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遠い目標を持つと近くの目的を肯定できる


機械仕掛けの物語

目の前の目的だけを追うと俯瞰的に捉えた瞬間から自身をロボットのように感じる、自身はロボットの物語のように展開されるように感じ、その心は心臓がただ脈打ち、血液が流れて循環しているだけと捉え、ただ空腹なら食事をし、排泄し、眠たくなれば寝る、忙しくも退屈で変わり映えせず日々黙々と働き、何の為と思考すれば生きる為だけとなり、ときに怒ったふりをしたり笑ったふりをしたりしながらその物語に沿う形で小さな危機を機械仕掛けのように淡々と回避していく、そうこうしている内に次第に退屈な機械仕掛けの物語に支配される。


電車通勤

電車を移動手段としてだけで利用していれば機械化されたように自身は感じる、ただただ眠気を押し殺して起きて電車に乗る、乗っている時間など何の利益もなく退屈でその時間の無意味さと機械化された自分とを重ね合わせながら不幸と感じてしまう。


リモートワーク

不便さを感じていた電車通勤もリモートワークによってメリハリが消え、だらだらと過ごしてしまい結果としてさらに辛くなる、そうしてそれを他責のように受け止めては人との繋がりを排除して自身の都合でロボット化する。


家族を養う会社員

その機械仕掛けの物語は人よりも効率的でその効率の中に支配されれば自ずと何の為と自問した瞬間から支配される、人は人の筈だが人はロボットと同じ振る舞いをする、これは単純な工場作業と同じ位置に該当する。

そうしてときに無茶なプランを立てて不相応な目的や目標を計画したり、その退屈さから欲望に支配されては無駄な出費やギャンブルに興じ、次第に金銭的にも追い込まれたり人間関係も悪化させたりして自らを不幸に導き、結果としてロボットにならざるを得なくなる。


ギャンブル中毒

日本はギャンブル大国であり世界一ギャンブル筐体が多い国でもある、これはある種そのロボット化した人間によって求められるし、それを利用されて機械化し、支配した者の利益としてロボ側が搾取されている、それは他国の利益ともなり、更にはそのどうしようもないロボットをさらにロボ化させているという自国の為にもならない悪循環の連続が成り立ってしまっている。

このように目的を目の前のものだけに注力すると自ずとロボットである自分に嫌気がさして、生きている意味はただ生きているだけだと感じては虚しくなる。


目標を設定し長いスパンで考える

例えば今日本は危ういとしてそれならばAIを学び、且つ日本から出てしまうというその無茶な考えもひとつの遠い目標として設計すれば、電車通勤をただの移動手段とせず、ヒアリングの為に英語教材をイヤホンで聞くとか、AI技術に関する本を読んだりする学びの時間になる。

目の前にある目的が遠いところに設定されているとその目の前の作業が肯定でき、目的地に到着したのにも関わらず退屈だったその通勤手段のみの不必要と感じた筈の電車は、そこから降りるのを恋しく思ってしまうものへと変化する、そういった場が有益と感じる場の環境になる。

学ぶと幸福度が増すのは目標があるからであって、特に理由もなく目の前の目的を目標とすると何もかもが無駄に感じてしまう、無駄使いを辞めるのも貯蓄できるのもその目標があるからであるし、欲望を制御してギャンブルに興じないのもそこに目標があればこそ可能となる。

その中で得た学びはその目標が達成出来なくとも別の形で役に立つこともあり、且つその最中ではロボ化されずに済む訳だから精神的にも良く、長いスパンでの設計だからこそその目標が変化しても問題無く受け入れることが出来る。

これが短い期間ですぐにでも達成したいという要素に入るとギャンブルのように求めたり失敗を恐れたりする訳だ、そうして目標が達成出来ないというストレスから精神的に追い込まれ、更に無茶なチャレンジをしては金銭的にも人間関係的にも悪くなっていく。

トライアンドエラーは最も効率が良い達成の方法なのに、その目的が目の前のものに注力すると少しの失敗が大きな損失に感じて人は人でなくなりロボ化する、そうして四面楚歌のように感じて八方塞がりであると誤解し、精神的に疲弊して死んでしまう。

失敗を肯定できるのは長期的に計画しているかどうかで決まる。

私達は外からの刺激にそのまま反応する必要は無く、理性によって選択できると考えれば学びは幸福となるし、生きているだけで学びであると理解できる。


一見してわかりにくい学びが真の学び

自由意思はあるように振る舞うだけで実は無く、学ぶというのは勉学ではなくて必要になるその時に勝手に生かされる自然に発生するもの、今何かを学んでいるつもりでもその目先のものに対してのアプローチはただの欲望だ、最初に目標を設定しても必ず達成できる理由や根拠が無い、その長い期間から学び、自ずとしてそれが活かせれるタイミングで活かされるのだから目標を設定しようねという意味合いだ、目標を達成する為に起こしたアクションはその達成の為だけのものでは無く、達成の可能性を持ちながらもその学びが活かされる、それが生きているだけで学びというものになっている、それがトライアンドエラーが最も効率が良いとされる理由だ。

怒りのようなもの、確信めいたもので決断しているのもそれは自由に判断しているように振る舞っているだけで、それまでの学びによって行動させられている必然性が入っている、それを活かされる状態や状況になったからそう振る舞っている、それは悪くなる部分も良くなる部分、生と死も同様でその知識や学びによって育まれ、然るべきタイミングで発生する。

人生は勉強の塊なのだから生きている意味という形而上学における不可解な問題さえ学びとして捉えれば解決してくれる。

そうすれば自ずと機械仕掛けのストーリーは誰が握っているのかというその問いは、自身が握っているという解に辿り着く、騙し合いのように見える社会で誰かを信頼して思い通りいかなくて一体これは誰のせいになるのかと、そんな事を考えている自身がロボットなのであって、人間はロボットではない。

ロゴス(理性)を求めるのは人だからであって、ロボットだから求める訳じゃない。

失敗も成功も誰かの為にあるのではなく自身の為にある、その本質は自然に発生する学びにある。

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