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「すべての子どもたちに必要なもの」とは?

タイトルにインパクトがある本を最近読み、タイトルも含めて刺激をもらいました。

「日本を滅ぼす教育論議」 岡本薫 講談社現代新書 2006年

著者は、大学卒業後、文部省に入省し、OECDや文化庁に出向するなどした後、政策研究大学院大学教授を務めています。
だからこそ、キャッチ―な題名だけで終わることなく、地に足付いた根拠を踏まえて、日本の教育に問題提起をしています。

■穴をふさがずに、水を注ぎ続ける日本の教育

現状が理想状態でないのは、何らかの「原因」があるからだ。したがって、まず現状に問題をもたらしている原因を「特定」し、次にそれを「除去」する必要があるが、日本では、そうした発想が落していることが多い。例えて言えば、「タンクの水位が下がってしまっている」ときには本来「穴を探してふさぐ」べきであるのに、穴をふさがずに「上から水を注ぎ続ける」ようなことをしている場合が多いのだ。
その一例は、「子どもたちの心の問題」の深刻化に対応するために「学校での心の教育の充実」を行っていることである。この政策に疑問を持つ日本人はほとんどいないようだが、子どもたちの心の問題が深刻化した「原因」は、はたして「学校における心の教育の不足」なのだろうか。

「日本を滅ぼす教育論議」 岡本薫 講談社現代新書 2006年 P.56

この指摘に大きく頷きました。また、例えが秀逸だと思いました。まさに、穴をふさぐのではなく、水を注ぎ続けている施策は多いと思います。もちろんそれに悪気があるわけではありません。行政の立場だからこそ、そう思います。ただ、だからこそ悪い部分もあるのだと思います。自戒を込めて、この指摘について自分の行っていることを俯瞰し、改善・改革を進めていけたらと思います。

岡本の指摘はさらに続きます。

■「すべての子どもたち」とは誰のこと?

また日本では、外国語・数学・情報技術など、「特定分野の専門家」が、「日本の〇〇水準を高めるため」といった理屈や、「これがないと日本が滅びる」といった脅迫によって、「すべての子どもたち」に対して不必要に高度な内容を教えようとする傾向がある。

「日本を滅ぼす教育論議」 岡本薫 講談社現代新書 2006年 P.109

この指摘にも大きく頷きました。
全ての部署や学校が、「子どもたちのために」と思いながら取組を進めているのですが、その「子どもたち」とは一体誰のことでしょうか。ひょっとしたら、本当は実在しない「架空の子どもたち」なのかもしれません。そして、「すべての」となると、余計にそうなるように思います。
岡本は、諸外国と日本を比較しながら論を進めています。諸外国の義務教育は、個性を摘まないようにしつつ基礎的な内容を徹底する場であるが、日本は高度な思考力を養成しようとしていることが問題だと指摘しています。思考力育成の役割を担うのは、諸外国では大学であるということです。
この指摘には非常に納得する部分がありました。

■学ぶ意義を見出す

私は子どもの頃、算数・数学が得意でした。
だからこそ、自分の娘が分からない問題があって聞きに来れば、その場で教えることができました。中1までは・・・。
中2になると、解答・解説を見てからでないと、教えることができなくなりました。そして、中3になると、解答・解説を見ても意味が分からない問題が出てきました。自分の能力の限界を感じました。それと同時に、義務教育で身に付けるべき内容は何なのだろうと思いました。

義務教育修了以降、30年以上生きてきて、しかも学校教育に近い立場で働いている自分でさえ、中学校3年生の数学の内容は分からないのです。全ての日本人に必要なことを学んでいるならば、30年で熟達し、中学校の時以上に理解していてもおかしくありません。それなのに、実際はそうなっていないわけです。
となると、「本当にこの内容は、義務教育、つまり全ての子どもが学ぶべきものなのだろうか」と思ったところです。これがあることによって、「自分は落ちこぼれだ」と思い、学ぶ意義を見出せないないことがあるならば、岡本の指摘で言えば、諸外国から失笑を買うことになるのかもしれません

■全ての子どもたちにとって必要かどうか

岡本は、「それは、本当に『全ての子どもたち』にとって必要なのか?」「それを学ぶことによって、子どもたち(ウチの子)は幸せになれるのか?」といった疑問を、率直にぶつけるべきだろう」と述べています。
文部科学省が示している教育振興基本計画においても、「日本型ウェルビーイング」がキーワードとなっています。
どのように学ぶことが幸せにつながるかも含めて、学びというもの批判的に見ていく部分も必要だろうと思っています。

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