Tracktown SHIBUYAからTracktown JPNへ。その2
明日といいながらも、1日空いてしまった。
そのまま「渋谷のラジオ」ができるまでのつづきを書いていきましょう。
2016年1月。開局まで3ヶ月を切った状態で真っ白なままのタイムテーブルを見せられて、「これ、本当にできるのか?」と逃げ出したくなるような気持ちになるも、引き受けてしまったのだから、しょうがない。もうやるしかないのです。どこから手をつけていいのかさっぱりわからない。まずは全体を把握するところからはじめよう。事務局の人に「年間予算はどれくらいですか?」と聞いてみることにしたのです。
「予算はこれくらいですかね」と見せられた1枚の紙には、スポンサーフィーや家賃やお金まわりのいろいろなことが書かれていました。最後のほうにあった「制作費」という項目を見ると、どうだろう?WEBの求人広告で「外資系ハイスペック管理職」の年収くらいの数字が並んでいました。
「これだけ?」「ええ。これだけです。しかも、この金額の中には、西本さんの給料も含まれることになります」ここで、はたと気づくのです。給与条件の話を全くせずに、制作部長を引き受けてしまっていたことに。いったん、開局までという約束はしたけれども、40代半ば。妻もいれば、子もいる。そして住宅ローンもかかえてはいる。おそらく、開局から安定して放送ができるところまでは、このラジオひとつに突っ込むことになるだろう。これまでの仕事の経験値からも、「はじめてやること」は全身全霊、そこに注がないとうまくいかないことくらいはわかっている。本当は「その金額、全部ほしい」ところではあるけれども、それだとラジオは作れない。なので、いったん「自分は無給だと思うことにしよう。」そう決めることにしたのです。ここで給与保証などを前提にしてしまうと、全く先に進むことができないからです。
「全くお金の無いラジオ局なんですね。」「これじゃあ無理ですかね。そもそもラジオ番組を作るのに、どれくらいお金がかかるかもわからなかったので。ただ、西本さん、ボランティアの応募はすごいんです。すでに100人以上も応募があるんです」
福山雅治さんや箭内道彦さんがファウンダーとしてラジオ局を立ち上げる。そのニュースがナタリーなどの音楽メディアを通じて広まったこともあって、(ナタリーの大山さんが当初、番組審議委員でもあった)福山さんのファンや箭内さんが作ったタワーレコードの広告「NO MUSIC NO LIFE」キャンペーンのイメージもあって、「なんか関わりたい」という人たちからのボランティア応募が殺到していたのです。
「ほら、こんなに」とドンとテーブルに置かれた分厚いファイル。めくってみるとボランティアへの志望動機がかかれた履歴書がファイルされていた。志望動機を読み込んでいくと、「なにかお役にたちたい」という熱心な動機が溢れていた。ただ、問題はほぼ全員がラジオ制作未経験者の学生や社会人「ラジオは聞くだけで、作ったことはありません」と書かれている。「未経験者ばかりでアテが外れたなあ」と履歴書をめくりながら、大事なことに気づくのです。
いや、おれもラジオ制作未経験者じゃん。
自分に選り好みをする資格はない。
それよりも、自分も含め、
この熱心な動機をエンジンにすれば、
このラジオ局はなんとか形になるんじゃないかと。
すぐに事務局の人に伝えました。
「ボランティア説明会をしましょう。この人たちに会ってみたい」
ラジオ未経験者たちの熱意にかけることにしたのです。
つづく。
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