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自然を愛でる

細川映三

僕の敬愛する漱石先生の門下生の一人でもあり、物理学者で随筆家の寺田寅彦は、次の様な言葉を送られたという。

先生からはいろいろのものを教えられた。俳句の技巧を教わったというだけではなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた。

僕は思う。ここでいう自然とは、森羅万象・山川草木の様な自然に限らず、対人物なのだということを・・・
漱石先生が、人間の心の中の真なるものと偽りなるものと言っておられる様に、他人の言葉に惑わされることなく、自分自身の目でもって、心でもって、人と対峙することが肝要なのだと思わずにはいられない。

それは大変に難しいことなのかも知れない。
然し、自分の意識をそうしたものへ向けて、涵養することで、自分自身で人間の心の中の真なるものと偽りなるものを見分けることが可能になってくるのだろうか。

人間の心の中の真なるものを愛し、偽りなるものを憎む。
人の言葉に往々にして流されてしまいがちな僕にとって、こうした言葉がどれ程の励ましになるのかは、計り知れない。

僕が出口の見えないトンネルの中を暗中模索する時に、こうした言葉は出口へ続く一筋の明かりになる。
どんなに多くの人が行き交う雑踏の中においても、こうした言葉を自分の中で反芻することで、僕は孤独を感じずに、自分の愛する人のことを思うことによって前に進んでいける。

ただ、先生、時には立ち止まってもいいですよね。
心も体も疲れ切ってしまった時には、前進することを休んで、日向に快適の思想を温めても構いませんよね。

自分がそうであるように、疲れた方には僕は、進まなくてもいいよ・・・と言ってあげたいです。
僕は自分を推しすぎるのを否みます。

日常の生活の中で、ふとしたきっかけできれいな花を愛でたり、星空を見上げたり、高原に立ったりした時に、僕は自分の小ささを知り豊かな心持になる。
悲しいのは、せっかく豊かになった心の中が、日々の日常の中に身を置くことで、視線が“美しい自然”に向きにくくなってしまう事だ。

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