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赤﨑くんとパリオリンピック

このツイートへの返歌みたいなものを書いてみようと思います。

「赤﨑くんなかなか出てこないですね」
「ミックスエリアでインタビューが続いているんでしょう」

パリオリンピック男子マラソンフィニッシュ脇にある通用ゲート前にはすでに走り終えた小山選手、大迫選手がいた。二人とも精魂尽き果てたという感じでもあり、力のすべてを出し切ったという充実感が感じ取れ、彼らに対して世界陸連の理事でもある有森裕子さんが選手たちの頑張りをねぎらっていた。


じゃあ、行きますね。小山選手と大迫選手がアスリートバスへと移動していった。まだ、6位入賞を果たした赤﨑は出てこない。
「選手の体力も心配よね。インタビューがずっと続くと」
このアスリートファーストな視点、有森さんらしいな。と思った。

「大丈夫ですよ。赤﨑くんならおどけながらやってくるでしょうから」
赤﨑選手のレース後の疲労具合はわからなかったけれども、そんな気がした。これまでもずっとそうだったからだ。

すると、200mくらい先のミックスエリアから赤﨑選手が出てきたのが見えた。「赤﨑ーっ!」と叫ぶと、こちらをみつけて大きく手を振り、
向こうからダッシュで走ってきて、50m手前で立ち止まってニューバランスのシューズを指差すポーズをした。この数年間、赤﨑選手との間でお約束になっているレース後のポーズだ。

「赤﨑!遠い遠い!」

たくさんのカメラやレンズをパリに持ち込んでいたけれど、写真を撮ることよりも、応援するためにパリに来たのだからとこの日、持ってきてたのは35mmレンズをつけたカメラ一台だけ。35mmレンズは人間の見た目にとても近いレンズ。そのときの記憶を撮るにはこれで十分だと思ったのだ。いつもは望遠レンズをもってきているので赤﨑選手はいつものレースでの距離感で立ち止まったのだろう。

「赤﨑!遠い遠い!」

また走ってこっちにやってきた。
「オッケー!そこ!」
35mmレンズでちょうどいい距離で立ち止まってもらいシューズを指す。


そしてNBポーズ。といういつもの儀式を終えた。

「よくやった!」グータッチで挨拶すると、赤﨑選手はまくしたてるように
「やりましたよ!みんなぼくはノーマークだったでしょう!やってやりましたよ!」と、叫んだ。

「いやいや、俺は前からマークしてたよ笑」
「スタートして走り出しても、
 沿道からはずっと大迫さんへの声援ばかりなんですよ。
 そこで燃えてきちゃって」
「だから前に出ちゃったの?」
「そこからは赤﨑頑張れ!に声援が変わりました笑
 ほんと楽しいレースでした」

パリオリンピック男子マラソン全選手の中で持ちタイムは65人中58位。
全世界的にノーマークであるのも仕方ない。
レース前、誰も信じてくれなかったけど、
「赤﨑はこれくらいやるだろうなあ」と、確信していたようなところがある。もしかしたら「銅メダルはあるかもな」くらい。

2022年初マラソンの別大。サブテンはしたけれども、ヘロヘロでフィニッシュ。その年の福岡国際2時間09分1秒でMGC出場権は得たけれども、後半大きく失速。疲れが残ったまま出場したニューイヤー駅伝では4区区間29位。2023年2月の実業団ハーフ。好記録が多数産まれた大会で1時間01分56秒で23位。

大きく飛躍を遂げたのは2023年の7月のホクレンディスタンス。ロードではなく、トラックで赤﨑の花がひらいた。7月8日ホクレン網走5000mで13分27秒79で走り、その4日後、ホクレン北見5000mでは13分28秒70で走る。
しかし、この2本はほとんど話題にならなかった。
網走で先着したのはトヨタの太田智樹。北見はトップでゴールするもニュースは2着に入った三浦龍司のブダペスト世界陸上に向けた調整のほうが話題となり、赤﨑の好記録を伝えるメディアはなかった。

2023年、人知れず、赤﨑は日本トップクラスのスピードランナーへと変貌していた。「どうしたどうした?君に何があったのか?」赤﨑にきくと、「これはもう、舟津のおかげなんですよ」という。舟津とは中央大で1年生ながら主将をつとめ、九電工へ入社した舟津彰馬のことだ。2023年。舟津は九電工から小森コーポレーションへと移籍したところであった。

「舟津から動きづくりを基礎から徹底的に教わったんです。
 それが実を結んできたのが今なんですよ」と。
舟津は中大入学当初からアメリカのトップクラブチーム、バウワーマンTCで長期合宿を行い、「アメリカのトップチームが普通にやってるけど、日本ではあまり重視されないこと」を吸収して戻ってきていた。その舟津からみると、赤﨑は動きに改善の余地があったらしい。そこで舟津はバウワーマンの基礎となる動きづくりを赤﨑に教えていき、拓殖大時代に鍛え上げられたスタミナにランニングエコノミーが高い動きが上積みされ、その成果がではじめたのが、このホクレンなのだという。そこからは走るトラックレースが自己新ラッシュ。注目すべきは27分48秒09で走った八王子LDから半年後の日本選手権10000mで27分43秒84と自己ベストを更新したところだ。このタイムは今年のホクレン網走10000mのトップタイム(27:44.92)より速い。

フルマラソンを走る調整としてトラック10000mを練習として使う場合、
これまでは28分10-15秒くらいが目安であったように思う。ときによっては10000mをそれくらいのタイムで2本走るというような。しかし、彼がやろうとしていることは、トラックのスピード・動きの質を落とすことなく、マラソンへ移行するということ。

近年、シックスメジャーの大会などを現地で観ていて気になることは
日本人選手と海外選手の集団でのリズムが異なるということ。同じラップを刻んでいたとしても、集団のリズムとストライドにあわず、合わせていこうとすると、オーバーストライドとなり、沈んでいく。そういうケースを何度もみてきた。

赤﨑はトラックのスピード・リズムのままマラソンへ入っていくことで序盤の集団での走りをかなり余裕をもって走れるのではないか?そのリズムのまま坂を登ることができれば、優勝は難しくとも、レース終盤まで先頭集団につけるのではないか?少なくとも、これまでの日本人選手の国際大会戦略であった、先頭集団から離れたところでレースを展開し、終盤落ちてくる選手を拾ってくる。というものではない戦いが彼はできるのではないか?レース終盤になっても「おっ!日本人残ってるよ!」国際映像にもずっと映るようなレースができるのではないか。

オリンピックの取材パスはなかなか手に入るものではない、パリオリンピックはEKIDEN NEWSでパブリックビューイングなんかを企画しながら日本で楽しむかと考えていたが、金栗記念の5000mで余力の残しながらも13分30秒で走ってきた赤﨑をみて、考えが変わった。

「決めた。俺、赤﨑くんを観にパリに行くわ。
 いまやってることが、成功しても失敗しても見届けたいから」
赤﨑の顔がパッと明るくなった。

当日はフィニッシュエリアで赤﨑を待つことにした。
先頭のエチオピアのトラ選手が通りすぎたあと、遠くの曲線に赤﨑選手の姿が見えた。「赤﨑ー!」と叫びながら大きく日の丸をふった。
声が届いて、こちらを見つけたらしく大きく手をふってやってきた。

ブルーカーペットに入りカメラを構えて「赤﨑!」と叫ぶと
こちらを向いて大きくガッツポーズをしてフィニッシュに向かった。

2時間07分32秒 6位入賞。
自己ベスト。日本人オリンピック最高記録というおまけもついてきた。

赤﨑選手の6位入賞は男女合わせてマラソンでは
唯一のNew Balance着用アスリートとなった。
「大学時代からずっとNew Balance履いてるんですけど、
 どうしたら契約してもらえますかね?」
と、言ってた時期が懐かしい笑
いつか、アップダウンが激しいボストン・マラソンを走り、
New Balanceのボストン本社に凱旋してもらいたい。
本国の社員たちも、みな彼の走りは覚えているだろうから。

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