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ゆるり純喫茶

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みじかめのエッセイです。お茶でも飲みながらゆるりとお話ししませんか。
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#人生観

かなしみと、しあわせと。

身のまわりで かなしいお知らせがつづいて すこし元気をなくしていました。 目に見えるものすべてが どこかむなしく感じて なにもかも無意味におもえたり。 そんな日々をすごしています。 神さまは こころの美しい人を そばに置いておきたくて はやめに連れていって しまうのでしょうか。 そう思わないと、 あまりにもかなしいのです。 「悲しみこそが愛の絆」 という言葉を 以前、本で読みました。 うしなったひとへの 愛が深いほど 悲しみは大きくなります。 悲しむことは 愛を

運命を受け入れる強さについて。

昨日、巷で話題の アニメーション映画をみてきました。 ネタバレを必死で見ないようにして まっさらな状態で鑑賞しました。 もう終始泣きっぱなしでした。 観客の中でも 一、二を争うくらい 泣いていたかもしれません。 評判の通り 素晴らしい作品でした。 「運命」というものは あるのだろうかと 考えることがあります。 親や兄弟 生まれる場所 生まれる時代。 たいせつな人との出会いと別れ。 突然ふりかかる災いや病。 自分ではどうすることもできない 不条理なできごと。 生

なんども生まれ変わって、生きてゆく。

以前、知人から こんな言葉をかけられたことがあります。 「人生なにがあるか分からないよ。」 たしかに。 人生というのは いろんな意味で なにがあるか分かりません。 考えもしなかった道に 進むことになったり 想像もしなかった未来が 待ち受けていることは珍しくありません。 これから先どうなるかなんて 世の中のことも、自分のことも、 まったく分からないものですよね。 その言葉を受けとった 当時のわたしは 先の見えない未来が ただただ不安でした。 不幸なことが起こるかもし

死こそ常態 生はいとしき蜃気楼

早いもので、9月も終わりですね。 昨日、散歩中に とんぼが飛んでいるのを見つけまして 秋の訪れを感じました。 今年も残すところ、あと三ヶ月。 一年というのはあっという間ですね。 時の流れの早さを感じるとき いつも心にふっと浮かぶ たいせつな詩があります。 「さくら」 茨木のり子 ことしも生きて さくらを見ています ひとは生涯に 何回ぐらいさくらをみるのかしら ものごころつくのが十歳ぐらいなら どんなに多くても七十回ぐらい 三十回 四十回のひともざら なんという少なさ

沈黙の人生を歩んできて、気づいたこと。

こどもの頃から じぶんの意見を言ったり じぶんの気持ちを表現するのが とても苦手でした。 いまでも、周りからは 「何を考えているか分からないね」と 言われたりします。 存在感も薄いせいか ずっと近くにいた人に 「……いつから居たの?!」と ビックリされることもしばしばです。 意見を言ったり 気持ちを表現するのって たいせつなことなんだ、と あたまではわかっていました。 けれど、 行動にうつす勇気がもてずに ずっと「沈黙の人間」として 生きてきました。 どうして、わた

「がんばる」は「がまん」じゃない。

「言葉は人をつくる」 棋士の羽生善治さんの言葉です。 以前なにかのインタビュー記事で読み ずっとこころに残っています。 人間の脳は「人称」を認識できない という話を本で読んだことがあります。 だれかに「ありがとう」と言うことは じぶんに感謝していることになります。 ポジティブな言葉を伝えることは じぶんに言っているのと同じなんですね。 (もちろん、逆も然りです。) あたまで思い浮かべ 声にのせて発し その音をじぶんで聴いているわけですから、 二倍にも、三倍にもなって

欠けているんじゃない、そう見えているだけ。

月って 不思議な魅力がありますよね。 きれいだなと 思うことがほとんどですけれど ぞっとするほどに 不気味にみえることもあったりして。 夜空に浮かぶ月をみると 感傷的になりがちです。 わたしは じぶん自身のことについて どこか「欠けている」という感覚が ずっとありました。 じぶんの 足りない部分や だめな部分ばかりが目について、 自信なんてこれっぽっちも 持てずに生きてきました。 ほんとうは 欠けてなどいないのです。 この世に存在するものすべてが ありのままで完全