私が情報免許を取得した経緯
私が高等学校教諭免許「情報」を取得しようと思ったのは2005年(平成17年)のことでした。
自分にとってはもったいないくらいの給料(と当時は思いました)をもらえたので、何かスキルを身に着けたいと思い、様々なITに関する資格を取得していました。
そのうち、高校の教員免許を持っていれば通信教育で他教科の免許を取得できることがわかりました。
そこで目を付けたのは「情報」。
1999年(平成11年)に高等学校学習指導要領が告知され、普通教科「情報」の授業が始まったばかりでした。
情報の教員免許は現職の教員が講習を受けるだけで取得できる時期がありました。
でも、自分が気づいたときには受講できませんでした。
たぶん経験年数が足りなかったのだと思います。
自分は中学部採用なので、授業で教えることは無くても、ネットワークなどの学術的な知識があれば、校内で情報教育担当として役に立つかなと思っていました。
北海道情報大学通信教育部
通信教育で高校情報の免許が取得できる大学は当時もいくつかありましたが、その中で私が選んだのが北海道情報大学でした。
当時すでに「無限大キャンパス」と呼ばれるインターネット授業があり、北海道の講義を自宅から受講することができました。
インターネット授業は今では当たり前になっていますが、当時は時代の最先端を行っているような感覚がありました。
印刷授業でのレポート提出もありました。
でも、当時は「システム設計」だけは夏に5日間のスクーリングが必要でした。
北海道の野幌まで・・・。
遠いし交通費が高い。
そこで、JRの北海道&東日本パスを買って野幌まで行きました。
当時は5日間乗り放題で1万円だったので、2枚買いました(出発が前日、家に着くのが最終日の次の日になるため)。
今は7日間有効なんですね。
あと、青函トンネルは新幹線が通っておらず、夜行の「急行はまなす」が走っていました。このパスだけで乗れました。
今は新幹線の運賃のみ有効なので、特急券が必要になります。
「システム設計」の演習ではフローチャート用のテンプレートを持参し、フローチャートを書きました。
その時のテンプレート、今も直線引きに使っています。
補助に入っていた大学院生が、「開発したシステムが採用されたら2000万円の儲けになるんだぞ。やる気になるだろ?。」と金額のことを熱く語っていたのが記憶に残っています。
宿は札幌に取って、夜は洗濯したり、すすきのに行ったり、課題をやったりしていました。
そういえば何かの仕事があって、コンビニから学校にFAXを送った記憶があります。
研究授業の指導案だったかな・・・。
科目試験は隣の県の専門学校の校舎でしたが、今までもよく資格試験で行っていたところなので不自由なく受けられました。
授与申請
教育委員会に申請したのは2008年(平成20年)になってからでした。
単位はそろっているから、授与申請すればいつでも発行できるし、中学部で理科を教えているのが楽しくて、「情報免許を持っているなら高等部に行って」と言われるのが嫌だったからです。
でも、2007年(平成19年)に特別支援学校免許に関して制度変更があり、旧制度で修得した単位が使えなくなったので、高校情報に関してもせっかく取った単位が無効になったら嫌だなと思いました。
また、2009年(平成21年)から教員免許更新制が始まるのもあって、免許制度がどうなるかわからないという焦りもありました。
提出書類は教育委員会のWebページに説明があるので、そんなに難しくなかったです。
「人物に関する証明書」を校長に書いてもらうのが気が引けるのですが、それが校長の仕事だ、と開き直って頼みました(文面は教頭が書かされたようで、ボヤいていましたが)。
「身体に関する証明書」は、医療機関を受診して作ってもらいました。定期健康診断の結果ではダメでした。費用は小規模の病院の方が安かったです。
「収入証紙」は売りさばき所に指定されているコンビニで購入しました。
自分は特別支援中学部理科の採用だから、高校の情報免許を取ってもどうせ使うことは無いだろう、と思っていましたが、それから13年後に大どんでん返しがやってくるのでした。
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