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信じているものは何(30)

足を洗おう
長崎から帰り、心にポッカリ穴が空いたような気がしていました。
とりあえず、和歌山のキリシタン墓地へ行き報告してきました。

とりあえず、静かに信じているものを探していこうと
信仰に肩入れすることをひとまず控え、
普通に生きていく中で迷った時、
信じるものの考え方で解決できればいいかと
そう思いました。

そんな中、父の弟さん(三男)が亡くなり、四男が事故で
植物状態に。

年齢が経つにつれて少しずつ死を意識していました。
魂が未熟な私は、死ぬのが怖いと思ってしまい、
日々死への恐怖が募る自分がいました。

そんな時、ふと手にした本がありました。

『秦氏の謎』

この本は衝撃でした。
あまり、深く探求はしていませんでしたが、じっくり
読み始めようと思い、すぐには読まず本棚に眠らせていました。

失われた十氏族の一つが日本にたどり着いていた。
それは衝撃的な内容でした。
衝撃過ぎて逆に触らないようにしていたのかも知れません。

この辺りからは、現在進行形の話に変わっていく段階なので
より細かく、読みにくくなるかも知れませんが、ご了承ください。

秦氏
この感じを見て、私は二つのことを思い出した。
一つは、私の父の名前「泰夫」(やすお)
もう一つは、「京都の太秦」

父の名前は、漢字が違うので、似ているというだけですが
京都の太秦は漢字が同じ、ということで少し調べてみることにしました。

京都の右京区に太秦という地名があり、そこに広隆寺というお寺がある
そのお寺が秦氏の氏寺であることがわかった。

氏寺とは、有力な氏族や王族の新たな祭祀の場として造られた寺院です。
中世位から菩提寺とも呼ばれるようになったもののようです。

要は、新たな祭祀の場 ということは、新たに渡来した氏族、王族という
意味を表しており、その氏族が「秦氏」の一団と言われております。

そしてそのあたりの地名が「太秦」となった。

実に神秘的なお話ですね。

「秦」という言葉は、秦始皇帝も思い出される
のではないでしょうか。
ここでも、言い伝えとして、秦始皇帝の末裔といわれていることもあるが
否定されているようです。

ただ、アブラハムの時代に国を追われたユダヤ人の十支族の一つ
という話が、謎に包まれているが、提唱者の人が、晩年、
ユダヤ資本を日本に入れるための話だと言い放ち、嘘であったと
言われております。

しかし、イスラエルの政府関係者が、調査のために日本へ来た
というニュースが流れ、提唱者(佐伯好郎)がキリスト者である
ことから、事情があって隠すためにそういったのではないかと
個人的には思っている。

たしかこの時期か、少し後に、ミャンマーで一支族見つかった
というニュースが流れていた。

残るは一支族。
これがおそらく秦氏の支族ではないかと言われていた。

この時点では、ワクワクが止まらないですね。

さて、少しこの時点での、私の心情をお伝えいたします。
昔、父と「十戒」という映画を見に行ったことがあります。
モーセが神の導きにより約束の地へ向かうというもので
海が二つに分かれるシーンは有名ですね。

その神は、カトリックで言う「御父」
その「御父」の導きで約束の地へ向かうユダヤ人
その末裔が、日本に到達していたのかも。

そう思うと、胸熱な状況だが、カトリックとユダヤ教は
表面上敵対してはいないが、主張は異なる。
カトリックは偽物なのか・・・

簡単に違いを説明すると、イエズス・キリストを認めるか否か
と言うことです。
ユダヤ教では、救世主はまだ来ていない。
キリスト教では、救世主はイエズス・キリストである。

と言うことです。
イエス・キリストをイエズス・キリストというのは、
昔から、言われてきたカトリックの呼び方(日本語)であり
イエスはプロテスタントにて広く普及した呼び方なのです。
しかし、現在は、カトリックでもイエスになってしまいました。

言語は、時代と共に変化していくものです。
大切なものを見極め、変化を止めることが重要ではないかと
思います。日本には言霊という言葉がありますからね。

ちょっと脱線しましたが、カトリック信者であることは
揺るがないですが、日本に到達したであろうユダヤの支族は
しっかりと胸に置き、信じているものを探求していこうと
考えました。

今回は、この辺で。


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