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科学VS神。ひろゆきどう思う?

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ひろゆきの新刊だよ!

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全て物理法則で決まっているので、宇宙が出来上がってビッグバンがあって、そこで原子と分子が生まれて、わーって広がって、その結果、こうなった。

っていうのは、すべて物理的な運動の原則に従って、結果として成立しているので、人間の予知とか行動の予知というのは一切なく「決まった通りのものを進んでる」って言う考え方もあるんですけども。

残念ながら「シュレーディンガーの猫」っていう考え方があるんですけど。
観測するまで「そこに原子や分子が存在するかどうか分からない」っていうのがあったんですよね。

なので「全ての原子がこう動いて、それがぶつかったら、こう動いてる」っていうのが、全部繋がっているように見えるんですけど、実は繋がっているという確証も無い。

「どうなるか分からない」っていうので、決定論という考え方です。

けども「全て決まった通りに動くだけなんだから、全てのモノ決まってる」って言う前提としては「全てのモノが観測可能である」っていう風になるんですけど、実は観測するまで結果が分からないので「これがどうなるのか分からんよねっていうモノだらけだよね」っていうのが、量子力学の方々が言い出し始めちゃったせいで「結局全て決まってる」と思ったんだけど「見るまで決まらない」っていうのがあるので「じゃあ見ないと決まらないんじゃん」ってことは「見てないモノは分からないよね」っていう事になったりする。

旧来でいく物理学って、例えば相対性理論って、分かりづらいじゃないですか?
「速度が速くなればなる程、重量が増える」とかって、感覚的なモノではないんですよ。

「重さって変わらないはずじゃん?なんで早くなったら重くなるの意味分かんないよね?」みたいなので「普通の人間が感じる感覚っていうのと、実際の宇宙で使われている法則って違うよね」
っていうのがあって。

量子力学もそうで「確認するまでどうなるのか分からない」っていうのは、確認出来て無いだけで「本当は決まってるんじゃないの?」って思いがちなんですけど「本当に確認するまで分からない問題」とか、後、量子力学で「2つに分かれた分子がこちら側が左に曲がると、なぜか離れたこっち側にも、左に曲がったという情報が伝わってしまう問題」っていうのがあって、情報というのは伝える為には必ず「電線繋ぐだったり、曲がってよ」って、観測と伝達っていうのが必要なんですけど、なぜか量子力学の時って「分かれたモノが反対側に影響が伝わってしまう」っていうのがあるけど「理由は分からないけど伝わってるよね」っていうのがあったりするんですよね。

なので「よく分からん」っていうのが、今のところの物理学の人達の定説というか判断だったりするので、なかなか決定論にはならないんじゃないかなと思います。

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