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映像ディレクションの作法(14)/映像のグルーブとは

映像における「グルーブ感」についての考察です。
映像にも時間軸がある以上、音楽と同じようにいわゆる「グルーブ」が存在します。

グルーブとは

音楽には、時間軸に伴って進行するビートがあり、その上に和音進行やメロディがのっかって、変化していく、うまくいくとそこに「グルーブ」が生じて気持ち良くなります。いわゆる「ノリ」が生まれる。

音楽にグルーブが生まれる要因には様々あると思いますが、変化していく各要素が「ぴったり合う!」という前提のもと、「うまくずれる」というところにキモがあるような気がします。

そもそもグルーブの定義は曖昧で多様ですが、楽器の演奏についてグルーブを考えると次のようなことになりそうです。ウィキペディアの「グルーブ」の項からの抜粋ですが、概ね僕の解釈と同じです。

音楽理論でリズムの基礎を学ぶ際はまず、4/4拍子の場合は、一小節全てを占める音符を全音符と言い、その半分が二分音符、そのさらに半分が四分音符、といったように数学的に割り切れるものを拍子と考える。
多くのポピュラー音楽の4/4拍子の楽曲では、2拍目と4拍目にスネアドラムによってアクセントがおかれることが一般的だが、例えばこの際、曲調や演奏時のノリによってスネアドラムの2、4拍目のアクセントが数学的なその位置よりも微かに前や後に置かれる事がある。どの程度先走るか、遅らせるかは楽曲により、ジャンルにより、ミュージシャンにより、またその場の状況によって違ってくる。
(中略)
この2、4拍目のスネアの微妙な位置というのも、グルーヴと言う漠然とした概念の構成要素のごく一部に過ぎない。打点のズレ、時間差だけでなく、等差でも、刻んだリズムのどこにアクセントを置くか、音の大小の違いでも、グルーヴは生まれる。このように、数学だけでは割り切れないリズムの要素、リズムの感覚全体を指してグルーヴと呼ぶ。

(ウィキペディア日本版「グルーブ」の項より)

均等に割った楽譜上の拍を、演奏によって多少変更(変形)して「ジャストじゃない感じ」を繰り返し「ノリ」を作り出す。単純な数字では割り切れないフィーリングをミックスして演奏する。これが音楽におけるグルーブです。

映像のグルーブ感とは

気持ちの良い音楽に、グルーブ感が感じられるように、映像作品にも映像的なグルーブが存在します。
映像には、楽譜(音符)に相当する「数学的な」基準がないので、音楽の場合と同じように考えるわけにはいきませんが、映像を構成する要素のうち、動き、言葉、BGMなどなんらかの基準を見つけ、そこからのカッティングの「ずれ」を意識することでグルーブが生まれる可能性がでてくると思います。映像を成立させている「要素」同士を相対的にずらしたり合わせたりすることで、グルーブ感が生まれるのではないでしょうか。

「映像のグルーブ」というとMPVや純粋な映像詩のようなものがイメージされるかもしれませんが、そういった純粋に「音楽的な」作品ばかりではなく、どんな映像にもグルーブは存在します。時間軸があってそれに伴って何かが変化していくわけですから、原理的にどんな映像にもグルーブは生じ得ます。

例えば、大学教授の地味な一人語りを3カメで撮っている。一台はフルショット、もう一台はウエストアップからバスとショットにかけて、最後の一台はアップを撮っている。これを順次つないでいく場合、カットの切り替えのタイミングや、コメントの端折り方、切り方、繋ぎ変え、沈黙の扱い方、身振り手振りの解釈、などなどによって、この「音楽的」とは程遠い映像でも、独特のグルーブを醸し出すことは可能でしょう。

それは、農耕器具の説明ビデオや、地図しか出てこない道案内の映像でも困難さの度合いはあれ(原理的には)可能なはずです(必要かどうかは置いておいて……)。

合う・ずれる

映像には、情報を伝えるレイヤーと、情感や気分、雰囲気を伝えるレイヤーがあり、それらが時間軸上でうまくかみ合う、ないしは上手くズレるところに、映像のグルーブ感が存在しています。

例えば、単純なインタビュー素材なら、語っている内容そのものが情報レイヤー、身振りやカット割りが雰囲気レイヤーに属しています。

例えば、下記のようなコメントを複数カメラで動じ収録した素材がある場合、言葉の切れ目を基準にしていろいろなカッティングの可能性があります。

「カフェの仕事は、お客さんがくつろぎながら美味しいコーヒーやケーキを楽しむ姿を見られて幸せな気分になります。お客さんとの会話も重要で、カフェは心温まる場所でなくてはならないと思います。」

以下、スラッシュ/部分がカット割りです。

<1>
カフェの仕事は/お客さんがくつろぎながら美味しいコーヒーやケーキを楽しむ姿を見られて/幸せな気分になります。/お客さんとの会話も重要で/カフェは心温まる場所でなくてはならないと思います。

<2>
カフェの仕事はお客さん/がくつろぎながら美味しいコーヒーやケー/キを楽しむ姿を見/られて幸せな気分になります。お客さんと/の会話も重要でカフェは心/温まる場所でなくてはならない/と思います。

<1>は比較的おとなしく、話の文節ごとに切り分けていったもの。
<2>は、意図的に文節を無視し、かなり強引な場所でカットを割ったものです。

思考実験ではありますが、同じ素材でも、こんな風にいろいろな可能性があります。

<1>の場合は、分かりやすく、素直でおとなしい印象になると思いますが、グルーブ感はほどんど生まれないでしょう。

<2>のように、言葉に対してジャストではないタイミングでカッティングするとその場でスイッチングしたようなライブな雰囲気にできる可能性があり、そこに独特のグルーブ感がうまれるかもしれません。<1>の場合と違って、カットのタイミングが予測できない、というところがポイントです。言葉に対して、ジャストなタイミングでつなぐ場合と比較して、視聴覚体験として複雑で、スリリングなものになるでしょう。

また、言葉を基準にするのではなく、身振り手振りや表情、目線の変化をガイドにしてカッティングすると、言葉基準のカッティングよりもよりダイナミックなものになり、また違ったグルーブ感を生み出す可能性もあります。

BGMとの兼ね合い

BGMが鳴っている場合、そのBGMにはその曲なりのグルーブが存在します。しかし、これに合わせてつないでいけばグルーブ感が生まれるかというとそうではありません。BGMにシンクロさせたカッティングは、視聴者にとって簡単に予測できてしまうからです。結果、機械的な印象になってしまうでしょう。

BGMを意識する場合でも「合う・ずれる」が重要です。ある局面ではリズムにあったカッティングがありながら、別の局面ではBGMのビート感からはわざとずらしたり、はぐらかしたりする。カッティングをBGMとの「対話」のようにとらえてつないでいくと、全体感としては複雑で気持ちの良い流れ=グルーブが生まれる可能性が大きいと思います。

時間軸=音楽的

「映像編集の技法(フィルムアート社)」という、何人もの映画の編集者に自らの仕事についてインタビューしたユニークな書籍があります。それを読んでみるとどの編集者も「音楽的にする(なる)」ことについて語っていました。ドラマのシーンの編集がすすみ、仕上がりに近くなってくると「いかに音楽的に仕上げるか」が課題になってくるといいます。この「音楽的」とは、この投稿で使っている「グルーブ」に近いものではないかと思います。

人間に限らず、おそらく動物は「動く=時間軸にそって変化していくもの」にとても興味があるのだと思います。それは獲物だったり、天候だったり、仲間の動きや表情など。それに対して自分がどう行動するかによって、時には生死すら決まってしまう。「変化」に敏感なのです。その敏感さに訴えかけて「なんか良い感じ」に流れを作る、これがグルーブの表現です。
意味に囚われたり、整えたり、揃えたり、とは別のレイヤーに、視聴者に対して、感覚的、生理的に訴えかける仕掛けを施していく、それが映像編集のグルーブ感なんだと思います。

#今回のまとめ

・音楽に存在する「グルーブ」は映像にも存在する
・基準にするものに対して、どう合わせ、どうずらすか
・グルーブを意識すると、複雑でスリリングな視聴覚体験が作り出せる