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■ 其の116 ■ 京アニ事件判決に思うこと。

🔣だれもが思っていた判決でしょう。
これは100か0かの、オールorナッシングの裁判でした。
弁護士は被告の責任能力が無かったと訴えましたが、関係者はもとよりおそらく本人もそれが認められることはないだろうと思っていたでしょう。テレビでは、事件前に路上をあるく被告の姿を、まるで確認と念押しのように何度も流していました。
この先、控訴→上告と続き、最高裁までいっても結果が変わることはないでしょう。ただ、事の重大さとは別に、これまであまり意識してこなかった問題を孕んでいる気がします。
寝たきりや車椅子にのった状態の人を、実際に刑に処することが出来るだろうかという問題です。物理的な話ではありません。心情的にとても難しい気がします。決定の署名をする法務大臣も、現場の刑務官も、遺族もです。実行される様子は敢えて考えないことにし、この先事務的に司法の流れに従っていくしかないでしょう。それだけに、もし青葉被告が控訴を取りやめて早々に判決を受け入れたら、逆に重いものを突きつけられて困惑させられるでしょう。
青葉という名は生気に満ちていて全く皮肉な名前です。それにしても、孤独化社会の究極の産物ともいえるこの事件による被害者は、生きづらさや孤独を抱えた人々の救いとなる作品を創作してきた人達です。これほど矛盾した事件があるでしょうか。
良くも悪くも「個」のなかった昭和から、時代は「個」の自立を目指してきました。しかし「個」ではなく「孤」を大量に生み出してきました。これもまた皮肉なことです。
また、ある意味で来るところまで来てしまったこの事件は、もしかすると、新しい流れの転換点になるかもしれません。昨年ノーベル平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディさんは、イランの女性の権利や死刑制度の廃止を訴えてきました。イランは西側と対立している国なので、何を言われようと内政干渉するなと拒否できます。しかし親欧米の日本は違います。昨年、外国メディアの指摘が、日本的体質により包み隠してきたジャニーズ問題を白日の下にさらけ出しました。そして改善・改革を超えて、解体を余儀なくさせられました。外圧のおかげで皆が好ましいと思う結果になったと思います。ただ、死刑制度は8割の国民が必要だとして続いてきた制度でもあります。
これから世界各地の動乱が収束方向にむかい、世界が落ち着きを取り戻してきたとき、何かをきっかけに、「日本はまだそんな制度を続けているのか」という外圧が来るかもしれません。被害者が3人、ましてや30人もいれば死刑は当然という多くの日本人の常識は、どんな落としどころを見い出すのでしょう。
京アニ事件は究極の悲劇であり、死刑制度の限界をわたし達に突き付けた事件です。それは、「死刑廃止」という世界の潮流を受け入れる無意識の根拠になるかもしれません。警察官僚出身のあの亀井静香さんが、死刑廃止論者だったことを、なんだか思い出してしまいます。


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