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■ 其の231 ■ 悪は存在しない〔犯罪者〕

保護司 / 文化人類学 / タンザニア


先月滋賀で起きた、保護観察中の男性が起こした事件の影響で、保護司の存在や社会的役割がクローズアップされました。
わたしが保護司という言葉をはじめて知ったのは、以前お寺で法事をあげた時のことです。
そこのお坊さん(いつもお金の話ばかりする 生臭坊主氏)が、
「わたしは保護司をしていて、まあ社会のためではありますが、これが全然金にならんのですよ」と恥ずかしげもなく言ったのです。

なにか事件を起こせば、その責任や罪は、やった本人にあるでしょう。
ですが、原因、少なくとも遠因えんいんは、周囲の人間や社会にもあるものです。
社会と人間関係について考えさせられる文章を紹介します。

これは、立命館大学教授の小川さやかさんが、朝日新聞出版の「一冊の本」に連載したものです。 アフリカのタンザニアで生活し、現地の人々と交流しながら、文化人類学の調査をしたときの話です。
タイトル:「なぜ人は人を助けるのか」の人類学 無条件の条件 

❶2022年7月号 P17~18 より
 路上商人たちは、代金を過去に踏み倒した人間から取引を要請されても、即座に断ることはしなかった。「事情があったかもしれないし、次は払ってくれるかもしれない」と。
 彼らの仕入れ先の仲間たちは、路上商人が過去に別の仲卸商から商品を持ち逃げしたことを知りつつも、信用で商品を卸した。「過去は過去であり、今は今だ」と。そしてまた持ち逃げされた。
 彼らは持ち逃げした路上商人がしばらくして「しれっと」戻ってきても、いきなり怒鳴り散らしたり、追い返したりはしなかった。それどころか裏切った者と信用取引を再開したのだ。
 彼らはいつも言った。腹が減れば、誰だってよからぬことが頭をかすめる。何もかもがうまくいけば、誰だって心に隙が生まれる。相手のささいな変化を見極め、相手とうまく渡りあう知恵が必要だ。うまく騙すよりも、うまく騙されてあげる知恵の方が高度なのだ。次こそ俺は、彼に逃げられないようにうまくやってみせると。

❷同じく8月号 P19 より
 過去の経歴よりも現在の関わりのなかから、ゼロか百かではない信頼のかたちを見いだし、育てていく彼らのやり方に心を動かされることもある。
 日本の刑務所に関する報道番組を一緒に見ていた時、私の友人たちは驚嘆して声を上げた。「タンザニアの刑務所はすし詰めで、生きるか死ぬかの地獄だけど、日本の刑務所は俺たちの長屋よりもきれいじゃないか」と。
 でもその後に「日本は、ムショを出てからが大変なのよ。犯罪歴のある者に厳しい社会だから」という私の説明を聞くと、彼らは即座に言った。
  「それならタンザニアの方がましだ。ここじゃ、刑務所から出てきた奴にかける最初の言葉は、『生きて戻って来られてよかったな』だ。俺たちが受け入れなかったら、彼はまた犯罪を犯す。それで困るのは俺たちだ。更生したかなどという腹の内は誰にも分らない。
 本当はどんな奴なのかは俺たちが決めなくても、そのうち本人が気づくさ。刑務所に戻るなり、強盗団に弟子入りするなり、自由にすればいい。そいつの人生だから」と。


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