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ネビラキカフェからネビラキランドへ

2020年7月にオープンしたネビラキカフェは2023年でまる3年を超えた。先行きが見えなかった2020年のコロナ真っ最中にオープンし、飲食店の3年以内の生存率は30%と言われている中、地道な日々の業務をこなしながら、時には外の力も借りながらなんとか今までやってきた。カフェの最近の振り返りとこれからのネビラキのビジョンについてまとめてみる。


毎日店を開けることの大変さ

オープン当初からネビラキカフェは月火曜日休みの水〜日曜日の週5日営業で、4月〜11月初旬までお店を開けています。夫婦2人で店を始めたこともあり、できる範囲での営業を考えたら週2日休みに落ち着きました。また冬季は西和賀の雪はすごいので、駐車場や冬の居心地の良さの確保のコストを考えたら冬季にお店を開けるということにはまだ踏み込めず、冬の間はお休みを頂いています。

一晩で80センチ積もった翌日。絶望の日々。

オープン当初、「週2日も休むの!?」と地元の方から言われることもありましたが、実際自分たちで飲食店を経営してみるとお店の休みは自分たちの休みではなくなるし、カフェの休みはお店のメンテナンス、買い出し、経理処理等々であっという間に時間が奪われていきます。

また冬季お休みをいただくことに関しても、地元町外問わず、いろんな方から「開ければいいのに」と言われます。その度に自分たちの力不足を感じ、申し訳なくなる一方、自営の強みである自分たちのリズムで経営できていることに幸せを感じます。休業期間があるというのは、自分たちを客観的に見直すことができ、次のアクションに向けたビジョンの解像度を上げる大切な時間です。

実際、暮らしと仕事が融合していると色んなことがあります。
子供が病気にかかったり、夫婦間で喧嘩をしたり、自分たちの体調が優れなかったり。逆に友人が遊びに来たり、地域のお祭りがあったりと、決まった時間にお店を開けて閉じるというルーティンを続けるのは意外と大変なことです。マンネリ化してきてダレることだって人間だからあります。

実際今年の夏には息子が病気になり妻子で2週間入院したときは、カフェそのものを開けることも大変でした。

常に不安定さを抱えながら、毎日同じことの反復をする大変さ。冬季休業でいいねと言われたりしますが、4月〜11月までは高い緊張感を持ってお店を維持しています。地道ですがそれが地域から信頼を得るということだと思います。

西和賀町長のXから。町内の方からも「いつも混んでいていいね!」と言われる機会も増えた。見えるところで商売をやるのはプレッシャーだがこうやって人が来ない(稼げない)と思っていたところで人の動きを作り出すと、見た人の深層意識にまで「この場所は可能性があるのかも」という感覚が広がるのかもしれない。ネビラキのやっていることはビジネスというよりはアートという意識を最近持っている。

流動性の高いカフェを目指す

ネビラキカフェの知名度も徐々に上がり、夫婦2人では回らなくなってきました。当初もう少しゆったりやるつもりでいたのですが、こちらがかなり高い意識をしながら運営をしないとすぐに忙しくなってしまうということにも気がついたので、もう一度自分たちの欲しい暮らしから逆算して運営を考えていく必要性がありそうです。

カフェをやってみたいと思ったことのある人はそれなりにいそうですが、日々の客単価、売上、客数を真面目に考えると自分でお店を持つということに踏み込める人はわずかだと思います。でもカフェ(自分のお店)をやってみたいという方に開くということはしていきたいと考えています。

多分小さな夢をもっている人はたくさんいて、でも現実にできない障壁は多いのかもしれません(そんなことはないと思いますが)。そんな小さな夢を実現できる場所。小さな夢を叶えたらまた次の夢が湧き出てくるような場所

ネビラキカフェはそんな小さな夢を実現したい人が集い、その人達の一挙手一投足が見た人たちの心と体に伝播し、自由な表現活動ができる場所を目指したいと思います。

2021年の秋にライターをやりながらカフェ店主をしてくれた甲斐庄さんのルポ。甲斐庄さんもそうだと思いますし、我々にとってもいい経験になったゲストカフェ。カフェやってみたい人いましたら連絡ください!

ネビラキカフェからネビラキランドへ

本来そこにあった景色を外に開くことで、共感してもらい、人の動きをつくってきたネビラキカフェですが、さらにそれを外(地域)に広げていきたいと思います。人口減少は見える形で進み、カフェ周辺だけでも空き家や空き地が増えてきました。

近所の空き家を2軒手に入れたので1つは宿にしようと思っています。ネビラキカフェの通りにある家なので、裏には錦秋湖のレイクビューが広がり、ゲストにいい時間と空間を過ごせてもらえる場所を整備していきたいと考えています。

もう一つは、我々の家(ネビラキベース)として整備をし、いずれはシェアハウスにしていきたいと思います。具体的に物事を進めていくには、人と人とが出会い、ダイアログを通してアクションに繋げていくことが大切です。物質的に豊かにはなりましたが、個人主義は進み、人と人との距離はかえって前より離れた気もしてます。共同生活を通して小さなアクションがたくさん起こっていくシェアハウスを目指します。西和賀町は雪が大変ですが、雪かきはみんなでやると楽しい時間なんです。

空き地に関しては色々難航してはいますが、いずれは公園にしたいという夢があります。公園というよりは広場のイメージが近いかもしれません。どうしても行政が作る公園というのはルールや規制があったり自由に使えないイメージがありますが、ここの広場は私設の自分たちが自分たちでつくる自由な広場。焚き火をしてもいいし、演奏してもいいし、木に登ってもいい。ここに来たらアイデアや想像力が刺激され、自分の中の何かが開かれていく、そんな広場のイメージを持っています。

ネビラキに込めた願い

世の中は便利になりましたが、高所得者と低所得者、地方と都市の格差は開き、影響力のあるインフルエンサーの発言や、連日のニュースを見ていると社会そのものがギスギスしてきた印象を得ています。また、日本財団の18歳意識調査では自身と社会との関わりについての項目で6カ国中(日本、アメリカ、イギリス、中国、韓国、インド)全部の項目が最下位となっています。

出典『18歳意識調査「第46回 –国や社会に対する意識(6カ国調査)–」 報告書』日本財団2022年3月24日

この意識調査でわかるのは、いかに日本という国が硬直状態に入っており、過去に囚われているかということだと思います。「自分は大人だと思う」「自分の行動で国や社会を変えられる」という項目が特に低いのも、考えさせられる点です。

自分が本当は何をやりたかったんだ?

自分らしくいられるには?

そもそも自分らしさってなんだ?

もしかしたらこの辺から見つめ直さなければならないくらい、世の中が複雑すぎてわからなくなっているのかもしれません。

ネビラキとは根に開くと書いて根開きといいます。太陽の光が木の幹に当たってその輻射熱で円形状に溶けるから美しいだけではなく、実は木本来の生きる力みたいなのも影響し、綺麗な円を描き、それが見た人へ伝播感染し、見た人の心と身体を自然な形で動かしていく。私の暮らしている西和賀地方にはそれがあり、ネビラキという表現活動の射程は近隣の市町村に暮らす人々だけでなく、東京や海外に暮らす現代人をも捉えつつあると感じてます。

大いなる自然があり、人の持つ心の作用が世の中をより良いものに変えていく。ここがネビラキの発信地であり、訪れたら前よりも世界が美しく感じられ、生きる喜びに小躍りしてしまい在るべき自分の姿がぼんやり見えてくる(ネビラキ!)。そんな人が増えてくれば、衰退していると言われる地方は輝き、日本も息を吹き返すはずです。ネビラキたいから全国や世界中から人々がやってくる。

学ぶべきは自然。そこに加わる人間の営み。

豊かさの再定義をし続けながらネビラキの概念を表現をしていきます。

zen

ネビラキランドの1日〜風子の場合〜(有料)

ネビラキカフェ周辺には一棟貸しのゲストハウスがあり、シェアハウスがあり、近くの空き地は広場。
風子は広島出身の関東の音楽大学に通う20歳。
この春から大学を休学し、西和賀町にやってきた。
ネビラキカフェ近くのシェアハウスに暮らしながら、自分がやりたいと思っていた音楽の表現活動を西和賀で追求したいと考えている。

ネビラキランド構想川尻上野々図

アルバイトはカフェやゲストハウスでしており、仕事は時間の融通が利くので助かっている。
朝、錦秋湖の対岸の山から朝陽が昇る時間に風子はラッパで天空の城ラピュタの「ハトと少年」を吹く。今日の錦秋湖は霧が立ち込めて日差しも強く、今日も暑くなりそうだ。

近所の人たちがラッパの音色につられてカフェでコーヒーを飲みに来る。
ただ飲みに来るだけでなく、朝のカフェは議論の場だ。
普段抱えているモヤモヤを共有しあい、解決の糸口を探すダイアログの場。
そこには議員も、子育て中のお母さんも、学校に行く前の中学生、教育長、役場の若手職員、宿の店主、シェアハウスに暮らすプラプラしているお兄さんも来ている。
テーマは日によって違う。「普段抱えているモヤモヤ」といったライトな話題から、空き家問題、保育園、除雪について、学校の在り方、100年後の地域はどうなっているか、などなど。
風子も朝のカフェの議論の場に加わり、普段考えていないことも度々話題に出て、想像力を養う良い場だと楓子は考えている。
ダイアログの場は6時半頃から始まり、7時半には終わる。
そのまま仕事や学校に行く人や話足りない人は追加でコーヒーを頼みながら、カフェの店主と話していく。
風子はカフェでベーグルサンドを食べ、お昼のカフェで働く時間までは自由なので近くの広場で本でも読むことにしようと考えた。

日中、カフェ近くの広場では保育園のお散歩をしにきている子供達でにぎやかだ。近所のおじいちゃん・おばあちゃんはコーヒーを飲みながら談笑している。シェアハウスに来て2ヶ月になる絵描きさんは、広場の隅っこでキャンパスに絵を描いている。広場には石畳みがあり、週末にはそこで地元の小さな劇団が小芝居をやるそうだ。石畳みの反対側にはちょっとした丘みたいなのがありそこから石畳みの方が見渡せるので、この広場はギリシャの円形劇場のようだ。

広場で本を読んでいたら、風子はあることに気がついた。
通りかかった人が広場にいる誰かを見かけそこから雑談が始まるのだが、その時間が割りと長いことだ。雑談が多い地域は自殺率が低いという記事をネットで読んだことがあるような気がするが、確かにこの地域の人たちはみんな幸せそうだ。

お昼前、カフェに出勤する直前に風子には仕事がある。
広場の隅っこに植えてあるハーブをいくつか摘んでいくことだ。
カフェのランチメニューに添えるハーブはいい香りがする。

ランチタイムは天気がいいとカフェは結構込み合う。
山の中のカフェとは思えない賑わいだ。
地元の方もちらほら来て、毎週来る話の長いおじさんは今日もやってきた。
早口言葉で地元の方言も入っているから何を言っているか半分くらいしか聞き取れないが、くしゃっとした笑顔が自分を受け入れてくれているような気がして居心地がいい。今朝採ったという野菜をどっさり置いていってくれた。たまに勤め先の会社の悪態をつくのだが、他人事だと思うととても面白い。まるでギャグ漫画の世界だ。

ランチタイムが終わると少しまったりした時間が続く。
今日はゲストハウスに泊まる客さんもいるのでゲストの確認をしながら時間を過ごす。今日のゲストは大阪からで14時半頃ほっとゆだ駅に到着の列車で来るようだ。小学生の子供がいる家族で3日間滞在していく。

ゲストを待っていると、ほっとゆだ温泉でたまに会うおばさんが「これ飾らない?」とお花を持ってきた。自分の庭で育てていて増えてきたので分けてくれるそうだ。風子が広島出身だと知ると、昔広島の方に旅行に行ったときの思い出話しをしてくれた。

14時半。ガタンゴトンと1両の北上線がやってきた。
列車には結構人が乗っているようだ。
数分後、今日宿泊予定のゲストがコロコロとキャリーバッグを引いてやってきた。
「今日からお世話になります。こちらも結構暑いですね」
という他愛のない会話をしながらチェックインの案内をする。
ゲストハウスは高断熱高機密の部屋になっており、夏でも冬でも快適だ。
部屋は20畳近くある空間だが、部屋には14畳用のエアコンをつけている。
高断熱高機密のお陰で、エネルギー効率がとても良いそうだ。環境負荷も下げられ、地球にも優しい。

ひとしきり部屋にゲストを案内した後、ネビラキランドのオーナーがガイドから戻ってきた。川を案内してきたそうだ。今日はとても暑い日だから羨ましいと風子は思った。

夏の夕暮れ。ひぐらしが鳴き始める頃、アルバイトを切り上げ風子は自身の表現活動の練習に入る。錦秋湖が夕焼け空のセピア色を映し、対岸の山の上には大きな積乱雲。

同世代が就活を始めて忙しくなる頃、風子も将来のことを考えなければならないと思っていた。でもみんなと同じに企業説明会に行って、インターンをして、集団面接をしてという流れにはついていけないと思った。

友達だと思っていた同期からも「ちゃんと将来のことを考えなよ」と言われ、モヤモヤしていた。

風子は自然の中で無我夢中で楽器を吹いている時間が好きだ。
風がそよそよと身体を包み込み、自分が鳴らす音と地球のリズムが同化していくような感覚になり、とても愛されている気持ちになるからだ。

「おてつたび」でネビラキカフェを見つけ、西和賀のことを調べているうちに行ってみたくなって思い切って来てみたけど、気がついたら大学を休学してこちらに来てもう3ヶ月になる。

何に惹かれたのか、言語化がまだできないでいるが、とても居心地がいい。

朝のほっとゆだ温泉の地元の人達との触れ合いや、ネビラキランドの広場に集う人たちの雑談している様子、ブナ林を無心で歩いている時、木工作家や鉄工作家の繊細な作品に対する静かな情熱。ここに暮らしている人たちと話していると、本当に自分たちの暮らしを愛しているのが感じられる。

まだ暮らしとしては体験していないが、多分雪深いこの町の暮らしが連帯感を醸し出し、共同体意識を生み出しているのだろう。でも地縁血縁に縛られない風通しの良さも在る。多分シェアハウスが風子の暮らしているところだけでなく近くにあるのもいい影響を出しているのだろう。人の出入りがあるから流動性があり、気持ちが自由になる。

田舎が無い風子にとってその土地を愛している人たちと接するのは自分のアイデンティティを思い出していくような気がして面白い。

自分の心と身体に素直になって、風の吹くまま自分の居心地のいい方向に向かっていく。そういえばここでカフェを始めた夫妻の東京からの移住者でもある奥様の方が「ここにいると働く気が無くなる」と言っていたのを思い出した。自然のリズムとそこに寄り添うように暮らす人々を見ていたら、確かにそういう気持ちになりそう。時代は変わってきたが未だに「いい大学に行って、いい会社に入って、高い給料をもらいなさい」という価値観は残っている。これだけ豊かになったのに、人間の欲望は尽きることが無く、お金をどれだけ稼いだかが価値の中心に置かれる。「生産性の低い仕事をしている人は努力不足でこの国の足を引っ張っている」なんていう言論もSNSで見かける機会も増えた。

もちろん、その人の努力不足や、生産性が低いままでいることに甘んじている人もいるだろう。でもここにいると、国家としての「国」ではなく山と川があるもう一つの「くに」があり、目には見えない世界がすぐ近くに感じられる。となりのトトロの世界は御伽話しではなく、我々と違う時間軸世界観で広がるもう一つの世界がここにいると強く感じられる。だからここにいるとGDPや国力といった言葉の方が御伽話しに感じてしまうのかもしれない。

そんなことをラッパを吹きながらぼーっと考えていたら、近所のお兄さんが広場の焚き火場に火を点けに来た。辺りは薄暗くなり始めている。

「ラッパの音を聞いていたら自分も弾きたくなって」

近所のお兄さんは持ってきたギターを弾き始めた。
焚き火の煙がモクモクと大きくなってきた。

「ギターだ!」
ほっとゆだ温泉帰りの近所の小学生も焚き火の近くにやってきた。

「良い音色ですね」
今日からゲストハウスに来ている家族も晩ごはんを食べ終わったようで火の近くに来る。

誰かが広場の隅っこに置いてあったカホンを鳴らし始めた。

火はどんどん大きくなり、空に見える星が煙でボヤケてきた。

風子は小さい頃の夢を思い出した。
それは学校の先生になるという夢。
子どもたちに夢を与えられる先生になるという夢。

しかし、中学・高校と年齢が上がるに連れて、教育現場の現状に失望し夢を諦めてしまった。横並び主義で人と違うことをやるのは良くないという風潮。コロナ禍でみんながマスクをして、風子がマスクを外してたら怒られたことがあった。「なんでつけなきゃいけないんですか?」と反論したら「みんながつけているから」という先生の答えを聞いて、がっかりしたことがあった。

多分その先生が悪いわけでもなく、学校全体、もっと言えば教育全体の問題のような気もしてきてそんな大きなところを変えるのは絶望的に思えて楓子は夢を諦めた。

でも、西和賀に来てからその夢をもう一度叶えたいと思い始めた。
子どもたちが大きくなるに従って自分の心に芽生えた夢に寄り添ってあげられるそんな先生を目指したい。

多分道のりは困難で、大変なことも多いだろう。
でも風子にはもう一つの故郷ができた。

ここにいる人たちは皆前向きで、叶えたい夢がある人を全力で応援してくれる。何か嫌なことがあってもここに戻ればリセットできる。目指す方向が見えなくなっても、ここで朝陽を浴びたり、焚き火をみんなで囲んでいると、心のなかに何かが芽生えてくる。ここに暮らす人、ここに生きる動植物、大いなる自然が風子の中にある何かを開いていく。

もう一度教員を目指そう。無理だったらまた戻ればいい。

ギターの音と人の笑い声、焚き火のパチパチした音が風子を祝福しているようだった。







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