Vision と Bench
ビジョンとベンチ。
この町に必要だと思うもの。
過疎の町、岩手で一番最初に消滅する町、と言われる西和賀。
JR線の駅前のデフォルト風景はこんな感じ。
シーズンにもよるが、駅前を歩いている人はまばらで、高齢者が多めである。(きのこや紅葉、水没林の見えるGWなどはもっと人がいる)
この駅から徒歩3分のところにカフェをオープンした。
年齢層若め、女性多め、家族連れ多め、という光景はなかなかに珍しい。
この写真を見せて「カフェは儲かりまっせ」と言いたいわけでは決してなく(仕込みとかをふまえると正直負担もかなり大きい)
駅前通りの風景が変わることに、きっと意味がある
と再認識したのだ。
カフェをオープンしてから、田中元子著『マイパブリックとグランドレベル』を読むと、共感の嵐である。
「いきいきとした個性が感じられ、ただそこにいるだけで楽しいまちとは、建物の持ち主やその地域の住民たちが、自分のこととして当たり前のように町をつくり、設える一員となっている…(中略)…そうすることが、自らの土地や建物の資産、あるいはコミュニティの価値を、維持向上させることになる…」(P.138)
「そのまちのグランドレベルには、そのまちの公共のかたち、そのまちの価値のかたちが表出している」(P.138)
グランドレベルとは地上1階部分=道路や路面部分のこと。
町を歩く人の視界にうつり、町の印象をつくる。
いままで寂しかった駅前通りに人の動きが生まれる。
カフェに興味がなくても、ただ近くに暮らしているだけの人たちにとっても、心境に何かしらの影響を与えることになる。良くも悪くも。
そのザワザワから、何か新しいものが生まれればいいなと思う。
生業や商いにはいろんなスタイルがあるし、いまはSNSで発信してファンを集めることもいくらでも出来るけれど、ネット販売では生まれないであろう町への小さな変化を起こせたとしたら、人目につく場所で店を開いた甲斐があるというものだ。
「カフェで食えるのか?」とzenはよく訊かれるらしいけど(私は女でヨソ者だからか訊かれない)、そもそも食うためだけにカフェをやろうと決めたわけじゃなくて、西和賀の魅力を伝えるには?町をよくするには?と悩むところから生まれたカフェだから、これは私たちにとっては収入と「マイパブリック(私設公共)」の両立の挑戦なのだ。
理想としては、中学を卒業して町外の高校に通う子どもたちが、休日隣町のイオンに行くんじゃなくて、西和賀に遊びにきて、と友達を誘ってくれたら嬉しい。そんな町だったらいい。
タイトルの「Bench(ベンチ)」の必要性については、ぜひ『マイパブリックとグランドレベル』を読んでほしい。町中にベンチを置きたくなるから。
ei
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?