でも138憶年この全世界をエネルギーとして漂い続けるのだとしたら、それはあなたも私も過去から今、そして先の未来にかけて死後の世界に向けての準備がされているのだろうか。
時間の概念は我々人間が勝手に設定したもの
実際に死後の世界があるかどうかは別として、話としては面白いから記事にしてみたがどうだったでしょうか、これはある種死ぬまで判明しませんから、今後逃れられない死の宣告があっても死後がどうなるかを知れると捉えれて面白がれる要素にもなるし、大切な生き物や人の死もこの世界に意識が漂っているとすれば救いもある、意識を意識することで成長も出来ることもあるだろうから老後の楽しみに取っておくのも一興でしょう。
これを読んでもしそうなるとしたら138億年も漂うなんてと不安がる必要も無い、もしこれが実際にあっても時間という概念は人間が勝手につくりだしたもの、宇宙からすれば時間という概念は存在しない。
まして物質という概念もミクロの世界では波動であって存在しない。
その思考をする脳も存在しなくなるのだから、今ある意識の中での印象とは大部分にずれがあるでしょう。
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