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SNSの君はただの君
画像か言葉か振る舞いかでしか規定されないSNSでの自己は、どのようにして人格権を担保するのだろう?
肉体性から脱却した自由がそこにあるというのに、結局は現実の人間関係の引力圏を逃れられないし、現実の人間関係の引力圏の外に存在しようとすれば、ただの1つのアステロイドにしか在り得ない。太陽から遠く離れた星が存在しないと見做されているように、必ず自由には孤独が付きまとう。
SNSもその名の通り、(現
雑俳に100円玉すら投げられぬ世知辛さより文化の程度を知る
『ejkさんのnoteが100円で売れました!』と通知が来るまでッ!noteを忘れたフリをするのを!やめないッ!
青春小説を書くための青春がない。
精神が肉体の檻に囚われているように、肉体もまた精神の枷から逃れることはできない。
「金にならないSNS」に出資する企業が現れるその日まで、note民の独白は続く。
必要は発明の母、無用は面白の父
多少なりと金になりそうだからなのか、ダメリサイクルでもレスポンスが得られるからなのか、あるいは一番その両方から遠いからこそnoteで書いているのかもしれません。何のしがらみもなくただ淡々と書き留めるだけ。で100円頂ければ発泡酒1缶買ってきて感謝とともに乾杯。
そう、敵は税金。
中長編がワリに合わないのでnoteもtwitter化が顕著
2:72(2時72分)
3秒ほど、その時間に居ました。
パソコンのディスプレイの片隅に表示される時刻で、現在を確認する。普段何気なくやっていることですが、そこに普段と違う情報が存在する(と思える)だけで、一瞬にして現在の現実が瓦解するその認識への疑念が瞬時に立ち上がり間髪を入れずさらにその一連の情動を客観視した事故が「有り得ないぞ、そちらがおかしいぞ、再チェックせよ」と呼びかける命令にさらに電光石火で対応して、時刻の数